第40話 罠③

 私はなんて役立たずなんだろう。


 この時ほどそう思ったことはなかった。


 立ち上がって誰か呼んで来るとか、大声で叫ぶとか、なんか出来そうなものなのに、恐怖で体の機能すべてが停止している。


「ははっ。腰が抜けたんだってさ、お前の彼女。丁度いいからそこでボコボコにされる志岐を見てるといい」


「その後であんたもゆっくり可愛がってやるよ。待っててねえ、彼女」


 志岐君の周りを大男達が取り囲む。


「どうしてもまねちゃんを巻き込むつもりか?」


 こんな絶体絶命の状況にあっても、志岐君の声は少しも震えず、表情はむしろ落ち着いている。ピンチに立たされた時の精神力は、やっぱり常人離れしている。


 その妙な威圧感に男達が少しひるむ。


「彼女の前だからってカッコつけてんじゃねえぞ。いっつもやられっぱなしのクセして」

「よお? 志岐」


 一人が志岐君の胸倉を掴んだ。


 なんとかしなきゃ。

 なんとかしなきゃ。


 志岐君が殴られる。助けなきゃ。


 そう思うのに体が震えて立つことも出来ない。


 志岐君は胸倉を掴まれても平然としている。


 そしてゆっくりその手首を掴むと、表情一つ変えずに、ぎりぎりと胸倉から引きがし、軽くひねると男達の中に勢いよく投げ捨てた。


 どっと一角の包囲が崩れる。


「こ、こいつっ!」


 反撃しようとした男達より早く破壊音が響く。



 ドゴッッッ!!!!



「!!?」



 その思いがけない攻撃と破壊力に全員が唖然とした。


 食堂の六人掛けのテーブルが真っ二つに割れて、私の食べかけの定食がガシャンガシャンと音を立てて床に散らばっていた。


「な! な! 何を……」


 志岐君の拳の下で天板の木が割れ、鉄製の補強棒が見事に曲がっている。

 信じられない怪力に男達が青ざめた。



くさってもこの左腕は毎日二百球の剛速球を投げ続けてきたんだ。本気を出せばここにいる全員のあごを砕いて余りある腕力を持つ。まねちゃんに手を出すというなら本気でやる。その覚悟はあるのか?」


 すごむように言われて、男達はゴクリと生唾なまつばを呑んだ。


 誰も動けない。


 志岐君の本当の怖さを、私を含め全員が初めて知った気がした。



「きゃあああ! 何やってんのあんた達!」

「まああ! テーブルが! テーブルが!」


 破壊音でようやく気付いた食堂のおばさん達が驚いてやってきた。


 それを合図に男達は私と志岐君を残して、慌てて散らばって行った。


「大変! なんてことしたのよ、あなた達」

弁償べんしょうしてもらうわよ、もう!」


「すいません。俺がやりました」


 志岐君はもういつもの志岐君に戻っていた。


「あなた何年何組? 先生に報告するからね」


「はい。すみません」


 志岐君は呆然と座り込んだままの私を見た。


「あの、先にこの子部屋に連れて行っていいですか? ちょっと驚かせたみたいで」


「当たり前よ。可哀想に」


「まねちゃん、行こう」


 腕を掴まれ、私はビクッと体が跳ねた。


 まだ圧倒的な力に対する恐怖が残っていた。


 私がどう転んでも太刀打ち出来ない腕力。


 それが誰のものであっても、怖い。



「……」


 少し後ずさりする私に志岐君は一瞬傷ついた顔をしたように見えた。



「ごめん……。立てるようになったら言って」



 志岐君はそう言っておばさん達の尋問じんもんに答えながら、ひたすら謝っていた。

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