第64話 夕日出ショック②

「そんなに構って欲しいなら相手してやるよ」


 私は壁に背をつけてブルブルと頭を振った。


「い、急いでますので……」


 夕日出さんは私の言葉など無視して、上から下まで舐めるように見回した。


「ふーん。あんたスカート穿いてないと男か女か分かんないね。心は男ってほんと?」


「ゆ、夕日出さんには関係ありません」


「確かに。好みのタイプだったらちょっと遊んでやろうかと思ったけど、あんた全然タイプじゃないわ。悪いね」


「で、では通して下さい」


 私は夕日出さんの左足を乗り越えようとした。

 しかし途端に目の前に左手がダンッと飛び出してきた。


 近い  近い  近い


 怖いんだったら



「なあ、教えてくれよ。なんで志岐も御子柴もあんたに執着してるわけ? なんであんたのことになったらムキになるわけ? 分かんないんだよ」


「べ、別に二人とも、執着したりなんてしてません。考え過ぎです」


 夕日出さんの右手が壁から離れ、私の髪をさらりと撫ぜた。


 近いんです


 怖いんです


「志岐ってさ、可愛くないんだよね。甲子園の夢が絶たれても、二度とマウンドに立てなくなっても、まるでどうってことないって顔で平然としてさ。悔しくて悲しくて這いずり回った俺達がバカみたいじゃね? 腹立つよな」


「そんなこと……」


 食堂で悔しくて泣いていたあの志岐君を、この人達は知らないんだ。


「悔しいから惨々に痛めつけてやった。なのにあいつのポーカーフェイスはまったく崩れないんだ。ますますムカつく」


 なんてことを!

 志岐君の本心も知らずに。


「でも、そのポーカーフェイスが、あんたが絡むと途端に崩れた。怒り狂って机を叩き割ったらしいじゃん。なんで?」


 志岐君は優しいから……。


 自分のトラブルに私を巻き込んだと責任を感じただけだ。

 分かりきっていることなのに。


 理由をこじつけようとしているだけだ。


 私は勇気を振り絞って夕日出さんをキッと睨みつけた。


「志岐君のそのムカつくポーカーフェイスに、みんな支えられてきたんじゃないんですか? どんなピンチにも動じない志岐君に、救われていたんじゃないんですか? 志岐君は、どんな時も感情を出さないことを期待され続けてきたんです。それなのに今度はそれを責めるんですか? あのポーカーフェイスの奥に、どれほどの悲しみと悔しさを抱えているのか想像もせずに……」


 ふっと夕日出さんの荒んだ瞳が、一瞬正気に戻ったような気がした。


「自分は志岐のすべてを分かったように言うんだな。やっぱり、うざい女」


 しかしすぐに元に戻ってしまった。


「あんた、いったい志岐の何なんだよ」


「私は……」


 志岐君の何なんだろう。


 いや、私は志岐君の何かではない。

 志岐君が私の何かなのだ。


「私はただ、志岐君のあらゆる才能に心酔し、私の何を犠牲にしても守りたいだけです」


「何を犠牲にしてもねえ」

 ふんっと夕日出さんは鼻で笑った。


「簡単に言ったもんだな。じゃあ、その高尚な言葉を吐いたあんたに一つ教えておいてやろう。食堂での一件以来、野球部のヤツらの腹立ちはこれまで以上に激しくなっている。あいつら寝てる志岐を襲う計画を立ててるぞ。さすがに寝込みを大勢に襲われたらひとたまりもないだろうな」


「な!」


 私は蒼白になって声を上げた。


「志岐のためにすべてを犠牲に出来るあんたはどうする? どうやって守る?」


「やめさせて下さい! 夕日出さんなら止められるんじゃないんですか?」


「まあ、俺が言えばやめるかなあ。でも何で俺が止めなきゃなんないんだ? あんた、それに見合うだけのことを俺にしてくれるのか? だったら考えてもいいけど」


 夕日出さんは試すようにほくそ笑んだ。


「私が……私が夕日出さんを満足させたら、止めてくれますか?」


「へえ、満足させてくれんの? 俺、女には困ってないから、そう簡単に満足出来ないと思うけど。そうだな、本当に満足させてくれたなら止めてもいいよ」


「分かりました。その時は、もう二度と志岐君にひどいことをしないと誓って下さい」


「へえ、自信ありそうだね。さすが御子柴と柳まで手玉にとる女だな。これは楽しみだ」


 その時、エレベーターの扉が急に開いた。


 中には青ざめた御子柴さんが立っていた。

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