だからみなさん、私が何を言いたいかっていうと、

こんなサイトで発言すると炎上しそうなものだがあえて言おう。

「小説を書いてる」と発表するほど恥ずかしいものはこの世にそうない。



書くこと自体は、いい。好きに書けばよい。ただそれを、リアルの自分を知っている人間に知られていいかどうかは全く別の話だ。


私が初めて小説を書いたのは年端もゆかぬ4歳のころ。初めて書いたものは今でも残っている。自分と弟を主人公にした物語だった。どこからともなく(なぜか)空中を飛んでやってきたイルカが、(なぜか)私と弟を拉致して宇宙へ連れ去り、(なぜか)めいっぱい遊ばせてくれて(なぜか)そのまま何事もなく家族のもとへ返してくれた……という、自分に都合のよすぎる物語であった。

ちなみにコレ、母がとあるコンクールに出品し、審査員の『すごくいいと思います』というなげやりなコメントが書き込まれて帰ってきた。賞は、とれなかった。



そんなわけで、私が小説を書くことを家族はよく知っていた。

だから、そこは、いい。


問題は友人である。



仲の良い友人というのはホント罠のごとき存在だ。ついつい自分の書いたものを見せたくなってしまう。面白いね、と言われたくなってしまう。

その誘惑に負けて、当時の友人にとあるオリジナル小説を読ませた初めての思い出といったら……もうね、自分の書いたものをひとに読んでもらうのがあそこまで緊張し、嫌な汗をかくもんだとは思わなかった。

生きながら死ぬってこういうことなんだな。って思った。

それに懲りて、私は長いことひとに小説を見せることをやめていた。


ただ、ネットは別だ。

自分の面さえ割れなきゃ、何を書いたって堂々と公表できる。


というわけで、今となっては恥ずかしくもなんともないが、私の華々しい小説デビューは銀魂の夢小説からであった。……いや、けっこう恥ずかしいな、コレ。文字にしてみるとなんともいえないカンジ。

ま、しかし事実なんだからしょうがない。

私は世をときめける夢小説作家であった。

……4歳にして書いた人生初の小説が、早くも自分を主人公にした小説だったのだから、ある意味これは期待を裏切らない成長だといえる。


小説を書く、というたのしみは、自然自分の中に閉じ込め、思春期にエロ本を嗜む男子学生のごとくこっそりと行われるようになった。

プロでもない人間が小説を書く、という行為に耽ることは、基本的に『イケナイ遊び』感を伴うのだと私は思っている。それがいいんじゃないか! 誰にも見せられない妄想を垂れ流す快感といったら!!


参加していたランキングはことごとく上位に入り、コメントもけっこう頻繁についたりしていたので、モチベーションは常に高く保てた。もちろんこれは自慢である。わたしはいっぱしの夢小説作家であった。その自負は夢を書かなくなった今もある。というか、今も感動した作品に出会うとまず夢小説を書きたくて指がうずく。ま、サイトから立ち上げるのが面倒で自分で書くことを放棄し、すでにあるサイトを漁るべくランクを検索するわけだが―――そこで好みの作品に出会えなかったりすると、やはり自分で書くしかなかろう! と妙な使命感で胸が燃える。こんな大人になった私を中学生の時の私が見たらきっと絶望のあまり号泣するだろう。でもね、少なくとも今の私の基本的な文章力は夢小説で培われたものなのだよ……文章ってほかにどこで会得しろというんだ。国語の授業でそうやすやすと得られるもんでもなかろう。いいか若者よ、夢小説を書け! 絵文字も顔文字もなく会話のやりとりだけでもない地の文しっかりしたオリジナルキャラが出てこない夢小説を書くんだ!!!


……。


…………?


なんの話だっけ?


