真実、そして……②


『……ん』

「……目が覚めたんだ。良かった、のかな?」


 どのくらいの時間が経ったのだろう。奏良は目を覚ました。彼の目には困ったような笑みを浮かべる彩香の顔が映っていた。よく見ると彼女の体はボロボロだった。欠損こそないものの、そこら中から血を流し、彼女の制服は赤く染まっていた。

 それを見て思い出す。奴のことを。


『……っ!あいつは、何処に!』

「魔法で、幻を見せて逃げてきた。でも多分、もう少しで解けちゃうと思う」

『……そっか』


 彩香の言葉を聞いて奏良は少し落ち着きを取り戻した。


「……思い出しちゃったんだ。怖かった、よね?」

『うん。すっごく、寒いんだ。心が冷えて仕方がないのは、やっぱり死にかけているからなのかな。……なあ、アヤカ。あの日、本当は何があったんだ?』

「……私たちは、あの日の巡回任務の最中に、高ランク、名前付きネームドのロストと応戦した。“獣士”と呼ばれているあの化け物と。本来なら一流の魔法使いが複数人集まって討伐するところだけど、私たち生徒も先生達がくるまでの時間を稼ぐために応戦したの。といっても、安全圏から遠距離攻撃をしていただけなんだけどね」

『……』

「目論見は見事に成功。先生達と入れ替わりに生徒は全員、離脱した。……その時、たまたま死にかけているソラを見つけたの」

『……ああ、うっすらとだけど、覚えている』

「そっか。……ソラの体はボロボロで正直、もう死んでいるものだと思っていた。近づいて、『死にたくない。まだ、死ねない』って独り言を聞くまでは。……今考えると、ソラが結界内で意識を保っていたのも、魔法適正が高かったからなのかもしれないね」

『……そんなこと言っていたのか、恥ずかしいな』

「……ロストによって汚染された体を直すには、一流の魔法使いが数十本の杖を使い潰してようやくってところ。そして、同じ魔法使いでもないソラを、そこまでして助けるお人よしの魔法使いなんていない。肉親を頼っても無駄な事は分かりきっていた」

『……実質、俺はもう死ぬしかなかったってわけだ。……それでも、たまたま俺を見つけた魔法使いは底抜けのお人よしだった。なんとかして俺の命を繋ごうとした結果、一つの方法を思いついた』


 その方法は生きた・・・人間を贄として万能魔術補佐礼装である杖へとその身を作り変える吐き気を催すほどの邪悪な魔術。人間の欲を満たすための魔法を、彩香は今にも死にそうな瀕死の人間の命を繋ぐために使ったのだ。


「私はあなたの体を杖に変え、あなたをこんな目にあわせたあのロストは隙を見て逃走した。……これが、あの日起こったことの全て。そしてあなたを元の体に戻せない理由だよ」

『今、元に戻っても死にかけの男が死ぬだけ、か。そして、完全に元の姿に戻れないことを知って俺が絶望しないようにこのことを隠した。……そうとも知らず、俺は元の姿に戻せとアヤカの気持ちも知らずに無神経な事をずっと言っていた訳だ』

「それは……仕方ないよ。きっと私が同じ状況になったら、もっとみっともなく泣き喚いていたと思うよ?」

『……それでもだ!何が自分は間違ってないだ!どの口が言っている!みっともない戯言を聞いてこんな形でも命を繋いでくれた恩人に、俺がどれだけの罵倒をしたかアヤカは覚えているだろう!』

「うん、ちゃんと覚えてる。けれど、そんなに気にしてないよ」

『何故だっ!助けてもらった恩義も忘れるような畜生など、とっとと殺してしまえば良かっただろう!こんな最低な奴の為に、どうしてアヤカはそこまで出来るんだよ⁉』


 奏良の慟哭が響く。全てを知り、彼の胸に生まれたのは自己を押しつぶす程の罪悪感だった。

 彼女がどんな思いで過ごしていたかも知らずに、いや毎晩、罪の意識でうなされている彼女を知っていながら、俺は心無い言葉を浴びせ続けたのだ。こんな恥知らずはさっさと死んでしまえ!……冗談でもなんでもなく、本気で彼はそう思っていたのだ。

 しかし、そんな言葉を聞いて、彩香はそれを受け入れるかのようにニッコリと笑った。


「そんなことないよ?」

『……は?』

「ソラはとっても優しい人だよ?」

『アヤカに俺の何が分かる!』

「分かるよ。ソラはいっつも小言ばっかりでうるさいし、人が気にしていることだって沢山言うよ。でも、私から目を逸らすことはなかったし、私が本当に落ち込んでいるときには何も言わずに立ち直るのを待っていてくれた。それに……私を認めてくれた。それだけで、どれだけの力になったか分からない」


 言葉を返すことはできなかった。この二週間近く、誰よりも近い場所で自分が彼女の本心を探っていたように、彼女も自分のあり方を見てきたのだ。自分でも気付かないような些細なことからでも、彼女は俺を信用してくれたのだ。


