第28話
まっすぐ背中まで伸びた美しい黒髪。音楽室の奥に置かれたグランドピアノに向かい、軽やかな音色を奏でる少女が一人。僕の思ったとおり彼女意外誰もいなかったけれど、そんなことは重箱の隅をつつくみたいな些細なことで、肝心な部分が大はずれした。ここにいるのが
図書館に行く度に聞いていたこの曲は何だろう。そしてこの人は、誰なんだろう。
僕は知らないうちに音楽室の中入っていた。それでも彼女はこちらに気付いていないようで、ピアノの音は止まない。後姿しか見えなかったその人の横顔が見えるところまで来て、ハッとした。
ピアノを弾く真剣な眼差し。どこか凛とした雰囲気をまとったその少女に釘付けになる。秋の澄み切った陽光に照らされ、ピアノもその人もキラキラ輝いていて、とても綺麗だった。
こんな人がうちの学校にいたなんて。今まで声をかけてきた女子達とは比べ物にならない・・・なんて言うと失礼だけど。僕はこの人のことが知りたい、この人の声が聞きたい。女子と二人で話すこと自体にはドキドキしなくなったはずなのに、今目の前にいる彼女と話したいと考えただけで、僕の心臓は早鐘を打った。鼓動が聞こえてしまわないように胸に手を当てる。逃げ出したい気持ちがチラッと顔を覗かせたけれど、これまでのガールハントで得た自信が背中を押した。僕はピアノの方へさらに歩を進める。
「それ、なんていう曲ですか?」
よほど集中していたのか僕がいることに気付いていなかったのだろう、声をかけた途端に黒髪が大きく揺れ、乱暴に叩いたようなダダッという音と共に演奏が止んだ。そして慌てた様子で振り向いた。端正な顔立ち。それが僕の第一印象だった。
「あなたは・・・?」
美しい顔のその人は、驚きに満ちた大きな瞳で僕を凝視しながら言った。
「あの、急に話し掛けちゃってすみません。僕いつも図書館で聞いてて、どんな人が弾いてるのかと思って」
いきなり見つめられて軽くパニックになってしまった僕は、つい早口になった。明らかに怪しい奴だと思われてはいけない。落ち着こうと小さく深呼吸した。そんな僕をよそに相変わらず穴が開きそうなほどの視線が向けられているわけだけれど、さすがに居心地が悪くなり、彼女の足元へ目を逸らした。すると上履きの青いラインが目に入る。見たことないと思ったら、学年が違うのか。
「3年生ですよね?」
「えっ?」
僕は上履きを指差した。
「初めまして、僕2年の柳瀬晴人っていいます」
「はじめまして・・・そうだね、初めまして。私は3年の、あまのはるか」
そう言って笑ったが、少しぎこちない。あまの先輩はひどく動揺しているようだった。
「ごめんね、じろじろ見たりして。ここあんまり人が来ないから、びっくりしちゃって」
「いや、こちらこそ、すみません!知らない男子がいきなり来たらそりゃ嫌ですよね」
考えなしに行動するとすぐ空回りして情けないことになる。ここまで良いとこなしだ。僕は内心かなり凹んでいた。綺麗な人を前にして、つい舞い上がってしまったのだ。今となってはもはやちっぽけに思える僕の経験値が、あまの先輩の眩しさで塵のように吹き飛んでしまいそうだ。風の前の塵に同じってやつ。こんなチャンスもうないかもしれないのに。
「ふふ、そんな顔しないで。本当にびっくりしただけだから」
分かりやすくしょげていたのだろう、先ほどとは違う自然な笑顔で僕を見ていた。
なんて爽やかな人だろう。僕はこの人のことを、もっと知りたい。
「いつも一人で弾いてるんですか?」
「うん、その方が思いっきり弾けるし」
「あの、さっき弾いてたのって・・・」
その時。
キーン、コーン、カーン、コーン
予鈴だ。
僕らは同時に駆け出した。
少し前を走る彼女に向かって、聞いた。
「また来てもいいですか?」
あまの先輩は振り向いて言った。
「いいよ」
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