階段
企画書の見直し、終わり。
衣装もいくつか考えた。
時間もちょうどいいし、食堂に向かおうか。
私は机に手をついて勢いよく立ち上がる。寝室によってブレザーを手に取り、入口のドアの左上のあたりにあるカードキーを抜き取る。
私は今回が初めての寮生活だからあまり詳しくはないのだが、寮に鍵がついているのは珍しいそうだ。そのうえカードキー。この学校が金持ちなのか、それとも特待生が優遇されすぎているだけなのかはわからないが、とにかく君色学院は特殊だ。
噂によると、来年からオートロックのシステムも導入されるとか。
でもオートロックでカードキーだと、絶対部屋の中にカードキー忘れちゃって部屋入れなくなる人とか出る気がする。
まあ噂だしな。
来年も特待生に選ばれたらわかる話だ。
鍵がついているのは、多分だけど特待生に変な噂が立つのを防ぐためだろう。女子寮も男子寮も、それぞれの入り口には鍵がないから、個室に鍵がなければ自由に部屋を行き来できてしまう。
バンド科の生徒は他のバンドのメンバーやプロデューサーとそういう関係になってもさほど問題はないが、アイドルはさすがにまずいだろう。他のユニットのアイドルならまだしも、プロデューサーはアウトだ。
特待生に選ばれたプロデュース科の生徒は、君色学院を卒業してからもほとんどがプロデューサーを続ける。アイドルも同様。中には、学院を卒業した後、学院で仲の良かったユニットの専属プロデューサーとなるケースもある。
もしそのアイドルとプロデューサーが過去にそういう関係だったとすれば、十分なスキャンダルになり得る。鍵があれば、完全にとはいかないまでもある程度はそういうことを防げるだろう。
まあ校則では恋愛については明記されていない。してもいいがばれないようにうまくやれということだ。私はする気はないが。
部屋に鍵をかけて、ブレザーのポケットから生徒手帳を取り出す。カードキーを挟めるとまたポケットに戻した。
短い廊下を渡り、階段にさしかかる。まだ眠気が残っているのか、少しだけ瞼が下がってきた。ゆっくりと足を運び、やや狭まった視界で、階段から落ちないように手すりをつかんでおく。
と、次の瞬間。
「おわっ!?」
階段を踏み外したらしい。女子らしからぬ声と共に体が前方へと倒れていく。ここで「キャッ」とか言えればいいのだろうけど、生憎そんな可愛さは持ち合わせていない。
ここの階段急だし、落ちたら痛いかもな――なんて人ごとのように考えながら、手すりをつかんでいた右手に力を込める。
が、右手も滑った。
あっやばい!!これはやばい!!とさっきとはうってかわって焦る。どうしよう、受け身とるか!?いや、受け身とっても痛いだろでも下手に落ちるよりはいいのか!?
頭が走馬灯でも見えそうなくらいフルスピードで回転する。が、いい解決策は浮かんでこない。
仕方ない、受け身とろう!と半ば開き直る。
しかし、その必要はなかった。
誰かが優しく、私の体を抱きとめた。肩と胸の下あたりに手を回され、背後から抱きしめられているような状態だ。
え、何?何?さっき恋愛はするつもりはないとか言ったばっかなのにこんなイベント発生するの?寮の前にいるってことは特待生だよね?花みたいないいにおいがする、誰だろう――いや誰だろうじゃなくて。
落ちている時と同じくらいのスピードで頭の中に疑問符が回る。
とりあえず離れないと。
「…す、すみません!ありがとうございます」
噛みながらお礼を言うと、腕は私から離れた。その花の香りにつられるように私は後ろを向く。
『朧』の、千座先輩だった。
「いえ、お気になさらず。こちらこそ突然抱きしめる格好になってしまい…お許しください」
「いえっ、悪いのは私ですし…すみませんっ」
千座先輩が優雅にお辞儀をする。見とれてしまうほど無駄のない動きだ。
私はしどろもどろでとにかく謝る。こういうときってなんていうのが正解なんだ?
「こら右京、つばさちゃんが困っとるで」
「蓮華」
後ろにいた杜先輩が千座先輩の頭を軽く小突いた。千座先輩が顔を上げる。
いつの間にか東雲くんもいた。
「右京先輩に抱きしめられるなんて…なんて羨ましくて羨ましくて羨ましい…っ」
という呟きが聞こえてくる。東雲くんの美声で言われると内容など関係なく聞き惚れてしまうが、何言ってるんだこの人。
抱きしめられたいのか。
相変わらず、先輩愛は健在のようだ。
『朧』とは2回仕事をして、ライブを行った。東雲くんは一回目はただの美声の子というイメージだったけど、二回目からは化けの皮がはがれ、先輩大好きっ子だというのがわかった。それはもう病的なほどに。
あと、私に聞こえるってことは傍にいる千座先輩と杜先輩にも聞こえてるだろ。いいのか?先輩たちは気にしてないみたいだけど。
「つばさちゃんもこれから朝飯か?よかったら一緒に食べへん?」
と杜先輩。東雲くんが「何故!?」という顔で杜先輩と私を交互に見る。大丈夫か東雲くん。そのうち人刺すんじゃないだろうか。多分ヤンデレ気質あるぞこの人。一歩間違えればメンヘラだぞ…?
「いいんですか?」
私は視線を戻した。杜先輩の金髪が、差し込んだ朝日できらきらと光っている。
朝食のお誘い、か。特に断る理由もないし、いいんじゃないだろうか。アイドルとの交流を深めておくのも仕事の一環だ。…東雲くんに刺されない限りは。
「もちろんええで。右京もやっくんもええやろ?」
「私は構いませんよ」
「うう…蓮華先輩が言うんなら…」
「よしよし。ええ子やなあやっくんは」
渋々といった表情の東雲くんを杜先輩が撫でる。東雲くんの顔が一気に明るくなり、その後感動からかめちゃくちゃ嬉しそうな顔で手を震わせ、口をパクパクしている。
さすがリーダー。末っ子の扱いはお手の物ということか。
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