ああ、そうそう。小説を書く、ってことについてだった。


本を読み、夢小説を書く、という私の娯楽サイクルは脈々と高校まで続いた。以前書いたように私は対人恐怖症で他人と遊びに出るということができなくなっていたので、この一人遊びは私の青春の大半を消費して行われた一大産業であった。毎日文を読み文章を書いていたらそりゃ、夢小説でなくっても基礎的な文章力くらいはつくってもんだ。授業中もノートに書いてたもんな、小説。ノート一冊なんて文字をびっしり書いてすぐ埋まった。あのときの狂ったような生産量はもう再現できない。クオリティはともあれ、生産量だけは赤川次郎かってくらいすごかった。


で、大学を選ぶとき。


私は、小説を「書く」コースがあるところを受験した。2回落ちて、3回目、最後の最後の日程で滑り込むように合格をもぎとった。


入学式。

近くの席にかわいい女の子がいたので、清水の舞台からミサイル抱いて飛び降りるくらいの気持ちで声をかけた。女の子は同じ学部の人だった。なんと、その後成績別に振り分けられるクラスも同じになった。お互い探り探り話してみると、本棚の中身がなんとほぼ同じだということが判明し、


「あと……さ」


そのかわいい女の子はこういった。


「……夢小説って、知ってる?」


双方、読むほうじゃなくて書くほうだと知った時の失笑といったら。




その後の怒涛の展開といったら、「いままでの私は一体?」みたいなあっけにとられた感がある。




選んだ学部がそうなんだから当たり前だが、周囲の奴らはみんな小説を書いていた。誰しもドラゴンを知っていて、勇者を知っていて、恋愛を書き、異世界を書き、そして、それを公開することに余念がなかった。なにしろ授業で先生が配るプリントに、各自が書いた小説が印刷されているのである。それについて意見したり、意見されたり―――


「書いたものを誰かに読んでもらう」ということに、完全に抵抗がなくなったわけではない。それでも、最初のように顔から火が噴くような恐ろしい感覚をおぼえることはもはやない。鍛えられた。鉄を叩くがごとくガンガン鍛えられたね。なにしろ先生が声に出して読み上げるからね。50人の前でね。「ちょっとオチがよくわかりませんね」とか言われるからね。それに比べりゃ少々の批判なんて屁みたいなものである。評価がつかない、点数がつかない? 何点つこうがプラスでしかなかろう! マイナス点がないうえに批判がそもそもルール違反に値するこのサイトは温室のごとくやさしい。


自分の文章がいかにヘタクソで、いかに何も考えていないかを巨匠たちの文章から教えてもらい、自分の文章がいかにまあまあ読める程度なのかはクラスメイトの支離滅裂な文章から教えてもらう。毎日毎日、そういうアップダウンの激しすぎるアメとムチの繰り返しで、その中でなにくそこなくそ次こそは、あいつよりは私の方が! と作品を書く。

もちろん、ぐうのねも出ないほどやりこめられ、大事なキャラクターをめったくそに拒否されることもあった。……でも、楽しかった。批判するやつは私の小説を読んでくれたのだ。それがもうおなかいっぱいなくらいうれしかった。


書くこと以上に、読まれることの快感を知ってしまえば、そこはもう異世界。

読まれることを恐れるだけのころからは想像もつかない、ユートピアなの。

ほんと。

……ま、マゾヒストの扉をひらいただけかもしんないんだけどさ。



「あなたがこれを書いたの? へぇ……」


この言葉が、「うわーっ!」と叫んで逃げ出したくなるような羞恥をもたらすときとはまた違う。

「ええそうですよ、意外ですか?」とむしろドヤ顔して迎えられるようになってみるといい。ネットで公開して「いいね」もらったときとはまた違う快感がめぐること、うけあい。

そうなるにはある程度場数を踏んで、恥ずかしさに地をのたうち壁に頭を叩きつけ涙目で批判に甘んじるという修羅場を経験せねばならないのだが……ウン。それでも書くことをやめられないヤツのみ、最終的に快感を勝ち得るわけで。勝ち得た時には、きっと自分の文章に少しは自信をもてるように、なっているわけで。

なにがいいたいっていうと、






だからみなさん、夢小説を書きましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る