紙の本は麻薬のごとく甘く。

私の部屋には、本棚が三つある。

そこには麻薬がつまっている。





全て自分で注文して組み上げた。自分の身長よりなお高いソレを玄関から二階の自室まで自力で持ち上げ階段を引きずりあげ、寝る場所さえ材木に奪われた窮屈な部屋で工具を用いて完成させた。


なぜなら私は本の虫だから、と、胸を張って言いたいのだけど、実はそうでもない。一番背が高い本棚は全て漫画が支配している。コミックより活字がエライなどとのたまう気は毛頭ないけれど、コミックを読み漁る人を本の虫とはいわないだろう。


大学在学中の四年間は、漫画しか読まなかった。


友人が悪いのだ。だってそろいもそろってみんな面白い漫画ばっかりすすめてくるんだもの。あのころ夢中になった漫画が一体いくつあったか、もうさだかには思い出せない。仲間内で面白いものを回しあって、授業中だって読み漁っていた。

活字の本なんて、教科書としてやむなく買った漱石の「こころ」とか、中上の「千年の愉楽」とか、谷崎の「春琴抄」とか、紫さんの「源氏物語」とか、そんなんしか読んでない気がする。

楽しみとしての読書ではなく、教養だった。



思い返せば大学に入る前の高校三年間はひたすら図書室に入りびたり、本ばっかり読んでいた。ビッタビタにひたっていた。だって三年間一学期も逃さず図書委員を務めあげ、図書室の蔵書点検を一人でつとめあげ、昼休みの貸出返却係を他の生徒から譲ってもらってほとんど毎日ひとりでやったんだもの。むこうは昼休みが空いてラッキー、という感じでとても嬉しそうだった。私は私で、図書室でお弁当が食べられるから嬉しかった。これぞギブアンドテイクだ。


そんなこんなで司書教諭の先生に顔を覚えられ、やがて絶大な信頼を勝ち得て新刊本を回してもらえるようになった。あの学校の所蔵するすべての有川浩の著作に最初に手を付けたのは間違いなく私だ。棚に出る前に本が回ってくるという反則行為をしてくれた悪い先生には今でも感謝している。(その悪い先生に「司書資格取れ」といわれて大学で資格を取り、今図書館で司書をやっているから、人生ってすごい。)


夢枕獏の「陰陽師」シリーズ、司馬遼太郎の「燃えよ剣」、有川浩の「図書館戦争」―――


まいにち読んだ。読みまくった。高校のことをほとんど忘れてしまった私だけど、あの図書室の本は今でもよく思い出せる。司書教諭が虎視眈々と私を見張っていて、一冊読み終えたら自動的に本が出てきたのだ。

12月になれば「34丁目の奇跡」、テストがない時は分厚い「ネシャン・サーガ」、忙しい時はエドワード・ゴーリーをさらりと読んで棚に戻し、夏になれば「DIVE!!」「バッテリー」に夢中に。とどめに「空色勾玉」で月代王にうっとりしたっけ。


もう、何を読んでも楽しかったし、何を読んでも夢中になれた。その年齢、そのときに読むべき本をきちんと選んでもらっていたのだと思う。児童書を最も楽しめるのが子供であるように、そのひとの特定の時期のみに最も輝く本がある。


本を抱えて半分浮いているように夢見心地で廊下を歩いている女の子だった。今見たら殴りたくなることうけあい。自分に酔ってるのがムカつく、と顔面をはりたおしたい。


……たぶん、そんなだから、卒業した瞬間、(たぶん人並みにあったであろう)高校の思い出が頭から掻き消えてしまったのだ。

ちゃんと周囲を見ていなかったから。







逆に、大学でのことはよぉーく覚えている。すっごく楽しかったし、出会う漫画も人もことごとく強烈で、忘れようがない。あの時ほとんど人に教えてもらい、貸してもらって覚えたたくさんのタイトルのいくつかは自分でも買って、本棚に並べている。「式の前日」「宇宙兄弟」「虫と歌」「蛍火の杜へ」……




高校、大学と、私が読んだ本は全部、自分ちの本じゃなかった。




司書教諭の先生が、あるいは大学のともだちが、「面白いよ」と差し出してくれた本を無心で楽しんだわけだ。今も、職場の人たちが「面白いよ」と差し出すものを読んでいる。

趣味が合う人から差し出される本は例外なく、すごく楽しい。誰かとおそろいの耳をつけてディズニーランドではしゃぎまわるのと同じくらい楽しい。


そういうふうに、自分もなりたいなあと思った。


そして、楽しかった本、自分でもひとにすすめられる本は手元に置こう、と決めて集めることにした。絵本から古典まで、種類は多岐にわたる。


本来なら全部新刊でそろえたいところなんだけど、そうもいかない。


古本市にこっそり顔を出し、周囲のご婦人が数万円とかの貴重本をしなさだめする中こそこそと激安コーナーで全巻セットの文庫本500円なんかをひっつかんでレジに走ったりしている。古本は私の友達だ。

ああでも、普通の本屋のきれいなハードカバーが今じゃまぶしくてたまらない。

すんごく、ほしい。いまのナツイチの限定版の表紙とか、きれいですよね。


でもやっぱり古本を買っていると新品の本が高く感じる。布張りの、きれいな装丁の豪華版とか喉から手が出るくらいほしいんだけどね。これをがまんして、同じ内容の文庫版をあの古本屋で買えば5冊セット300円で他のタイトルも買えるわ、なんて思ってしまうと、もう……。

いじましく、自分でブックカバーを自作してごまかしたりして。






本屋と違って古本屋のいいところは、宝さがし感があるところだ。


特価コーナーに欲しい本があるとは限らない。あるときもある。でも、シリーズの3巻だけが並んでいたりする。とにかくそれを買って、ほかの店で2巻を、もっと遠い店まで足を延ばして1巻を見つけてコンプリート! そこでやっとこさ、1~3巻まで読んで、続きがすごく気になって発売中の4巻を新品で買ったりね。



それを、病院へ持って行く。



動けない祖父に渡す。読書している間は入院のことを忘れられるんだよなあ、と、じいちゃんが笑ってくれる。

「ハムが選んだ本はいつも面白いな」

そういわれるためだけに、私はどれだけの本を買い漁っただろう。








ちなみに実際の蔵書量は本棚四つ分はゆうにある。

入りきらない本棚一つ分は常に上記の人たちに回っている。冊数的にいえばそんなに多くない。もっと持ってる人なんていっぱいいる。ただ、キャパオーバーが著しい。後先考えずにせっせと集め続けたからである。


全部の本が帰ってきたら部屋がどうなるのかは考えたくない。

寝る場所は間違いなくなくなる。


電子書籍にするとか? いやー、却下却下。

だって人に貸せないでしょう。装丁の楽しみもないし。





私の希望は、現在の文明の発展に伴い近日中に四次元ポケットなるものが開発され市場に流通することである。

そうしたら部屋の本を分類付きでポケットの中に放り込んで無問題!


ああ、早くできないかなァ四次元ポケット!!!








紙の本の誘惑はかくも甘く、人をバカにするのだ。

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