第14話

夏休み最後の朝練の日、入念に惚れ薬を振りかけて家を出た。あのピンクの惚れ薬が入った小瓶をちゃんと持って出たかどうか何度も不安になり、バッグの中をいつも以上に何度も確認していたら、逆にケータイを忘れていることに気づいた。慌てて家に戻ると遅刻寸前の時間になっている。練習で培った脚力を存分に発揮し階段を駆け上がって、2秒で部屋の机からケータイを引っつかみ、自転車を飛ばして何とか間に合った。

光たちにひとしきりいじられ、木下にも盛大に笑われ、いつもの部活風景。でも僕は二人の顔をまともに見られなかった。

「集合ー!」

部長と顧問の高橋先生の前に部員たちが集まって並んだ。先生が3年生にとって最後の大会が近いとか、長距離は駅伝シーズンも見据えてとか、最後の練習らしくいつもより長めに話をしていたけれど、僕はどうやって木下にあの惚れ薬を振りかければいいかということばかり考えていてその半分も聞いていなかった。

木下は専門が違うから練習中は難しいし、学年も違うし、あまり1人でいることもない。でもどうにかして誰にも、本人にさえも分からないようにやり遂げなければ。頭をフル回転させて考えることに集中してしまったせいで、全員でする始めの挨拶がワンテンポ遅くなってまた笑われた。


休日でも学校があっても練習の流れはだいたい一緒だ。まず部長か先生の話があって、全員でアップに入る。内容は各自始まる前にメニューが書いてあるノートを確認しておかなければならないけれど、1000mのジョグ、体操、ストレッチ、それから基本的な筋トレが3種類。腕立て、腹筋、背筋をそれぞれ10回を3セットが終わると150mの流しを3本走る。ここまでを専門に関係なく皆でこなして、その後は種目ごと、各個人で練習をする。休日だと、たまに先生が仕入れてきた面白いメニューをやってみたり少しの遊びも取り入れられるけれど、今日はどうやらそれはなさそうだ。

木下は短距離が専門で、他にも幅跳びとリレーも掛け持ちしている。種目が違う上に、フィールド競技は校庭の中でも僕ら陸上部が割り当てられた場所の反対側でしかできないし、リレーとなればメンバーと行動する。もはや状況は絶望的。でも僕には一つだけ彼女が1人になるかもしれない時間に心当たりがあった。

練習が終わって、皆が帰りの支度をする前、手を洗ったり水を飲んだりして水道が混雑する。木下はお喋りが先行するせいもあるけれど、二つしかない水道を必ず他の部員に譲り、自分はいつも最後に使うのだ。幅跳びは靴に砂が入るし、どうやら念入りに足も洗っているらしい。上手くいけば、1人で残るはずだ。僕はそこに狙いを定めた。


とにかく惚れ薬の心配は練習が終わってからだ。それまでは自分の種目に集中するよう努めた。地区大会でのタイムはとてもいいとは言えないものだったし、記録会は競技場のトラックで走れる最後のチャンスだ。ここで結果を残して、良いイメージで夏のシーズンを終わらせたい。冬になれば駅伝も控えているけれど、雪が降れば室内練習が増える。今のうちにきちんと走っておかなくちゃ。

なのに、外周を走っていると木下の姿ばかりがまるでトリックアートのように目に飛び込んでくる。近くを通るたびに「ガンバー!」とか「ファイトー!」と声をかけられ、刻んでいた呼吸のリズムが定期的に狂ってしまって、いつもよりずっと疲れた。

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