近未来シミュレーション

料理というものは、己を信用しないところから始めなくてはならない。






私は家事が苦手だ。実家住まいながら自分の分の洗濯は自分でやるし、皿や風呂など洗えるものは洗うけれど、料理だけは両親ともにやってくれるので手を付けない。

今はスマホひとつあればおいしくて簡単なレシピが見つかるので、書いてあることに逆らわず忠実に頑張れば私でもなんとかなる。


そんな私が、七日間、自分のめしを自分でつくらなくてはならなくなった。

(両親が「イタリア行ってくる」と言った次の日異国へ高飛びしたためである。)


徒歩十分圏内に祖父母と叔父が暮らしているので、本当にめしに困ればそこに転がり込めばよい。

まずはひとりで頑張ってみよう、と冷蔵庫を開けた。




空っぽだった。




カラッポとはこういうことをいうのかと思った。

なんもない。わさびすらない。

あの両親、旅行前に入念な計画を立てて食糧庫をカラにしていったらしい。


静かに白い扉を閉めるとともに、料理へのやる気が失せた。


冷凍ご飯があるかどうかチェックしたが、いつもはゴロゴロ転がっているラップ巻きのごはんもきれいになくなっていた。くそー。

なにはともあれ米をといでセットしておく。

これさえあればかつえて死ぬことはない。


……とりあえずその日の昼は蕎麦をゆでて食った。






「れんげ荘」や「食堂かたつむり」、「太陽と豆のスープ」などを読んでいると、丁寧な暮らしのうつくしさにあこがれる。

日本人らしく四季とともに、旬とともに、毎日の作業を丁寧におこなう尊さを体現しつつ生きていきたい、とは思う。

かっこいいではないか。毎日花や草に水をやることからはじまる生活とか。


でもなー。

実際、丁寧に生きるどころじゃないんだよなー。


時間があれば横になりたい。寝たい。重力がキツい。自分以外の命を気遣う前に自分の命が疲れ切っている。何か食えば胃痛がし、少し動けば頭痛が襲ってくる。うまいものを食いに出かけるより、自宅でうまくないものを食らったほうがいい。

四季を愛でる前に夏の日差しを憎み、冬の寒さを呪い、毎日これ負の感情をエンジンに生きてる気すらする。




いかん。

これではいかん。


うつくしくない。




こんな生き方を死ぬまで続けていいのか? 私はそんなことのために生まれたのか? 否!!!

こんなの憲法25条に違反してる!


重い体に鞭打って、徒歩五分のスーパーに歩いた。人が集まる場所は嫌いだが背に腹は代えられない。


スーパーに着いてふと我に返った。そっか、こういうのってレシピを先に決めてから来るんだっけ? なんも考えずに来ちゃった。

検索しようにもスマホおいてきちゃった☆


己のポンコツっぷりに驚愕しつつ、スマホだけをとりにまた片道五分の道を戻るのを惜しんで適当に店内を物色しだす。自堕落ここに極まれり。


早くも脳裏に祖父母の家がチラつく。

だめだ。そこは最終手段だ。死ぬ間際に駆け込むくらいの気持ちでいよう。

これは自分との闘いである。


私は結婚しないし、近くに頼れる親戚もいない。いたとしても、年齢的にみな私より先に逝くだろう。弟がいるが、あいつには頼れない。結婚して己の家庭を築き、あいつはあいつでうまいことやっていくだろう。私はそれに関わるつもりはない。


つまり、この先ひとり生き残って生活していくとき、料理くらいできなくてどうする、という気持ちがあった。

これはシミュレーションだ。

近い未来の。




とりあえず……豆腐を買った。

あと鶏肉。


豆腐は、なんか、最悪そのまま食えるし、

肉は……焼けばいいだろ。


野菜は皮をむかないといけないから面倒くさい。




家に帰って鳥を焼いた。

気付いた時には炭になってた。


元の姿とは似てもつかない塊を呆然と見下ろしながら、醤油をかけて食べてみる。醤油の味が風味を引き立てた立派な炭の味がした。

そっと、箸を、置いた。



おとなしく器具をかたづけたあと、本を読みながら炊き上がった白米をもそもそ食べた。文字通り、本をおかずに夕食をとったわけだ。ごはんだけを食べるより食が進んだ。茶碗一杯を空にして、本を読み切ってから皿を洗って、寝た。




その日、夢を見た。




ひとりぼっちで本を読みながら白米を食う夢だ。私は年を取っている。

今、米農家をやっている祖父が送ってきてくれているおいしいお米ではなく、スーパーで買ってきたよその土地の米を食っている。味が違う。


目が覚めてしみじみした。

昨日なぜか炭になった肉は、天啓だったのかもしれない。

貴様はこんな哀しい生活を死ぬまで続けていくつもりか、と……



断じてイヤだ。





次の日、仕事帰りに野菜と肉を買ってきた。

帰宅した家のドアノブに、大量の野菜が詰まったビニール袋がさがっていた。農家の祖父母が留守中に来てくれていたらしい。この状況下でもたらされた救援物資は震えるほどうれしかった。これだけあれば、当分生きていける。


覚悟はできた。絶対に食材を適当に扱うものか。

自分がどれだけ信用ならない人間か、私は知っている。普通にできるだろうと思った「肉を焼く」という行為すらまともにできないダメ人間だ。何を信じても己だけは信じない!


慎重に慎重に、全神経をはりつめて調理をした。

「15分弱火で蒸し焼き」の「15分」でさえ時計とフライパンを必死に見比べながら台所に立ち続けた。目を離すものか……!

大さじも小さじもきっちりはかったし、「少々」とか「適量」とかいう初心者殺しの文句は少しずつ調味料を加えつつその都度神経質に味を確かめた。


料理はとてもおいしくできた。






おいしくできたけど、料理って楽しくねえなあ……とぐったりしてしまい、次の日早々に祖父母んちに駆け込んだから、当分自堕落からのがれられそうにない。


三十路までに、ひととおりのことはできるようになりたいものである。

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