嗚呼ここに綴るは諸行無常の響きなり。

はつこいは、ツルゲーネフの書いたもののようにうつくしかった。

忘れもしない小学生のとき。

林間学校の星空の下、真っ赤になりながら「好きです」といってくれた男の子のことをよく覚えている。


そこまでは普通の恋愛遍歴……だった……はずなんだけど……


むしろ小学生の時までしか、人並みに愛し愛される喜びを受け止められなかった、というべきか? 早すぎる。早すぎるよ、終わりが。なにその首ごともげる椿みたいな堕ち方。





中学生の時、おそろしく言い寄ってくる男の子がいた。仮名をフシノにしよう。

周囲をはばからず好きだ、大好きだ! と声高に言ってくれるひとだった。頭がよく、顔がよく、スポーツもできた。間違いなくスクールカーストの上位で、そういうひとが好きだ好きだと言い寄るものだから、周囲もそれを思いっきり盛り上げネタにし、向こうからフシノが見えると「ほら来たよ」、「こっち見てたよ」とさわぐことひとしおだった。鬱陶しかった。


……おもしろかったんだろう。

部活一筋で飾りっ気のない真黒な女の子が、どうしてあいつに気に入られたのか分からなかったから。

ただの友人関係なら誰も気にかけないものを、恋や愛やがからむと若者は異常にヒートアップする。



今思い返してみるとアレはほんとうに少女漫画のようだった。フシノはリアル風早くんである。私は髪が短く、十円玉と同じ色の肌の女子だった。360度どこからみてもぱっとしない逸材であった。



……覚えているとも。


そもそもの始まりは君に届けのようにさわやかなもんじゃないのだ。

それは、私とフシノしか知らないことだけど。



フシノに届いたのは愛でも応援でもなく罵倒だったのだ。



よぉーーーーーーく、覚えてる。

わたしゃ、何気ないからかいを投げてきたフシノに向けて「話しかけんな」と返したのだ。

当時も今も男子というものが全く理解できず宇宙人のように思っている私には、そういう未知の生物と目線合わせて話し合える技術も自信もなかった。お願いです話しかけないでください近寄らないでください面倒です。そういう切なる思いを込めた懇願がソレすなわち「話しかけんな」に凝縮されていた。


「ハァ?」と喧嘩腰で応対されたため、私は人に呼ばれたふりをしてすみやかにその場を離れた。印象は最悪だったろう。



―――そして次の日、フシノは皆の前で宣言した。


「ハムが好きだ!」






What?






「お前と話してすげー衝撃を受けた!」


……それは単にショックを受けただけでは?


「女子と話しててあんなこと言われたの初めて!」


でしょうね、ええ。

スターに向けてあんな口きく傍若無人な女子はそういないでしょう。


「俺初めて気づいたわ、調子乗ってた。もっとお前と話したい!」


私は答えた。


「気持ち悪い」









……思い出すだに恥ずかしい。調子に乗っていたのは完全に私の方だった。


いくら好きだといわれていても、それが相手に何をしてもいいという免罪符にはならないのだ。私はただただ礼儀を忘れた阿呆だった。

心で思った罵倒が滑るように口から出る悪癖はこのとき完全に確立された。


まあ、そんな罵倒を笑顔で受け止め「そういうところが好き」と言い放ったフシノ君(中学二年生)もたいがい病気だったが。




男子ってやっぱりワケわかんねえ、と、心底怯えた。




フシノ君とはそのまま何もなくお別れした。卒業の時に「お前は俺を変えてくれたよ。一生忘れられないと思う」と言ってもらったが、今になってその言葉の意味がひっかかる。変な扉を開いたりしていても、私は責任が持てない。




高校でも小さな恋があった。当時所属してた部活の部長だ。いい選手だった。やさしくて努力家の人。年が二つ離れていた。

いいな、と思って告白したら、二つ返事で「おれも」と返事が返ってきた。


瞬間、恐怖に襲われた。


いやいや、嘘じゃん。あんた絶対、私のことなんか眼中になかったよ。名前だって知っていたかあやしいよ。









ひとがひとを好きになる、ということの不思議さ、おそろしさを、私はどうしても理解できない。どういうわけか、私は好きだといわれることに心底怯えるようになった。最初は男性恐怖を疑い、次に自分が同性愛者であることを疑って、声をかけてきてくれた女の子と付き合ってみたこともあった。結果は同じだった。


好きだといわれた瞬間、突き刺すような恐怖に襲われる。


どう形容したらいいものかわからない。とにかくひどい吐き気としばらく前が見えないくらいの涙がぶわーっと止まらなくなる。嗚咽で呼吸が苦しくなり、ただ、自分を恋愛対象として見る相手から逃走したくてたまらなくなる。

かつて私は告白された相手からの着信を恐れ、告白されたその日に携帯電話を解約した。


……あんな苦しみを味わうくらいなら、恋愛などしないに限る。それくらい強烈な恐怖だ。大人になってから中耳炎を患い、顔面腫れあがって鼓膜が破れるまでの数時間、病院も閉まっていてただただ耐える以外何もできずあまりの激痛に泣き叫んだことがあったが、正直恋愛するくらいならもう一度中耳炎になったほうがよい。



まったくもって恋だけはもうこりごりだ。



ひとりぼっちの未来は怖いけれど、誰かが私に好きだというのはもっと怖い。

一人で楽しく暮らすすべを今から学んでいっているのは、誰かと二人でいられないからだ。







だから私は恋をせし男女みんなにいいたい。


好きと言われて、私もよと返せることの偉大さをよくよく噛み締めよと。


誰かが自分を好きだといい、それを自分も受け入れることができる奇跡がどれだけありえないものか知っていたら、誰も恋の相手をおろそかには扱えないはずだ。


恋ができるということは、奇跡なのである。






……。



その奇跡が絶対に舞い降りない身だからこそ切に恋愛の素晴らしさがわかるだなんて、神様、皮肉すぎやしません?

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