日が沈んだ世界 20

俺たちはフィルの家に着いた後、気絶したマナを部屋に寝かせ、それぞれの部屋に解散した。


廊下の奥にかかった時計はすでに2時を回っており一気に眠気が襲ってくる。しかし、眠気を上回る胸騒ぎが俺をベッドへと向かわせなかった。部屋に一つある窓から外を眺める。町はまだにぎわっていた。浮かぶクリスタル、酒を飲む男達。いつもの光景だが今日に限っては信じられないほどに耳障りに感じられる。


「どうしてだろうな」


思わず思考が声にでる。何度か殴られただけでトップレベルの剣士が倒れることなんてあるのだろうか?いや、答えは否だろう。それではなぜマナは気絶した?では精神的な何かだろうか?しかし、彼女の身に何かがあった記憶は・・・・。そうか、俺は知らないんだ。彼女が一体どんな環境で育って、

どんな風に生活していたのか。そもそも本当の名前すら知らない。そうだよな、それじゃあわかんないよな。しかし、それでもたった一つだけわからないところがある。彼女は俺たちに会う前の記憶は一切なくしてしまっている。それで、いったいなぜ俺たちの記憶に存在しないトラウマがマナの中で発生しているのだろうか?それってつまり・・・・記憶を取り戻したということなのだろうか?


思考に浮かんだ言葉はそれが最後だった。気が付いた時にはもう朝になっており俺はやれやれとベッドから起き上がった。昨日の出来事がどうか夢であるのことを願いながら・・・。




いつものように下に降りていき、いつものように外の井戸で顔を洗う。そして、いつものようにフィルに呼ばれ食卓へ向かった。セフは早々と学校に行きちょうど俺たち四人が座れる空間が出来上がる。しかし、今日はいつもと違い、俺の正面の席・・・すなわちマナの席が空白だった。


「おい、マナ、降りて来いよォ」


いつもなら「遅れてごめんなさい」などと天使のような声で階段を下ってくるのだろうが、

今日だけは何分待っても返事がなかった。


「ごめんなァ。もう起きてはいるんだけどよォ・・・」


当然だ。昨日あんなことがあったのだから・・・・。一体、なぜあんなことになったのかはわからないが、きっと俺が経験したことのないほどのことを彼女は経験していたに違いない。


それでは今、彼女は部屋の中で何をやっているのだろうか?薄暗い光の中で一人ぽつんと体育座りをしているのだろうか?想像するだけで涙がにじむ。


「今は、一人にしてあげたほうがいいのかもね」

「そうだな、それじゃ、俺が飯を扉の前に置いておく」


フィルはセフの手料理をおぼんに乗せ俺に渡した。俺はそれを受け取る。そして、そっと二回のマナの部屋に置く。明かりのない廊下にマナの部屋から漏れるオレンジ色の明かりが目立った。あれから三日がたつ。マナに置くご飯は一度も食べた痕跡もなく、生きているかどうかすら不明な状態だ。俺は今日もフィルからもらった朝ご飯を置いた。いつもなら、もう引き下がるところだが今回は俺の「部屋に行って慰めてやりたい」という衝動は抑えられる気がしない。フィルには絶対に入るなと何度も言われているのだが、これは時間がかいけつしてくれる問題ではないらしい。俺は勇気を振り絞ってドアノブをつかんだ。当然忘れずにノックをする。返事がない、俺はそれをオケーと受け取り、唾を飲み込みながら手に力を入れる。気が付けば手汗でいっぱいだった。


それを無視して開いていく扉。隙間から出ていく浮遊クリスタルがうっとうしく感じた。

扉の角度が上がるにつれ視界が暗闇に慣れていく。セミロングで玉虫色の髪、ほっそりとした体を小さく丸め、想像通り壁にもたれかかっている。


「元気そうでなによりだ」


俺の口から漏れた意外すぎる第一声。

それに驚いたのか一切光の届いていない瞳で俺のほうをみている。


いや、正確に言えば警戒してにらみつけているのほうが正しいのかもしてない。


「だってそうだろ。倒れて何も食べてないのにその様子。元気なほうだと思うぞ」


そういいながら歩く俺をマナはにらんでいたが三歩ほど前にでると突然に涙を流し始めた。


「近づかないで」


小さな声が耳に飛び込む。それでも俺はもう一歩近づいてみた。


「近づかないで!」


涙を流しながらそう叫んだマナは背中から双剣を抜き取り俺に突っ込んできた。

とっさに俺も抜刀しそれを体の前で構える。

両手で打ち込んできた一撃はホープセーバーから火花を散らせた。小刻みに震えるマナの目は影におおわれて見ることができない。しかし、地面に垂直に落ちていった涙が彼女の心情を物語っていた。


「なぁ、マナ。少し落ち着いてみないか。何があったのか教えてくれないか」


マナの震えが一瞬収まる。


「私は・・・・マナじゃない・・・・」

「えっ、なんだ?」

「私はマナじゃない!私は・・・・私はイブっていう名前」


やっぱり名前を思い出していたのかマナ・・・いや、イブは。


「じゃあ、イブ。一体何があったんだ?」

「ブレッドにわかるの?大切な人がいなくなった人の気持ち、生きる意味を失った人の気持ち、全員に嫌われた人の気持ち、トップから底辺まで落ちていった人の気持ち、ブレッドにわかるの?全部ブレッドにはわかるの?!」


息が詰まる。一体この子の身に何があったのか何一つ想像できない


「わからないよ」


低く漏れた俺の言葉にイブは全身を再び震わせる。


「でも、何も知らないからこそ、お前のことを全部聞きたい。お前のことを救いたいなんて野暮なことを言う気はない。でも・・・、


俺はお前の近づきたい」


俺の声がで終わってからしばらくの間イブは強くにぎりこぶしをつくっていた。しかし、30秒ほど経った時だろうか。彼女の全身はまるで何かがぷツンと断ち切れたかのように柔らかくリラックスした様子で俺をみた。久しぶりに見た彼女の目は怒りと悲しみに包まれたまるで人形のような目をしている。


「わかったわよ。全部教えてあげる!」


 怒りに染まったように聞こえたのは俺だけだろうか?その言葉を最後にイブは目を閉じて床に座り込んだ。

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