第8話

いつの間にか、日が少しだけ傾きかけていた。暑さが徐々に和らいで、田圃ではそろそろ蛙が一斉に鳴き出す時間だ。夏でも朝晩は涼しくて過ごしやすいとはいえ、罰ゲームの内容はとっくに終わっているし、野良犬が出る森みたいなところで夕暮れを迎えたくはない。光や航太が心配していないだろうか?こんな突拍子もないことに付き合う義理もない。僕は、このままおばあさんを待たず帰ってしまおうかと真剣に考えた。


でも、顔を見ただけでどうして彼女がいないことを見破ってしまったんだろう?そんなに冴えない奴に見えたんだろうか?たしかに、つい2年くらい前まではつくしくんだったけど。光のような社交性やリーダーシップもないし、航太の持つ落ち着きや包容力を感じさせる凄みみたいなものも、僕にはない。みんなに追いつこうとあがいてもがいている無様な姿が、あのおばあさんには見えたんだろうか?


いよいよ僕のことを忘れてお茶でも飲んでいるんじゃないかと思い出した頃、おばあさんがまたひょっこり現れた。

「しばらく出してなかったもんで、どこしまったか忘れっちまっただよ」

そう言って僕に小瓶を2つ差し出した。1つにはエメラルドのような鮮やかな緑の液体が、もう1つには桜の花より少し濃いめの、おもちゃみたいなピンク色の液体が入っていた。

「香水?」

「ま、そんなとこかいね。でも、そんじょそこらの香水とは訳が違う。惚れ薬ってやつさね」

「はぁ・・・」

「お前さん、信じてねぇな?」

「そりゃ、急に言われても信じられないですよ。僕のことからかってるんでしょ?」

やっぱり帰れば良かった。とんだ子供だましだ。おばあさんからしてみたらどこから見たって子どもなんだろうけど、それにしたって今時惚れ薬なんて誰も信じない。ファンタジー小説とか、おとぎ話の世界じゃないか。

「自慢じゃないが、そいつは本物だよ。おらが丹精込めて作ったんだ、効果は折り紙付きさね」

「おばあさん、これ使ったことあるの?」

「こう見えても若い頃なん、そりゃあ美人だったからね。自分じゃ使わんかったなぁ」

「そんなの信じられるわけないじゃないか」

「失礼な子だね、写真見せてやるぞ?」

「おばさんの若い頃の話じゃなくて!使ったこともないのに効くかどうかなんて分からないでしょ?」


おばあさんは化け猫みたいに、三日月型の目でにたっと笑った。

「信じるか信じないかは、お前さんの勝手だがね、これを使って男や女を侍らせて身を滅ぼしかけた輩が何人もいたんだよ。使い方にはくれぐれも気を付けな」


最後に、緑は自分に、ピンクは気になる人へ一振りするようにと言い添えて、おばあさんは去っていった。

取り残された僕を夏の風が包み、木々がザァっと鳴った。

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