第44話 志岐君との外食

 レッスンが終わった帰り道も志岐君は距離を開けて先を歩いた。


 この距離が今の私と志岐君の距離。

 そしてこれはこの先どんどん広がっていくのだ。


 電車を下りて駅前を歩いていると、飲食店のいい匂いが鼻をくすぐる。

 今日は昼食のデリバリー弁当一食しか食べてない。


 夕食は食堂で食べられるだろうか。

 この時間だと女子アスリートはもう食べ終わって、きっと男子しかいない。


 そう考えただけで怖い。


 これは軽い男性アスリート恐怖症におちいってるかもしれない。

 前は男の中に一人でも全然平気だったのに……。


 せめてコンビニでパンでも買って帰ろうかと立ち止まった。

 それぐらいのお金なら持っていたはずだ。


 物欲しそうにコンビニを覗く私に気付いて先を歩いていた志岐君が戻ってきた。


「お腹すいてる? なにか食べてく?」


「え?」


 思いがけない言葉に驚く。


 今日初めて志岐君から話しかけられたのもそうだが、お互い外食出来るような身分ではない。それは自分達が一番よく知っている。


「野球やってる間は、俺食事もすべてトレーナーさんから支給されてたから、お金を使うことがなかったんだ。その時の仕送りのたくわえが、まだ少しなら残ってるからおごるよ」


「で、でも、それは寮費とかに……」

「俺がたまには外食したくなったんだ。行こう」


 志岐君にしては強引だった。


 そして目についた手頃な定食屋に入って行った。

 安くて家庭的なお惣菜そうざいがたくさんあるお店だった。


 戸惑っている私を、隅の席に座らせると、「A定食でいい?」と聞いてさっさと注文してしまった。


 この店で一番高い定食だ。


「あの……今度の仕送りで返すから……」

「いいよ。俺、来た仕事は全部引き受けるつもりだし、オーディションも受けられるヤツは全部受けるから。すぐ取り返す」


 志岐君ってこんなギラギラした人だっけ?


 でも、志岐君と二人で食事なんてこれが最初で最後かもしれない。

 箸の持ち方、コップを持つ角度、味噌汁の飲み方、全部目に焼き付けておこう。


 私の三口分ぐらいを一口で頬張り、豪快に噛み砕く顎の動きも芸術的に美しい。

 私はただただ見惚れて、無言の食事が続いた。


 はたから見ると、このカップルは喧嘩でもしているのかというぐらい無言だが、その静寂すらも心地よい。


 志岐君はそもそもどんな場も、一人で完結させる空気感を持っている。


 無言になることを恐れる人は多いが、志岐君は静寂を自分のものにする何かを持っていた。そして私はその美しさに見惚れているだけで時間を忘れた。


「食堂行くの怖い?」


 先に食べ終わった志岐君は唐突に尋ねた。


「え?」


「もし一人で行くの怖かったら、おかやんに頼んでおくから。一緒に食べるようにしたらいいよ」


 私が怖がってることに気付いてたんだ。

 だから外食に誘ってくれたんだ。

 なんて不器用に優しい人なんだろう。


 また涙が溢れそうになった。

 ダメだ。私って本当に涙腺るいせんが弱い。


 私は慌ててご飯を口にかき込み、無言で食べ続けた。


「……」


 志岐君は私の涙に気付いたかもしれないが、今日は冷静だった。

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