「それにね。初めて会ったとき、今にも死にそうだった君は私を見て、言ったんだ。死にたくないって繰り返していた君が、私の顔を見て言ったのは、助けを求める言葉なんかじゃ無かった。―――『逃げろ』ってね。自分では気付いてないかもだけど、君だって私を見て、自分の命よりも私の心配をするようなすっごいお人よしなんだからね」

『……そんなこと、覚えてない』

「だからだよ。無意識に他人を思いやれる君が、悪い人な訳ないよ」


 ……敵わないな。と奏良は心の中で嘆息する。素通りしてきた痛みに比例するだけの痛みを求めていたはずなのに、彼女の底抜けの優しさにいつの間にかほだされていたのだ。そんな彼女だからこそ自分は力を貸そうと思ったのだと再確認した。


「……でも、もう終わりかな。うん。せめて私が最後に出来ることは、君をちゃんと死なせてあげること、だね」

『それって、どういう……』

「言葉のままだよ。増援は多分間に合わない。もう魔力もすっからかんだし、今、発動している魔法が切れたらそれで終わり。……私が死んだら、君を杖から戻せる人はいなくなる。その魔法はね、契約者にしか解くことは出来ないんだ。だから、絶対に私は死んじゃいけなかったんだけど……ごめん。もう無理みたい」


 ぴしり、ぴしりと、ガラスがきしむような音がそこら中から鳴り響く。彼女の魔法が崩壊を始めているのだ。まもなく、幻が崩れ、奴が再びこちらを視認するだろう。


『……アヤカはこれで、良かったのか?』

「……良くないよ。まだまだ一杯やりたいことだってあるし、友達ともう会えないなんて嫌だ。……それに、せっかく奏良が認めてくれたのに、このまま終わりなんてやだよぉ……」


 彼女が奏良の前で泣き言を言ったのは、始めての事だった。

 ゆっくりと、自分の中から熱が消えていく感覚。

 死の怖さは誰よりも知っていたはずなのに、彼女が今から迎えるそれを予感して恐怖していないはずがないというのに、それを隠して俺を安心させるように笑っている彼女になんて馬鹿な質問をしたのだろう。

 決壊した心はもう止まらない。彩香の目尻から涙が止めどなく溢れる。


『……すまん』

「ちがっ……違うよ!ソラは何にも悪くない!本当なら、私がもっと頑張らなきゃ……」

『もう、いいよ。アヤカはもう十分頑張っただろ。後は、俺に任せろ』

「えっ……?」

『マスターだからって俺の事を気にしなくていいよ。死に場所は、俺に決めさせてくれるんだろ?……だったら、俺の死に場所はここじゃない。こんなところで終わらせなんてしない』


 彼女の涙を見て、覚悟は決まった。


 常に自分が誇れるようなマスター、そんな重荷を背負わせ続けたのは、俺に力が無かったからだ。俺の命を背負って、それでも彼女は泣き言一つ今まで言わなかったのだ。

 そんなマスターを一人残して、死に逃げなんてしたら今度こそ、俺はただの恥知らずになってしまう。


 彼女を守るために必要なものは、一つを除いて全て揃っていた。

 ―――今まで、自分の魔法が上手く発動しなかったのは、イメージが足りなかったからだ。決闘のときだって、本当は盾を作ろうとしたのに出来たのはただの空間の歪みだった。結局のところ、二週間の付け焼刃ではまともなイメージなど出来ないのだ。彼には遂に『魔法を行使する自分』がイメージできなかった。

 だけど、自分の体だけは違う。生まれてきてからずっと慣れ親しんだ姿など、イメージせずとも彼の中にあったのだ。今まで、元の姿に戻れなかったのは杖となったこの身を元に戻すことばかりに固執していたせいだ。

 そうじゃない。元に戻すのではなく、新たに作り直すのだ。大気中から魔力を得る万能魔術補佐礼装である今のこの身を受け入れ、これをベースに自分の体を創造する。魔力はそこら中からかき集めればいい。

 後、必要なのは魔法を行使するための強い思いだけ。


 ―――イメージしろ。彼女の為に戦う力を。決して倒れず、彼女を守り続ける最強の自分を!


 奏良は自分の為にではなく、主のために、平穏な日常に戻るためでなく、守るための力を手に入れるために魔法を行使する。


 大気が振動し、青白い魔力がその場を浮遊する幻想的な光景の中、遂に彩香の魔法が掻き消えた。

 パリンという呆気ない音と共に、“獣士”と呼ばれたロストが突貫する。瞬きの合間に眼前に現れた彼は何の躊躇いも無く、その手を彩香に突き出す!


