厄介な仕事
第13話 厄介な仕事 前編
その依頼はメールで来た。いよいよ悪人退治の日々が始まるのだ。
メールには具体的な内容が書かれている訳ではなく待ち合わせの日時と場所だけが書かれている。そこで初めて依頼の内容を話すシステムらしい。シュウトはそれなりの服装をして指定の場所に赴いた。
「ここで……いいのかな?」
指定された場所はどこにでもありそうな喫茶店。ちなみにシュウトはこの時、喫茶店デビューであった。
「いらっしゃい」
勇気を出して店内に入ると気のいいマスターが出迎えてくれた。何分初めての喫茶店で右も左も分からない。ファミレスみたいに席に案内してくれる人がいる訳でもない。
シュウトはキョロキョロと店内を見渡して該当する人物を探す。メールでは依頼をする人物は先に店に入っていると書かれていた。
そう、依頼人は同じ政府の関係者ではあるものの、先日家に来た彼ではない。慶一郎は役職が上なので普段は彼の部下が担当するらしい。
「あ、シュウト君、こっちこっち」
シュウトが挙動不審な態度を取っていると、店の奥の方で彼を呼ぶ声がした。知的美人と言う表現がピッタリの彼女以外に店内に客はいない。
つまり自動的にその人物こそが彼に仕事を依頼する依頼人と言う事になる。
シュウトは緊張で動きがロボットのパントマイムのようになりながら吸い込まれるようにその場所に移動した。
「うふふ、可愛いわね。ほら、向かい側に座って」
促されるようにその美人と相席になる。緊張でガチガチのシュウトは席には座ったものの、何も喋れずに俯いていた。
「緊張してるの?まぁ当然か、初対面だもんね。私は清水ちひろ。平山慶一郎の秘書をしてるの。今後はみんな私を通して依頼をする事になるからよろしくね」
慶一郎の秘書と名乗るその女性は、マシンガンのように一気に自分の事をまくし立てた。シュウトはまだ恥ずかしくて俯いたままだった。
「じゃあ早速仕事の話をしていい?もうちょっと時間が必要?」
「えぇと、あの……」
シュウトは喫茶店に入ってからずっと緊張したままだった。知的な大人の女性と一対一で喋る事もまた彼にとって初めての体験だ。
何か喋ろうにも言葉がうまく出て来ない。彼女の顔を見ることすらままならなかった。
そんな緊張した空気の流れる中、喫茶店の店員が注文を聞きにやって来た。緊張した空気がここで少し緩和する。
「失礼します。ご注文は?」
「そうね、シュウト君、コーヒーは?」
「え?えぇと…俺、喫茶店初めてで……」
このシュウトの言葉を聞いて、ちひろは少しいたずらっぽく笑うと彼の代わりに注文をしようとする。
と、その前に一応聞いておかなければならない事を思い出したようで、未だに緊張したままの彼に尋ねて来た。
「ふふ、そっか。じゃあどうしよう?コーヒー自体は飲めるよね?」
「か、缶コーヒーとかコンビニコーヒーなら……」
「あ、じゃあ大丈夫ね。彼にコーヒーを、ホットで」
「かしこまりました」
注文を受けた店員が戻っていく。
しかし未だに店内には2人以外の客はいない。ここはあんまり人気のないお店なのだろうか?
時間は午前10時を少し回っていた。小さい音量でクラシックが流されている店内の雰囲気は落ち着いていてとても心地の良いものだった。
シュウトは勝手に注文された事より、その後の事を考えて何とか口を開いた。
「えっと、あの……」
「気にしなくていいわ。私のおごり」
「あ、有難うございます」
コーヒーはおごりと言う事でシュウトは彼女にお礼を言った。手持ちのお金の心配がなくなったので彼は取り敢えず胸をなでおろす。ここでコーヒー代を支払っていたら彼の今月のお小遣いの残りの半分を失うところだったのだ。
シュウトが落ちついたタイミングを見計らってちひろが彼に書類を手渡す。シュウトは素直にその書類を受け取った。
その書類はコピー用紙数枚をホッチキスで留めた簡単な物だった。
「じゃあ、落ち着いたところでその資料を読んで」
「これ……」
「それが今回の依頼の資料……こう言うのがもう沢山来てるの。一応軽いのを回すようにするから頑張ってね」
そう言ってちひろがニコッと笑う。その瞬間、顔をあげていたシュウトは彼女と目が合った気がして直ぐに視線を資料に戻した。その様子を見てまた彼女はいたずらっぽく笑う。
資料に目を通しながら、シュウトはさっきの彼女の言葉に引っかかりを覚えてその事について質問をした。
「沢山って、もしかして政府は俺らみたいなのを」
「そうね、把握しているだけでも貴方のような人を10組ほど……。全員何とか協力は取り付けたわ」
「そ、そうですか……」
自分はその10組の中の1人なんですね……その言葉が喉まで出かかったものの、シュウトは何とかその言葉を飲み込む。
しかし政府が把握しているだけでそんなに異世界の生き物と現地の人間が融合しているだなんて。一体それをどうやって調べたんだろう?
