ケーキとコーヒー

並列でものごとをニコサンコ、同時に処理するのが非常に苦手です。


一週の間に予定が二つ以上入るともうダメ。楽しみなんか吹っ飛んですべてが憎くなる。自分の手際の悪さ、やることリストの長さ、通り過ぎる時間、近づくスケジュールにもう恐怖恐怖。泣いてドタキャンすること数知れず……って、さすがにドタキャンは中学生までだったけどさ。高校生の時には、「誰かと遊ばない」という選択肢スキルを手に入れてたよ、あたしゃ。


独りぼっちは非常に楽なのだ。

精神が安定する。


年がら年中外に出てないと落ち着かない、家にいたら時間をごみ箱に捨てているようで落ち着かない! と公言してはばからないバイト先の先輩がいた。その人に「ハムは休みってなにしてんの?」と聞かれ、自分の部屋から一歩も外に出ませんと答えると驚愕されたもんだ。


「生きながら……死んでるようなものじゃないか……!!」


やかましいわ。







旅行が好きで、休みもふらふらとひとりでどこかへ出かけるようになった今でも、一人が一番好きだということは基本的に変わらない。


こないだは初めてひとりカフェとかしてみたけれど、女子力の扉は固く閉ざされたまま開く気配がなかった。休日にカフェめぐりするのが趣味♡と言える日がわが人生に訪れる日は遠い。ないとは言わない。注文した飲み物に口をつけながら、(まさかこんな日が来るなんて……)と冷静な無表情の内面でドキドキしていたのは当の本人なのだ。永遠に来ないと思っていたこんな日がきたのだから、人生、明日に何が待ち構えているか本当に分からない。


その後、なにをトチ狂ったか、私はひとつ600円もするきれいな色のケーキを買った。ケーキ屋での買い物は初めてではない。舌の肥えた祖母が入院したとき、見舞いの品を買うのはいつも百貨店でだった。そごうさんには本当にお世話になった。あの祖母ときたらパッケージに惑わされることなく、本当に値段の高いものだけをウマイといって食うのである。安いものも出されれば食うが、まるで修行のような顔して食べる。エライもんで、百貨店で売ってあるものを修行顔で食うことはなかった。あのとき、百貨店はやはりスーパーとは違うのだなあ、ということを覚えた。


なんでケーキを買ったのかは未だにわからない。保冷剤をもらってきれいな箱のケーキを持ち帰りながら電車の中で首をかしげる。食べたいわけでもなく、祝い事があったわけでもなく。

……たぶん、普通の女の子がしてきたことで、私がしたことのないことをしてみたかったのだと思う。



私がしてこなかったことは多い。平凡だが、「普通」のラインにはまだ立てていないのだと思う。

思うに、「普通」になるにもそれなりの体験が要るのだ。


もちろん、何もしてこなかった時間は「生きながら死ぬ」わけではなく、私の場合大量の読書量に換算されてちゃんと「生きて」いる。枕草子の原文を毎日ひとつずつ読み、溶けるように過去へあこがれたあの気持ちを先輩はいつまでも知ることなく死んでゆく、それはそれでざまあみろである。



……ケーキは、持ち帰って母と食べた。

母は喜んでいた。よかったよかった。

自分がこのケーキを買ってきたんだなあと思うと、変な気分だった。私の仕業とは思えない。


直後、友人から連絡がきた。今地元に戻っているが、明日には大阪へ帰るという。少し会えないか、と。


今日はめずらしく外へ出る日だなあと思いながら玄関を出るとそこに友人がいた。

バリバリの営業マンとして働く女子である。上司のグチ、仕事のグチ、彼氏のグチなどをふんふん聞きながらしばらく歩いた。


「ここはいいなあ、まるで変わらなくて」

「ハムも変わらないし」

「ここで暮らすことが一番幸せよね」

「ハム、ずっとここにいてね。あんたがいてくれると、帰ってきたーって気分になるんだ」


勝手なことを言うなあ、と苦笑いしながらウンウンとうなずいた。

そういうことを言われると、どこかへ行ってしまいたくなるのが私の悪いところだ。このまま地元へ残っていては友人の言いなりになっているようで癪に障るではないか。


いっそ目を覆いたくなるような金髪に染めて、全身に穴をあけてピアスでもなんでも装着し、一歩踏み出すたびにシャンシャンと鈴でも鳴らすようなけたたましい音を立てるファッションにでもなってやれば、「変わったね」と言われるのであろうか。「変わらないね」と言われ続けて何年になるだろう。



私だって小学生のままではない。

なにしろ、ひとりでお茶を飲んで、ケーキまで買ってくるようになったんだぞ。






なーんて言って、

それが大真面目なことであることをわかってくれる人が、どこにいるだろう。


いない。

それが「普通」だ。







―――ま、所詮はその程度の変化だしなぁ、と遠い目になる。

私にとってはけっこうおおきなことなのだが、言葉にするとかなりスケールが小さい。コーヒー飲んでケーキを買えるようになったからなんだというお話だ。


真に「変わった」といえるのは、ひとりぼっちより、外出が楽しくなった時なのかもしれない。その点ではまるきり、私は生まれた時から変化がないままだ。あのときおぼえた楽しみを今でも大切に部屋の中で転がしている。


いつか、部屋の外のほうが楽しいと思える日がくるのだろうか。

さあ、わからない。わからないけれど、誰と一緒にいても常に感じる疎外感や孤独感を感じなくなるのなら、そこはどれほど薔薇色の世界だろう。自分で創りだす楽しさより、他人の技術を買って楽しむやりかたはそれはそれは贅沢なのだろう。








数日後。

あの時の先輩に、偶然会った。もともと家は近かったから、会ったこと自体はそこまで不思議ではない。


「ハムじゃないか! お前を外で見る日が来ようとは!」

しょっぱなから失礼な人である。


「太陽が当たっても死んだりしないか? 大丈夫か?」

殴ってやろうか。


「一人で外に出るとか……あ、どこか行くの? え? 買い物?」

ええ、もうすぐ旅行へ行くので、必要なものを買いに。


「旅行?」

はぁ。アメリカに。


「……海外!?」

はい。


「……………………」

どうかしました?


「…………………………………………お前、変わったなぁあ……!」


半泣きになりながらヨシヨシと頭をかきまわしてくる先輩。


ぐしゃぐしゃになった前髪の下で、かつて「死んでる」と言われた人に自分の変化を悟ってもらえて、あまつさえ褒めてもらえるなんて、やはり人生何が起こるかわからんなあ、としみじみ思う私であった。






「あの」

「うん?」

「もうひとりで、喫茶店も入れるんですよ」

「うおお!? すっげー!! 成長したなあ!」

「ふふん」

「じゃあ今から奢ってやろうか!」

「遠慮します」

「いいっていいって! そこのカフェおいし「結構です飲みたくないです」……そういうスタンスは変わってないよね!」

「できるとしたいは違うんス」

「そうネ。雲泥の差があるよネ」

「はい」

「……」

「……」

「……ねえ、お茶しない?」

「いやです」

「ハイ」

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