「ソラ―――!」


 自分が奏良の命を背負っている。その一心だけで勇気を振り絞ってきた彩香だったが、心のタガが緩んでしまった今の彼女は何も背負っていない、ただの少女だった。

 故に、彼女は抵抗など出来ない。死ぬのが怖い。その一心だけで、彼女は僅かの間、自分に付き従ってくれた彼の名と共に―――助けて、と叫ぶ。


 ……彩香の心臓を寸分違わず、貫くはずであった手刀はその寸前で止まっていた。


「……ウチのマスターに、手ぇ出すなっ!」

『……グフウッ⁉』


 ロストの手首を掴んで、手刀を食い止めた少年は、怒りのままに、ロストのがら空きの腹部を殴りつけた。

 左腹部がその一撃で消滅し、声を荒げたロストはこのまま捕らえられていてはそのまま殺されると本能的に判断し、掴まれている右手を自ら切断し、その場を飛び退いた。


 彩香は、その少年の事を知っていた。今にも死に絶えそうだったのに他人の心配をしていたその少年を。杖となってしまってからは何だかんだ言いながらも自分の事を認めてくれた少年を。


「……悪い。遅くなった」

「ソラぁ……」


 ポロポロと涙を零しながら、彩香は目の前の、普通に生きていた頃と寸分違わない元の姿を取り戻した奏良の姿を見上げた。


『キサマ、アノトキノ!ナゼイキテイル!ナゼソノヨウナチカラヲモッテイルノダ!』

「さあ?案外、女の子を守るためなんて単純な理由かも知れないぜ?―――なんてったって、男は単純で馬鹿ばっかだからな!」

『ヌカセ!』


 ロスト“獣士”は激昂しながらも、最大限の警戒を持って奏良に襲いかかる。左腹部と右手を失ってなお、狼という見た目らしく敏捷性は衰えていなかった。


「よいしょっと」

「わ、ひゃあっ!下ろしてー!」

「ははっ、こうしてみるといつもと居場所が反対だな、マスター!」


 直ぐには攻めてこないところを見て、奏良は自力で動けない彩香を背負う。冗談交じりに彼女を茶化すその姿からは余裕と言いようもない安心を感じる。

 彩香を背負い運動に制限がかかったと思ったロストはフェイントを混ぜながら、奏良に攻めかかるが、その攻撃が奏良に届くことは無く、とても人間とは思えない脚力で適当にあしらわれる。


「さて、マスター。任せろと言っておいてなんだが、やっぱり力を借りてもいいか?」

「ふぇ、でも私にもう魔力は残って無いよ?」

「その辺は心配すんな。この身は未だに杖として機能している。いやそれ以上だ。今の俺は大気中の魔力を自由に使える。奴に止めを刺すには、強力な魔法が必要だ」

「それだったら、ソラが自分で魔法を使えばいいんじゃ……」

「そこまで俺は器用じゃないよ。自分じゃ集めた魔力は体の維持と強化くらいにしか使えない。近接戦闘も相手があれだけ警戒していると、止めを刺すのは難しいだろうし、あんまりぐずぐずしていたら、あいつが冷静になって逃げちゃうかもしれない」

「……ソラは、私の力が必要なの?」

「ああ、マスター!他の誰でもない、アヤカが俺には必要だ!」

「は、う……」


 難しい説明なんていらない。その言葉だけで十分だった。普段の彼らしくない真っすぐな言葉を聞いて、顔の火照りを感じながらも彼女はただの少女ではなく、彼のマスターとして戦う意思を再び固める。今度は背負うのではない。肩を並べる仲間として。


「魔力は全部こっちで用意する!だから、アヤカは何の心配もなく、昨日みたいに思いっきりぶっ飛ばせ!」

「……うん!」


 短いやり取りの後に、2人はそれぞれの役割を果たすことに集中する。

 彩香は今、自分の持てる最強の魔法の構築を。奏良は魔法を確実に当てるために、ロストの機動力を奪うことに。


「さあ、こいよ!ロスト!あのとき俺を殺してくれた礼はたっぷりしてやるぜ!」

『イキガルノモイイカゲンニシロッ!ガキィ!』


 防戦一方だった奏良は一転して攻めにでる。

 無限の魔力をもって無敵の体を手に入れた彼だったが、それだけで勝てるほど勝負は甘くない。

 彩香の体を支えるために両手は塞がっている。それに彼の戦闘経験など、喧嘩が数回程度と鼻で笑うほどの経歴しかない。今の状況では幾万もの時を戦いと共に生きてきたロストに純粋な戦闘能力では劣っていた

 ……しかし、それが何だというのだ。自分を信じ、体を預けてくれている彩香。その体から伝わる逆転のための魔法、そして彼女の胸の鼓動や温かさが奏良に勇気を与えてくれる。


「……そこっ!」

『グオッ!』


 数十の交錯を経て、遂に一瞬のスキをついた奏良は、ロストを全力で蹴り飛ばす。

 警戒もあり、体が四散するというスプラッタな光景にはならなかったものの、ロストの体は宙に吹き飛ばされ、完全な死に体となっている。

 そして、既にロストの体には2人の重ね合わせた手が向けられていた。


『チクショオオオ!!!』

「「『紅に沈む地平線ボーダー・エクリプス』‼‼‼」」


 始まりと終わり、生と死を分かつ緋色の境界線。奏良が好きだった光景を模したこの一撃はロストに見事命中し、体の内側から焼き尽くした。

 後に残ったのはロストの核であるソウルの残骸のみ。


―――かくして、名前付きネームドのロスト。“獣士”は二人の少年少女の前に敗れ去った。

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