シュウトの頭の中はもうそればかりになってしまい、目の前で資料の内容を懸命に説明している彼女の言葉は余り耳に届かなかった。
「資料を読んでもらうと分かるけど、事件はこの近くで起きているの。ね?放っては置けないでしょ」
シュウトが担当する案件の説明をちひろが淀みなく説明していると、その説明を遮るようにコーヒーが運ばれて来た。
コーヒーのあの独特の香りがシュウトの鼻腔をくすぐる。話が中断したタイミングを見計らって、彼はさっきから疑問に思っていた事を彼女に質問した。
「わ、分かりました。それであの……ちひろさんも、もしかして」
「何?私に興味を持ったの?」
このちひろの悪戯っぽい返答に、変に誤解されているんじゃないかと感じたシュウトは恥ずかしくなってすぐにその言葉を引っ込める。
「あ、いえ、やっぱいいです」
「冗談よ。本気にしちゃって可愛い。そうよ、私の中にもいるわ」
「あ、やっぱりそうなんですか。いや、特に意味はなかったんですけど、聞いてみたくて」
それは一体どんな……この言葉もまたシュウトは飲み込んだ。いきなりそこまで聞いてしまうのは何だか失礼な気がしたからだ。
聞きたいけれど聞いちゃいけない……そんなシュウトのもどかしい雰囲気を察したちひろは彼に優しい言葉をかけた。
「私は仕事に直接協力は出来ないけど、出来るだけサポートはするつもりよ。頑張ってね」
「あ、はい、頑張ります」
「……コーヒー、飲まないの?」
そう、シュウトは運ばれて来たコーヒーをまだ一口も口をつけていなかった。この喫茶店自慢のコーヒーは通をも唸らせる味らしい。
コーヒーの善し悪しが分かるほど舌の肥えていない彼にその判断はまだ難しいかも知れないけれど……。
シュウトがすぐにコーヒーを飲まなかったのは彼の身体的特徴故のものだった。
「えっと……俺、猫舌なんです。もうちょっと冷ました方がいいかなって」
「本当、シュウ君って可愛い」
「シュウ君?」
突然ちひろの口から聞き慣れない言葉が飛び出してシュウトは固まってしまう。今まで特にあだ名らしいあだ名で呼ばれた事のない彼に、その言葉の響きはとても新鮮に感じられた。
同級生に言われたならまた感じ方も違うのだろうけど、知的な年上の美人から言われるのはまんざら悪い気もしなかった。
「あ、ごめん。気に触った?」
「いえ、そんな事は……。そう言われたのが初めてだったから」
「ふふ、そう言う事か。じゃあ私は仕事があるから失礼するね。コーヒー、味わって飲んでね」
ちひろはそう言って何度目かの笑顔をシュウトに向けると、颯爽と喫茶店を出て行った。ぼうっと彼女が店を出て行くのを見送ったシュウトは、その後で出されたコーヒーをずずっと一口飲み込む。
時間が経って少し温くなった砂糖もミルクも入れずに飲んだそれは、とても苦くて大人の味がしていた。
「喫茶店……コーヒー……。今後はこう言う事が当たり前になるのかな……」
コーヒーを飲み終えて喫茶店を出たシュウトは、さっきまでの光景を頭の中で反芻していた。これから彼がなさなければならない事は、この時点では全く彼の頭の中に存在していなかった。
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