第31話
ショパンはポーランドで産まれ、幼少期にはすでに作曲もしていたらしく、その才能を認められ当時としても音楽や芸術の町として名高いフランスのパリへ行き、音楽家として華々しい経歴をスタートさせる。しかし人間関係や体調、そしてジョルジュ・サンドとの出会いからパリを離れ、マヨルカ島へ移ることになる。ジョルジュ・サンドはフランスの女流作家で、数々の浮名を流した女性だったそうだ。ショパンと知り合い親交を深めている最中も、その時すでに付き合っている男性がいたのだとか。
僕は何となく自分のことを言われているような複雑な気持ちになり、少し読み飛ばして先へ進めた。とは言えジョルジュ・サンドとの生活は少なからずショパンに良い影響をもたらした。当時結核を患っていたショパンだったが、美しい自然に囲まれながら借り物のピアノで作曲していたようだ。その後、ショパンの具合が悪くなった時もジョルジュ・サンドは彼の看病と家事全般を引き受けるなど母性的な一面も覗かせている。最終的には彼女の子ども達との関係がこじれ、二人は分かれてしまったけれどお互いに刺激しあっていたのだろうと感じた。
たしかにショパンを語る上で、ジョルジュ・サンドの存在は欠かせない。曲のことはよく分からないけれど、それでも良かった。だって、僕が知っているショパンの音色は他でもない、あまの先輩が弾いたあの音なのだから。少しだけど、彼女と話せることが増えたことが嬉しくてワクワクした。
次の日、休み時間が始まるとすぐに教室を飛び出して音楽室へ向かった。しかし、着いてみると誰もいなかった。早すぎたみたいだ。そういえば僕はいつも図書館を経由してここへ来ていたから、空っぽの音楽室を見たことがなかったなと今更ながら思った。どこからか微かに笑い声も聞こえるけれどとても静かで、まるでレースが始まるあのスタートの時のような繊細な空気が流れていた。
「あら、今日は早いのね」
声がした方を振り返ると、ノートや筆箱を抱えたあまの先輩が入ってくるところだった。
「ショパンのこと話したくて、急いで来ちゃいました」
「お、宿題やってきたんだね」
今日はあまりピアノを弾かず、ショパンとジョルジュ・サンドのことについて話した。昨日の勢いで薄々感じてはいたが、あまの先輩は曲だけでなく作曲家についても相当詳しく知っているようだ。ほぼ児童向けの伝記しか読んでいない僕の知識ではあっという間に底をついてしまった。
「あれですよね?サンドと一緒に行った、えっと、何とか島」
「マヨルカ島ね」
「そう、それ!そこで二人は穏やかに」
「そうとも言い切れないの。たしかに療養も兼ねた愛の逃避行、二人でいられる幸せを感じることも多かったでしょうけど、それまでパリの社交界にいた彼らにとって南国での暮らしはカルチャーショックや偏見との闘いでもあった。マヨルカでは当時、結核は悪いことをした人が天罰を受けたものとされていて、おかげでショパンは大家さんに家を追い出されたり食材を売ってもらえなかったりして大変だったんだよ」
そんなこと、僕の読んだ本には書いてないぞ?
ちょっと信じられないような逸話もあったけれど、子供向けにそこまで込み入った話を載せるとも思えない。それに、彼女が嘘をついているなんて到底思えない。僕は今日も終始押されっぱなしで、知っている単語が出てくる数少ない場面で必死に相槌を打った。でもそうするとあまの先輩はますます饒舌になっていく。
「あ、あの、なんの本読んだんですか?」
話が途切れた一瞬の隙を狙って、質問をねじ込んだ。
「んー、色々。町立図書館で一般向けの本とかも結構読んだかな。二人のことに絞って書かれたものもたくさんあって、サンドは本当にショパンの才能、音楽を愛していて、別れることになったけど、広い意味でたぶんずっと愛してたんだと思う。葬儀に出席しなかったのも・・・あっ」
突然、あまの先輩が口をつぐんだ。目線をたどるとまたしても時計だった。時計は休み時間が終わるまで十分を切ろうかというところだった。
「この後、私のクラス音楽だからみんなが来る前に、
「あ、あぁ、そうなんですね。それじゃあ・・・」
僕はそう言って席を立とうと腰を浮かせた。しかしその時ふと密かに憧れていたことを思い切って言ってみる気になった。今日は彼女に近づけた気がするから。
「あ、あの。柳瀬くんじゃなくて僕の名前、
あまの先輩は一瞬その意味を図りかねているような顔をした。
でも、すぐに微笑んだ。
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