エピローグ


 ―――どうも、最近の私は自堕落な生活を送ってしまっている。


 名前付きのロストとの死闘の後、遂に力尽きてしまった私は彼によって異庭領域の病院に運び込まれたらしい。診断結果は魔法による治療も併用すれば大きな傷になるものはないと聞いて、ほっとしたのは記憶に新しい。嫁入り前の体に傷がつくのは流石に嫌だった。

 一週間のリハビリの後、休学していた学校に復学しようとした時に私を待っていたのは、名前付きのロストを撃破したことによる、政府からの表彰と周囲の好奇の視線であった。私は座学ばっかりが得意で、彼の言う通り実技はボロボロだ。だから、まさか自分がこんな舞台に立つことになるだなんて思いもしなかった。……この中で私が、本当に一人で戦っていた訳じゃないって知っているのは親友の結だけだった。


 ―――二週間。いつも傍らで騒がしくありながらも私を見守ってくれて、最後には私を認めてくれた彼はいない。病院で目が覚めたときには彼の姿はもうどこにもなかった。


「あ~や~かっ!」

「ふぇ、結?どうしたの?」

「うりうり、元気がないぞ~。そんなに愛しの彼がいなくなったのが寂しいのか~?」

「そ、そんなこと無いよ!……多分」


 結の言うようなことはなかったはずだ。結局、最後の辺りまで真に打ち明けられたとはいい難いし、彼が自分に恋愛感情を持っていたとは思えない。私にとっては、とっては……うん?何なのだろう?彼の人柄は好ましいものだったし、素顔も割と好みなタイプだった。だけどこの胸の感情は単なる「好き」って言葉じゃ言い表せない。


「ええ~、寝るときに毎日ネグリジェで胸を押し付けておきながら~?」

「結が提案したんじゃないですか!」

「はっはっは。何のことだか知らないねえ。大体、せっかくスッケスケのエロい奴を貸してあげたのに何で、結局着てないのよ。あれを見れば男なんてイチコロよ?」

「あんなの着れるわけないじゃないですかあ!」


 私の全力の抗議もどこ吹く風とばかりに受け流されてしまう。大体、いくら杖になっているからといって異性と密着するのだ。普通の寝間着でもすっごく緊張したのに、あんなスケスケのだと頭がオーバーヒートしてどうにかなってしまう。


「はう」

「……?」

「……分かってるんですよぉ。このままじゃいけないって事は。でも仕方がないじゃないですか。ずっと、一緒だったんだもん。急にいなくなっちゃ、困るよ……」

「彩香……」


 机に突っ伏した私はそのままぼそりと言葉を漏らす。普段なら口に出さないような泣き言だって親友の前では別だ。

 私が気丈に振る舞えたのは、いつだって彼が傍にいたからだ。彼の命を背負っているという責任が、臆病な私を奮い立たせてくれた。

 ……今、心の中にあるのは、強烈な喪失感だった。

私はもう、彼のマスターではない。それなのに、今の生活にどうしても慣れないのだ。彼がいないだけで何にも手が付かないのだ。

 私はどうしてしまったのだろう?彼がいないなら、もう気を張る必要なんてない。普通の少女として生きれるというのに、それがとっても、寂しいことと思ってしまうのだ。

 結果、私は何をしていいか分からないまま、自堕落に日々を送ってしまっている。


「会いたいよぉ、ソラぁ……」

「……重症だなあ。まったく、杖君もちゃんと話してから、帰ればよかったのにさ」


 泣き言ばっかりだ。そんな風に自嘲して、されるがままに、結に頭を撫でられる。彼女の優しさが、今の私には何よりも身に染みた。




「……また、来ちゃった」


 最近は、この場所に来ることが日課になっていた。

 彼と始めて出会った場所。落ちる夕日が町に良く映える高台の墓地。


「ここに来たら、会えるかもだなんて、そんな訳ないのになあ……」


 手すりに持たれて、ぼーっと、遠くの空を見る。

 紆余曲折はあったけれど、彼は自らの体を取り戻し、平和な日常へと戻っていった。

 これ以上ないハッピーエンドだ。境界線は再び張られ、私と彼の人生が交差することはもう無い。彼が幸せに生きられることは私も嬉しい。

 ……けれど、それと同じくらいに寂しさも感じているのだ。

 彼にとってあの二週間は思い出したくも無い嫌な事ばっかりだっただろう。突然、死にかけて、こんな私に無理矢理、従えさせられて。やっていられないと思うことばっかりだったはずだ。

