集中治療室の撮影会

祖母が緊急入院し、胸を開いて心臓の手術を行いました。当初予定されていた手術時間を大幅に超え、十時間もの時間をやきもきしながら……人の命がかかっている時になんだおのれはと言われるかもしれませんが、ま、それだけ待っていたらお腹がすくわけで、病院内の売店で軽食を買ったりしつつ、過ごしました。



こちらの祖父母は、以前お話ししたレジェンドの方ではございません。文学全集の方の祖父母です。

田舎の化け物祖父母とは違って、人並みに、年齢に沿った老い方をしております。



こちらの祖父母。小さいころからずぅーっとお世話になっております。私が本好きになったのは、間違いなくこの人たちが岩波の少年少女世界名作大全を目の前にチラつかせてくれたおかげですし、ふとした時口ずさむ童謡も、この人たちが小さいころサブリミナル的に刷り込んでくれた賜物です。家にカラオケボックスがあるセレブっぷりでしたからね。



ただ、弾けないピアノを教え込もうとしたのは失敗でしたねー。祖母が奮起して教えてくれたんですが、そもそも祖母、楽譜、読めないし。二人して必死で、「ド! ド! あ、ちがう、えーと、ド、レ、ミ、ファ……ソ! ソだ!」っていちいち楽譜の上にカタカナ書いてね。暗号解読のようにメヌエットを弾きましたね。

バイエルが国家機密レベルの難関だった。




お年寄りにありがちなことですが、最近は祖母も、口を開けば自分の病気のことを話すようになりました。


「もうばあちゃんアカンわぁー」「あーしんどしんど。はよ楽になりたい」が口癖。

仕方ねえと分かってはいても、こちらとしちゃ病院以外の話ができねーのか! どうせするなら面白う編集してお送りしろ! と言いたくなります。



まあね。


それでも、グチりつつ生きてくれてる方がいいんだけどさ。



居なくなったときになって、『もっと親身に話を聞いてあげればよかった』ってさめざめと泣くのはごめんなので、「ウンウンどこが痛いの。ここ? あ、そう……じゃ、おいしいものでも食べてごまかさんとね。うし、買って来てやろう。何が食べたい? あんパン? こし? つぶ? あーやっぱね、そこは、こしあんだよね。譲れないよねー……は? じいちゃんはつぶ? ちょ、空気よみな、ばあちゃんは全部じいちゃんに合わせるんだから、今くらいこしあんが食べたいって言いな! ほらじいちゃん、どっちが食べたい? こしあんよね? こしあん買ってくるからね! ばあちゃんそんな申し訳なさそうな顔せんでよろしい。じいちゃんは本心からこしあんが食べたいって言ってるんだからさ。じゃ、行ってくるからね」



帰宅後、



「コンビニでもちもちのチョコパン売ってたから買ってきたー」



笑う祖父母と一緒に、三人でそのパンを三等分して食べるわけ。


その時ばかりは、病気の話よりカラオケのお話しとか、近所の人の話をしてたなー。







もりもりと病院内でチョコパンを食べながら、『祖母が死んだら』ということを考えてみる。







手術室に行く前、ばあちゃん、不安そうだった。


「ハムちゃん」って言いながら手を握られた。


泣きそうになってた、ばあちゃん。


私、なんて言ったんだっけ?






あ、そうそう。


親指立てて、「グッドラック!」て言ったんだっけ。






「大丈夫よ、寝てたら済むからね!」


「でっでもでもでも」


「安らかに寝てたらええからね!」


「縁起の悪いことを言うな!」


「お早いお帰りをお待ちしてるね!」


「アンタはホンマに頭が悪いな!」






…………これが最後の会話とか、笑えねえ……。







手術後。


麻酔から目覚めない祖母が、たくさんの管と人工呼吸器に繫がれて集中治療室へ移された。



首をかしげる主治医。


なんで目が覚めないのか分からない……もしかして、手術中のカケラが心臓に入って脳に送られて脳梗塞起こしてるかも、とのこと。



青ざめる私たち。



とりあえず、枕元で名前を呼ぶ。ばーちゃん! ばーちゃーん! 手術終わったよー! ばあちゃん!


母が泣いている。おかーさん、もう起きてもええんやで! おかあさん、ようがんばったねえ。おかあさん。



それでも祖母は目覚めない。



職場からそのまま母の車でやってきた病院。帰りしな、二人で車の中でため息ついた。



「こんなことになるなんてねえ……」



ホンマ、そうですわ。



「明日は起きるかもよ」


「うん、わたし明日も来るわ。ハムは?」


「私も仕事帰りに電車で来るから、帰りだけ一緒に帰ろう」






こんな感じですが、昏睡も三日目に入ると、開き直りが出てきまして。



「なんか腹立ってきたな。こっちがこんな心配してんのに、爆睡されてたら」


「顔の写メ撮ったろか」


「そうしよ。起きた時見せたろ」



看護婦さん、にこやか~に、「撮ってもいいですよ~」



バシバシ撮ったった。


「はい、笑って~」「いいね美人だね! 口から出た管がいい感じ!」


集中治療室の撮影会。

撮るだけとって、二人でボロボロ泣きながら笑ったっけな。




結局祖母は、一週間眠って目を覚ました。




あの時の安心感といったら、はかりしれないものがあった。起きてからいろいろ混乱してたらしく、母のことを覚えていなかったり、人を殺したと錯覚して、身代金数千万を用意しないと、など騒いだりしていたけれど、これはよくあることらしい。管をちぎってベッドから降りようとするものだから、結局ガチガチに拘束されたりなんかして。



最後はあまりにさめざめと「人殺しになってしもうた」と悲しげに泣くものだから、



「どういう人だった?」「男の人?」「黒髪の?」「入院着の?」「ああソレ3005号室のハヤシさんじゃん? さっきそこ歩いてたの見た」「ほんとほんと。ピンピンしてた」「殺してない、生きてるよぉHAHAHA~」



ってさも見たかのように教え込んだら、「よかった、よかった」って泣いて喜んでた。



母親には、すげー疑惑の目で「あんたよくもまあ川の流れのように口から出まかせ言えるな」って言われたけど。






先日ようやっと退院しまして、うちから近所の自宅へ帰れました。


手伝いに行くたび謎なのは、じいちゃんの好みが急につぶあんからこしあんになったことですかね。



仲のよろしいこと!

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