サヨナラでくちづけ。

織部さと

第1話

 少し粘着質で、低い、声だ。

 彼が好きだというバンドのヴォーカルに似ているといえばそうかもしれない。

 ずいぶん昔に初めてこの歌声を聞いた時には、なんて素敵に歌う人だろうと思ったのに、今はなぜか腐ってしまっている。

 格好つけようとしてアレンジを加えた髪は、彼が思うよりもおかしな方向に向いている。お風呂あがりに自然な髪を誉めようと思っていたのに、じっと見つめているうちに、いつの間にか腕の中で眠ってしまっていた。


 サンダルの形に焼けた足をぱたぱたと揺らす。彼は私を後ろから抱きしめて同じようにそれを見ていた。腕の中で下から彼を見上げた時、薄暗い部屋の中で笑っている時、彼の顔は非常に先輩とかぶる。出っ歯の先輩はにひひと笑って、眼鏡の奥で目をきらめかせる。

 独特な不潔感と乾いた清潔感のまじりあう雰囲気も、そっくりだ。

 先輩は今なにをしているだろう。

 「とても似ているの。」

 私は先輩の嫌いなところだけを聞かせて見せた。彼はまったく同じ笑い方をして、その方向から見られないようにしないととつぶやいた。その割に私を抱きしめた腕は離れなかった。

 私の視界に入る彼の口元はやっぱり先輩に似ていて、嫌悪感に似た愛情を飲みこんでキスをせがんだ。






 私はただ、この空間を壊す人の登場を待っていた。それはたとえば、彼の彼女であっても良かった。

 そうして彼女に必死で言い訳をする横顔や、下手をすると私を罵倒するやもしれない唇に思いをはせていた。

 彼にはそのような役がずいぶんと似合った。

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