 それでも、私にとって、あの二週間はとっても掛けがえの無いもの、だったんだ。

 生涯、持たないだろうと思っていた杖を自らの手で生み出したことを、すっごく怖く思って、それでも潰れずにいられたのは彼が私を理解しようと歩み寄ってくれたからだ。


 ―――彼と、話がしたい。戻ってきてなんて言わないから、ちゃんと笑ってお別れをしたい。私の今、願うことはそれだけだった。


「……来るわけないか。自分が殺されかけた場所だもん。しばらくの間は、近づきたくないよね……」

「……そうでもないみたいだぜ?」

「えっ?」


 声がした。今、一番、聞きたい人の声だった。

 恐る恐る、振り返ると、そこには困ったように苦笑いをしたソラの姿がいた。


「いやあ、最近はドタバタしていてさ。妹に行方不明の話を追及されたときは大変だったんだぜ?」

「……あ、えと、その」


 言いたい事はいっぱいあったのに、いざ目にすると全部吹き飛んでしまった。言葉にならない声だけが口から出てくる。


「どうしたんだよ、アヤカ。俺を迎えに来たんじゃないのか?」

「そ、そんなこと無いよっ!私はただ、ソラにちゃんとお別れを言いに来ただけ!これ以上、君が、私に付き従う理由なんて……」

「あるよ。理由ならある」


 咄嗟にソラの言葉を否定する。言いたいことは喉をつっかえて、なかなか出てこなかったそれだけはすんなりと出てきた。寂しい気持ちはあるけれど、ソラはもう私と関わらない方がいいのだ。

 だけど、ソラは意地悪そうに、そして優しく口にする


「アヤカはへっぽこだからな。―――俺がいなくちゃ、世界にその名を轟かせる魔法使いになんてなれないだろ」


 それは、彼に自己紹介したときに自分で言った言葉だった。ソラはあの時、私が演技をしていたことを知っている。別に本気で言ったわけではない。結と一緒に考えたキャラ設定というだけで私自身は魔法にそこまでの意欲を持っていない。

 私の戸惑いを感じ取ったのか、やれやれといった様子でソラは私を見る。


「……理由なんてどうだっていいんだ。俺は君に命を救われた。だから、どんな些細なことでも君の行く道を支えるって決めた。―――俺はアヤカの杖だからな」


 真っ直ぐな目で、彼が放った言葉は―――尊厳に満ちた、一人の少年の決意だった。

 私が自堕落な生活を送っている間に、ソラは既に覚悟を決めていたのだ。


「俺の死に場所は、俺が決めていいんだろ?生憎、自分一人じゃ死ぬこともできないからな。それなら、俺の死に場所はアヤカの傍だ」


 もう、まともに彼の顔を直視できなかった。嬉しいのやら、悲しいのやら。自分の感情が抑えられない。

 ひんやりとした、熱を感じられない彼の胸に顔を埋め、ポツリポツリと言葉を紡いでいく。


「……ホントにソラはそれでいいの?」

「うん」

「私、ただの女の子だよ?」

「知ってる」

「……私じゃソラの思いに釣り合わないよ」

「アヤカだから、俺はこうしたいって決めたんだ」


 ソラは私の言葉に静かに、誠実に答えた。彼は本気でこの選択を貫き通そうとしているのだ。今更、私が何を言っても揺るがないのだろう。


「……ばーか、ばーか。ソラのかっこつけ。……そんなに言われちゃ、断れないじゃん」

「……良かった。これで断られたらどうしようかと思っていたんだぜ?それじゃあ、もう一度だけ、ちゃんと聞いとこうかな」


 これから共に歩んでいく為に、最初の一歩は肝心だ。涙を指で払い、嬉しさですっごく、にやけちゃっているかもしれないけれど、私はそのまま顔を上げ、ちゃんと目を合わせる。


「―――アヤカ、アンタが俺のマスターか?」

「―――うんっ!」


 ソラの言葉に、思いっきりの笑顔で私は返事した。


 ―――これから始まる未来は、きっと想像もつかないような波乱に満ちたものだろう。それでも、隣にソラがいるなら怖くない。どんなことだって乗り越えていけるはずだ。


 そんな予感が私の心を巡っていた。


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