第2話

 ずいぶん久しぶりの再会であるはずだった。一年前、私は彼に振られたのだ。それも一方的に。

 君はきれいな人だ、セクシーで、俺には釣り合わないくらい、好きになってくれてうれしい―――

 彼の言葉はふわふわとしていて、嘘を本当をきれいに混ぜた、オーブンで30分。余熱を忘れたせいで、割れば生焼けのどろりとした生地があふれる。結局はあなたの都合の良い結果に落ち着くのよ、もっと堂々と言い訳を並べて頂戴。

 「私、別にあなたの事好きじゃないのよ。」

 そんな言葉で彼を止めるわけにもいかず、今度は今の彼女と別れられない理由を並べている彼を横目で見つめていた。とても格好良いとか言えない顔、頬にそりのこした髭が目立つ。電気を消した部屋、カーテンから漏れる向かいのアパートの光で私たちはぼんやりと浮かび上がっている。

 その日、どうやって彼が私の部屋から出て行ったのかは覚えていないけれど、数日後に部屋で会うのはあれっきりにしましょうと電話をしたのはこちらだった。

 彼は、今日俺誕生日なんだ、と頓珍漢な返事をしたので、おめでとうと返した。いとも簡単に途切れた連絡で、そういえばあの日身体を重ねた日も、思いつきのようにお酒を飲みに行っただけだったと気づいた。薄氷の上に私はたたずんでいたのだ。

 

 当時、私はずいぶんと穏やかな絶望感に抱きしめられていた。

 大学では事務員ともめて、付き合っていた彼氏との初めてのキスには不満があった。母親から何度か連絡があったけれど、メッセージは消してしまった気がする。部屋を片付けていたら、ずいぶんと昔に付き合った彼氏から与えられたたばこが出てきて、よせば良いのに火をつけた。

 Aと出会ったのはその数日前か、後だった。ひょろりと背の高いAは、猫背でおどおどとした目をしていて、少し私から距離を取るような態度だった。Aは彼女に振られたばかりだというので、美しくシャープペンシルを支える白くて長い指を見ながら、それなら私と遊びましょうよと言った記憶がある。

 しばらくたってAが私に心を開くようになったころ、ちょうど彼と私は夜を過ごしたのだ。


 自分よりも大きな、力のあるものにねじ伏せられる夜は、いつだって安心していた。私は異常なほどに自分の無力さを感じて、その力に屈してすべてを捧げ、委ね、放棄して、そうして散らばった自身をぼんやりと拾い上げれば良かった。

 実際、私は私の上にのしかかる様々ななまめかしくかすれた声や、苦し気な息遣い、征服を示す瞳を見れば十分に幸せになれていたといえる。その瞬間、二人から溢れるこの場だけの圧倒的秩序にのみ私は制御され、そのそばでたとえ悪魔や死神が笑おうとも、いともたやすく笑い飛ばすことができた。

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