第12話

いつもはムードメーカーのひかるも、さすがに自分のレースの前トーンダウンする。それでもいまいち集中仕切れていない僕に見事な膝カックンを決め、ばっちり目を覚まされた。3人でジョグを始めると少しずつ頭の中は静かな落ち着きを取り戻していった。普段通りに練習のルーティーンをこなし、土のグラウンドとは違うトラックの感触を確かめながら感覚を擦り合わせていく。スパイクを履くと、大会に出るんだという気持ちが否応いやおうなく込み上げてきて、心臓が一瞬グンッと跳ねた。短距離陣は練習でも土用のピンを付けてスパイクで走ることもあったが、コンクリートの外周を走っているのがほとんどの僕ら長距離陣にはそれがない。だからある種の戦闘モードに入るスイッチだと僕は思っている。

前日の練習同様軽めの調整をした後、念入りにストレッチをして招集へ向かった。


「男子1500m予選の招集を始めます」

スタート表を持った審判員を囲むように、選手たちが集まった。

「1レーン、572番、滝沢君」

「はい」

「2レーン、348番、安藤君」

組ごとに次々と選手たちが呼ばれていく。狭いバックヤードを使っているから、運営側のざわめきや選手達の醸す緊張感が充満していた。

そしてあっという間に僕の走る3組目に入った。

「1レーン、735番、橘君。」

「はい」

「2レーン、443番、小山君。・・・小山龍一君?いませんか?」

少しだけ招集所が静かになる。

「では次、3レーン、612番、柳瀬君」

「はい」

審判の前に出て行き、ゼッケンを貼り付けたユニフォームのランニングを掲げ裏表しっかり見せる。さらにスパイクを裏返してピンの長さを確認してもらう。審判はパッと見ただけでO.K.を出すけれど、分かるものなのかといつも疑問に思う。大会の時にしか気にしないような僕が言うのも変だけれど。

「はい、いいですよ」

「ありがとうございます」


無事に招集を終え、テントに戻ると緊張もあって空腹が襲ってきた。バナナやゼリー飲料、そしてとっておきの梅干を食べてレースに備える。

僕らと入れ違いにアップに行った部員もいたけれど、テントの中はまだしばらくレースのない部員がだいぶ残っていた。気楽にじゃれあっている奴らもいて、僕の神経を逆撫でした。いつもは仲のいい部員たちをこんな時だけ疎ましく思うのを、我ながら勝手だとも思うけれど少しは気を配ってくれてもいいじゃないか。僕は早々にテントから離れ、近くの芝生に寝転んだ。顔にタオルを乗せて気分を落ち着かせる。

隣に誰かが座るような気配がした。

「朝イチのレースは集中しにくいものだな」

「・・・そうだね」

航太こうただった。僕に合わせてくれているのか。どっしりと構えて落ち着いた性格の彼が時間の違いだけで集中できないなんて。

「テントの中はうるさいし。あ、そろそろ時間?」

起き上がって時計を見る。スタート前の最後の招集まであと少しといったところだった。

「光も呼んで来なきゃ。光は?」

「テントにいるさ。あいつはいつでも喋って、いつでも笑ってるな」

「口から先に生まれたんじゃない?」

そんなことを言って、僕らも笑いながらテントに戻った。


スタート付近で最終確認を済ませ、ユニフォーム姿で時間が来るのを待った。壮行会では笑う奴もいたけれど、陸上のユニフォームは最高に走りやすい。たしかに極限まで薄着をしたようなこの格好で制服姿の生徒の前に出て行くのはちょっと恥ずかしい。でもスパイク同様、やはり気が引き締まる思いがした。

周りをみるとせわしなく身体を動かす者、軽いダッシュを繰り返す者、思い思いの過ごし方をしている。筋肉が固まってしまわないように動いておかなければならないのは分かっているのだげれど、僕はどうも動かずじっとしてしまうタイプだ。前の組のレースを凝視しながら、自分の番が回ってくることを無駄に意識してしまって動けなくなるのだ。


「硬いぜ、晴人くん!」

光が背中を勢いよく叩いてきた。

「楽しんで来いって、先生も言ってただろ?」

「光は柔かすぎるが、たしかに晴人は硬いな」

「航太一言多くない?」

気遣いが沁みた。自分たちだってこれからレースがあるっていうのに。

「3組目、準備してください」

2人の顔に背中を押され、僕はスタート位置についた。




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