第42話 望む領域 

「あの……昨日はありがとう。昨日壊した机は私が弁償するから……」


 朝、教室で志岐君を見かけるなり、私は呼び止めて頭を下げた。


「何? 昨日何かあったの?」


 志岐君と一緒にいた浩介君が興味深々で尋ねたが、志岐君は目も合わせてくれなかった。


「あれは俺が勝手にやったことだから、まねちゃんは気にしなくていい」


 それだけ言って立ち去ろうとした。


「で、でもそれは私を助けようとして……」

「前からいい加減むかついてたから、やり返しただけだから」


 志岐君は嘘が下手だ。


「でも、あのテーブル高そうだし……」


 寮費だけでも大変なのに、この上借金を背負わす訳にはいかない。


「大丈夫だよ、まねちゃん。こいつ多分メンズボックス受かるだろうからさ。お金の心配はないよ」


 浩介くんが代わりに答えた。


「えっ! そうなの?」


 そういえば昨日の面接の結果を聞いてない。


「まだ決まった訳じゃないよ。ただ、審査員の一人に御子柴さんが入ってたから、優位ではあると思う」


「御子柴さんが?」


 審査員なんて、さすがだ。


「今年はアスリート体型を補充したかったみたいだからラッキーだって言われた」


「そうなんだ! 良かったね!」

「まだ決まってないって。行くぞ浩介」


 一時間目は男女別の移動教室だった。


「なんか志岐、今日冷たくない?」

「急いでるだけだよ」

「そうか?」


 二人は話しながら行ってしまった。



 避けられてる。


 いろいろいろいろ迷惑に思ってるんだろう。


 当然だ。


 トラブルに巻き込まれ、テーブル弁償に、今日は早朝から先生に呼び出されていたらしいとも聞いた。


 今日からは心を入れ替えて距離を保とう。

 あまり近付き過ぎたら迷惑になる。



 それにしてもお腹がすいた。


 私は昨日の夕飯を食べ損なった上、朝は怖くて食堂へ行けなかった。

 トイレすら廊下に誰もいないのを確認してから行く始末だ。


 でも外食するほどの現金の持ち合わせはない。


 八方ふさがりのまま放課後は演技レッスンのため、おかま講師の所へ志岐君と行く事になっていた。


 一応寮の玄関で待っていてくれた志岐君だけど、私の三メートルぐらい前をどんどん歩いていって、たまについて来てるか確認するだけで会話はなかった。


 いつもなら空気を読まずに私から話しかけるのだが、距離を保つため自分から話しかけないでおこうと思っていた。


 そうしてみると、私達にはまったく会話が必要ではなかった。

 そして、これが志岐君の望む距離なのだと理解した。


 電車に乗っても、志岐君は私から座席一列分向こうに立っている。


 今までは私が馴れ馴れしく話しかけるから仕方なく一緒にいてくれたのだと気付いた。


 やっぱり私は志岐君の望む領域をおかしてしまっていたのだ。


 

「なあに、この二人は? お通夜でも行ってきたのかしら。辛気しんきくさいわね」


 おかま講師は出迎えるとすぐに志岐君の腕に絡みつく。

 結構タイプらしい。


「あらやだ。あんた髪を切ったら可愛くなったわね。ちょっとむかつく!」


 思えば髪を切ってから、いろんなことがおかしくなった。

 切らなければよかった。


 逆に志岐君の髪はだいぶ伸びて、角刈りぐらいになってきた。

 もうすぐ五百円ハゲも隠れる。


 いよいよスターの階段を駆け上る時だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る