第73話 最後のマウンド②
夕日出さんはそっとバットを置いて、マウンドの志岐君の元へ歩いて行った。
まだ深く頭を下げたままの志岐君の前で立ち止まり「俺の勝ちだな……」と呟いた。
その言葉に答えるように志岐君は膝を落とし、左手の拳を「ガッ!」と地面に打ちつけた。
「?」
全員が驚いて志岐君を見つめる。
「ここにいる皆で甲子園に行きたかった!」
ガッともう一度地面を打ち付ける。
「全国の強打者を打ち取って優勝したかった!」
ガッ!
「プロ野球選手になって、もっと凄いバッターと対戦したかった!」
ガッ!
「夕日出先輩とプロのマウンドで対決したかった!」
一言言うたびに地面を打ちつける。
「メジャーにも行きたかった!」
ガッ!
「外国の強打者も倒してみたかった!」
ガッ!
「メジャーでも日本人対決で、夕日出先輩と対戦してみたかった!」
ぽたたっと涙が落ち、志岐君は右腕でぐいっと拭った。
そうしてもう一度地面に振り下ろそうとした腕を夕日出さんがぐっと掴む。
「はは……なんだそれ……ははは……」
夕日出さんは半分泣き笑いのようになっていた。
「いっつもすました顔でマウンドに立ちながら、そんなこと考えてたのかよ、ははは」
「……」
「お前、聖人君子みたいな顔して、誰より野心まみれじゃないかよ」
「いけませんか?」
志岐君は怒った声のまま言い返す。
「すっげえ負けず嫌い」
「負けず嫌いじゃないとピッチャーなんか出来ません」
「よく、そんだけの感情をポーカーフェイスに隠せたもんだな」
「こんな感情、ありのままに出してたらマウンドなんか守れません」
「はは……そりゃそうだ……ははは」
シンとしたグラウンドに、しばらく夕日出さんの笑い声だけが響いた。
そして夕日出さんは突然笑顔を消して、真面目な声になった。
「志岐。俺はプロに行って、すっげえバッターになるぞ! そしてホームラン王になって、メジャーにもいつか行ってやる!」
志岐君はゆっくり顔を上げた。
「お前が羨ましくて羨ましくて、地面を這いずり回るぐらいの活躍をしてやる! せいぜい悔しがれ!」
志岐君がわずかに微笑んだ気がした。
「お前はアイドルスターでも、仮面ヒーローでも、その世界の一番になりやがれ!見ててやる!」
「なってみせます!」
夕日出さんはにやりと笑うと、遠巻きに見ている野球部達に目を向けた。
「おい、お前ら! 何、他人ごとみたいに遠くから眺めてやがるんだ! こいつはそのうちすげえ大スターになるらしいぞ! 今の内に謝ることがあるヤツは謝っとけ!」
夕日出さんの言葉を合図に、野球部全員がマウンドの志岐君に駆け寄った。
「すまん、志岐!」
「今まで悪かった!」
「俺達お前がマウンドにいないのが淋しくて……」
「野球の世界に、もうお前がいないのが淋し過ぎて……」
「すまんかった」
「ごめん!」
男泣きしながら口々に謝っていた。
なんだ、いい人達だったんだ。
ただ、志岐君を失う淋しさに耐えられなかった人達。
その気持ちは私にもよく分かる。
「あー。取り込み中のところ悪いが、野球部のみんなに報告がある」
そのみんなの輪に、社長がいきなり咳払いをして宣言した。
「来年度入学予定の凄腕ピッチャーを確保したぞ! 来年の夏こそは甲子園だ! 今日から猛特訓だから覚悟しておくように!」
全員が一瞬呆けた顔をしてから、一斉に「うおおおお!!」と叫んだ。
夕日出さんの朗報とは、このことだったのか。
まだ興奮冷めやらぬ皆を後に、夕日出さんは一人マウンドを降りた。
そしてバックネットの裏で一人ぽつんと立つ私に気付くと、にやりとして近付いて来た。
「?」
見上げる私の頭をぐいっと引き寄せ、自分の懐に抱え込んだ。
「えっ?」
「おーい、志岐! 一つ言い忘れてた!」
夕日出さんの大声で、マウンドの全員がこちらを見た。
「この子、
え?
えええええ???
なんですと!!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます