第63話 夕日出ショック①

「まねちゃん、夕日出ゆうひで先輩としゃべったの?」


 志岐君はホームルームが始まってから、前に座る私にこっそり尋ねた。


 そうだ。このとんでもない誤解は志岐君に伝えておかなければ。


「あの、志岐君。この間の食堂の事件で、野球部の人達、私が志岐君の彼女だって誤解しているみたいで……。変な噂を流される前にしっかり否定しておいて下さい。私は……あの、上手に話せなかったから、ごめんなさい」


 野球部の集団を見ると言葉が出ない。

 怖くて何も話せなくなる。


 さっきしっかり否定すれば良かったのに、本当にダメだな、私って。


「まねちゃんはあやまらなくていいよ」


 そう言う志岐君の眉間が険しくなった。


 お、怒ってる。かなりひどく。


 そりゃそうだ。

 私と噂になるなんて嫌に決まってる。


 亮子ちゃんという、いい感じになりかけてる綺麗な女の子もいるのに。

 本当に申し訳ない。


「それで御子柴さんの車に乗ったんだ」

「あ、うん。柳君と一緒に乗ってけって」


「わざわざ御子柴さんが目立ってまで乗せたってことは、まずい雰囲気だったってこと?」

「そ、それは……」


 まずいと言えばまずいけど、ただ話をしていたと言えば、それだけだ。


「私が……怖がってたから……それだけで別に何も……」

「まねちゃんが怖いと思ったなら、それが一番重要でしょ」


 いや、それは一番どうでもいいことで……。


「学校の行き帰りも御子柴さんの車に乗せてもらったら? 御子柴さんとスケジュールは一緒なんだから」


「そ、それが先程喧嘩をしてしまいまして。私はマネージャーをやめることになるかも」


「な、なんで!」


 少し声が大きくなって、志岐君は慌てて口を押さえた。

 どうやら私は志岐君のポーカーフェイスを崩す才能があるらしい。


「……」


 志岐君はしばらく困ったように考え込んだ。


 なんだか志岐君にも多大な迷惑をかけてるようだ。

 だんだん自分が嫌になってきた。


「ごめんなさい……」


「謝らなくていいって言ってるだろ? 悪いのは全部俺だから。夕日出先輩のことは俺がなんとかするから、まねちゃんは心配しないで」


 なんとかするって?


「あの……志岐君は今一番大事な時期だから、お願いだから危ないことはしないでね」


「大丈夫だって。とにかくまねちゃんは野球部の人達に会わないようにだけ気をつけて」


 志岐君が言うと、不思議に安心する。


 この人が守っていたマウンドはきっと磐石ばんじゃくだったんだろうと思った。だからこそ、野球部はいまだに志岐君に執着するんだろう。


 この人を失ったマウンドはどれほど不安定で寒々しいか、想像しただけで底冷えがする。




 しかし私は翌日、さっそく志岐君が一番恐れていた失態をおかすことになった。


 この日はメンズボックスの撮影が朝から入っていて、午後にはドラマの撮影に雑誌のインタビューと、多忙なスケジュールだった。


 私はこれがマネージャー最後の仕事になるかもと思うと、全力で今までの感謝を込めてアスリート養成朝食と、間食になるものを何品か用意していた。


 さすがに時間ギリギリまでかかり、少し地下の駐車場に下りるのが遅れてしまった。


 車に行くと、御子柴さんはしばらく待っていたが、痺れを切らせて部屋に戻ったというので、荷物だけ車に乗せてエレベーターで御子柴さんの部屋へ迎えに行った。


 インターホンを鳴らしても出ず、行き違いになったかとエレベーターへ戻る所で、夕日出さんに出くわしてしまった。


 慌てて顔を伏せて、エレベーターへ乗り込もうとした私の前を、夕日出さんの足が通せんぼをするようにダンッとさえぎった。


「また会ったね、神田川真音ちゃん」


 驚いてまわれ右をして逃げようとした私を、今度は夕日出さんの右手がバンッと押し留めた。壁際に左足と右手で囲い込まれた。


 やばい  やばい 


 怖い  怖い  怖い


「人の神経逆撫さかなでするみたいに現れるよね。わざと? 俺にからみたいわけ?」

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