第36話

晴人はるとくん、どしたの?なんかボーっとして」

はるかさんの言葉で我に返った。

「そ、そうですか?」

「うん、心ここにあらずって感じ。なんかあった?」

「ご心配なく!大会終わって気が抜けちゃったのかも」

へらへらする僕を見て、はるかさんは変なのと言いたげに少し笑った。

やっぱり言い出せない。生徒会室に呼び出されてるなんて。

生徒会室は三年生の教室棟にあることは知っていたが、実は正確な場所はと聞かれると自信がない。陸上部の先輩に聞こうかとも思ったが、面白がって待ち伏せされたらどうしようと不安になり言い出せず、最後の砦であるはるかさんには中身的に絶対に知られたくない。どうする、僕。

ぼんやりしながら音楽室でのひと時を過ごすという失態を悔みつつ、次の授業の体育の準備のため今日は少し早めにお暇する。放課後までにこの難題をクリアしなくちゃと考えながら、校庭に出るため下駄箱へ向かう。するとここで思いがけずというかなんというか、毎日通るせいで風景と化していた構内案内図という救世主に出会ったのだ。何ともあっけない幕切れではあるが、これで部活に遅れることなく惚れ薬の小瓶を奪取するというミッションは達成できそうだ。でかした、僕。


できることならすっぽかしてしまいたいような予定が入っていると、何故こうも時間というのは早く進んでしまうのか。二年生の秋ともなると各教科で先生たちが来年の受験の話をし始め、いつにも増して退屈な授業のはずなのに、今日はあっという間に終わっていく。受験より目の前の生徒会長のほうが僕にとっては恐ろしく、そしてやっかいな問題なんだろう。自分は単純で臆病な男なのかもしれないけど、あんな完璧のオーラをまとった年上の女の人と対峙しなきゃいけないなんて、考えただけでお腹の奥がキュッとなってしまう。そして、うじうじと憂鬱を募らせている間に、無情にも今日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。周りは一斉に帰りの支度を整えて、友達や部活の仲間と笑いながら続々と教室を後にしていく。僕も部活に遅れたくはないから、さっさと準備したいのは山々なのだけれど、手がそれに反してのろのろとしか動かない。

「晴人ー!行こうぜー!」

見ると、ドアからひょっこりと顔を覗かせたひかるがひらひらと手を振っていた。

「ごめん、今日もちょっと先行ってて!」

「えぇ?どしたんだよ、マジで大丈夫なの?」

「大丈夫、すぐ行くから!」

僕が顔の前に手を合わせ、ごめん!と言って見せるとしぶしぶといった様子で行ってしまった。こうなったら覚悟を決めて行くしかない。嫌なことなら尚更早くやっつけてしまえばいいだけの話だ。僕はカバンとシューズ袋をひっつかんで生徒会室へ急いだ。


途中迷ってしまってパニックになりかけたが、全く面識のない三年生を捕まえて場所を教えてもらってなんとか辿り着くことができた。一度だけ深呼吸をして気合を入れ直し、意を決してドアをノックする。

「失礼します!」

勢いに任せて生徒会室へ入ろうとすると、ちょうどドアを開けようとしていた生徒会長がすぐ目の前にいた。びっくりしてバランスを崩したまま引き戸のレールを踏んづけてしまい、後ろに倒れた。

「大丈夫?」

あの小瓶を落とした時のように、ミス・パーフェクト東堂とうどう万梨子まりこが僕を見下ろすという格好になった。あの時と違うのは、彼女が僕に手を差し出して助け起こしてくれようとしていることだ。

「あ、あの、大丈夫です。ありがとうございます」

有無を言わさぬ雰囲気に流され、その手を掴んだ。しかし自分の身長を計算に入れ忘れ、何も考えず体重をかけようとさらに強く握ると、簡単にこちらへ傾いた。しまったと思いすぐ力を抜くと、東堂さんが倒れるということは避けられたが、なんだか気まずい空気になってしまった。僕は彼女の手を離し、自力で起き上がるとポリポリと頭をかいた。

「あの、すみません、僕の落とし物拾ってもらったみたいで・・・」

「ああ、そうだったわね。とりあえずもう少し中に入って話しましょう」

「話?僕この後すぐ部活が・・・」

つかつかと奥へ進んでいく東堂さんの背中に向かって言うと、鋭い眼差しが飛んできた。

「それじゃあ、簡潔に言うわ。私、あなたが気に入ったの」

キニイッタ?その言葉を飲み込もうと必死な僕を置き去りにして、彼女はさらに言葉を続けた。

「今度の日曜日、十時に松木駅に来なさい。小瓶はその時お返しするわ」

天下の生徒会長である彼女の耳が赤く染まっているのはきっと、季節外れにこの生徒会室が暑かったせいだ。きっと。

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