私が私であるだけで。
節分の日、会いたくなったから祖父に会いに行った。うちから歩いて15分。坂を下っていったところにある家。
手ぶらでも十分喜んでくれるけど(うぬぼれではなく。私が私であるだけで喜んでくれる、世にも珍しい生き物が祖父母なのだ)、なにか持っていきたいなあ、と思ったからコンビニへ寄った。
コンビニは苦手だ。
誰が働いているかわかったもんじゃない。以前塾講師をしていたせいで、わたしゃここらへんの若者に面が割れている。顔を合わせてばったりいったところで、焦りしか生まれない。
戦場の最前線に赴く気分でそれでもコンビニへ足を踏み入れられたのは、その時着ていた仕事帰りのコートが5万円のやつで、肩に巻いたカシミヤのショールがジバンシィの驚くほど品がある一品だったから。こういう武装をしていれば誰に会っても少しは自分らしくいられる、と心に値段の鎧を巻いて踏み入った店内、幸運にも知った顔はいなくて、そっとお菓子コーナーに行ってみた。
何が喜ぶかな。
アンパンとかチョコパンを食後に食べる風習があるひとたちだから、それでもいいな。
そう思ってみていると、フルーツを巻いたロールケーキが目に飛び込んだ。
なるほど、節分だから。なるほど……
じいちゃんと、ばあちゃんと、おじさんのぶん。あの家の3人のカウント分、きっちりロールケーキが残っていたからよかったよかったとかごにほうりこんで、ついでに私もスフレチーズケーキが食べたいわん、と追加で一品。
レジに持っていく。
新人の札をつけた男の子が立っていた。
「おねがいします」
「はいっ」ういういしいわぁ。
ピッ、とバーコードを読ませて、機械にはじかれたらしい。
店員さんは眼をぱちぱちさせて商品をひっくり返し、記載を確認して「あっ…」と一言。
「すみません、5時で期限が切れてて」
「あら」一時間前の事じゃん。「私はいいけど…」
「レジが受け付けないんです」
「へ~」
「新しいの出します!」
「はーい」
ちょっと待ってたら、男の子が帰ってきた。
「す、すみません、ケーキ2個しかなくて……」
「……」
瞬時に頭の中で計算。おじちゃんはいいとして、食が細いじじばばのこと、一人一個なんて食べないとハナからわかっている。
「大丈夫。その2コいただけますか?」
「すみません」
「いーえ」
お金を出して、ケーキをみっつ買って、コンビニを出て、坂を下りて、祖父の家へ。
家の前で電話。
ぷるるる。
『もしもし』
「もしもし。ハムです」
『おお~! どしたん、どしたん』
「そっち行ってもいい?」
『いいよー。今、家におるから』
「はーい。じゃ、待っててね~」
電話を切ったその手でインターホンを押した。
出てきたじいちゃん、「……早いなぁ」と笑っている。
顔を見たら余計な力が抜ける。
奥からばあちゃんもやってくる。
「ようきたな、まあ入り」
「おじゃましまーす」
「仕事帰りか?」
「そう」
「ご飯食べてくか?」
「ううん、ママがご飯作ってるからいい」
「食べていき」「食べていきーな」
「……わかった」
「まっとり」
せかせかーっと台所に行って冷蔵庫を開くばあちゃん。
私は荷物をおろして、コートを脱いで、ショールを椅子にひっかけて、コンビニの袋をばあちゃんの後ろから袋ごと冷蔵庫につっこんだ。
「これ。よかったら食べて」
「ええっ。あらー、あんたはほんまに気がきくな。ありがとう」
「ねえ、美人で仕事ができて気が利いて、これ以上いいとこ出したら私どうなっちゃうんだろう!」
「そういうんはな、人に言ってもらってなんぼやで」
「誰も言ってくれないんですもの……」
にこにこしているじいちゃんの前に行って、隣の席に座る。
「ところでじいちゃん、元気?」
「ん、元気やで」
「本、読んだ? 京太郎先生の」
「あとちょっと」と、本を出してしおりのはさまっているところを見せてくる。「面白いなあ」
「そりゃよかった。病院は?」
「今日、あんたの図書館の裏のとこでな、リハビリしとったんやで」
「え。すぐ近くにいたんじゃん」
「そやで」
するとばあちゃんが台所から、「それ昨日でしょ」
「……。え、……ああ、昨日か」
ここらへんで、おかしいな、とは思った。
祖父はしっかりした人だ。
こんな間違いはめったにしない。
「からあげ食べるか?」
「食べる。じいちゃんのが一番おいしい」
「そやろ。わしのやろ、持って帰り。明日の弁当にしたらええわ」
「じいちゃんがお腹すくのはいややで」
「わしは昼にも食べたからええんや」
「そお?」
なんだか、表情がないように見えるのは気のせいかしら。
「…………」
私の顔をじぃっと見つめて、話し始める時に大きな間が空くのは気のせいかしら。
「じいちゃん」
「ん」
「今日は節分だからいいもん買ってきた」
「ほう。なんやろ」
「ふっふっふ。すばらしいブランドのな。ふっふっふ」
「えー、どこ行ってきたんや」
「ナナとジュウイチと書いて」
「ふむ」
「セブンイレブンです」
「……。ぶあっはっは! 高級品や!」
「ロールケーキ、また食べてね」
「悪いなー」
「あとね、じいちゃん」
「ん」
「大好き」
「てれるなー」
「世界中で一番すき」
「うへへ」
「ばあちゃんもすきよー!」
「あっはっは! 私の方が好きよー」
そうさ。
いつまでだって大好きだ。
どうなっても、どうあっても。
一回りしぼんだ気がするじいちゃん。いつまでも変わらないとばかり思っていた。違うんだよね。当たり前なんだけど。
入院した時、オリンピックを一緒に見るんだって駄々をこねた。生きてられるかいな、と呆れられたら「大丈夫、まだ若い」と胸を張り、無茶言うなあ、とさらに呆れられた。
いてくれるのが当たり前の人。
愛してくれるのが当たり前の。
いつ、なにを、どうしても、絶対に私の味方で、私を守りに来てくれる人。
私が私であるだけで喜んでくれる人は、そう遠くない未来に一人もいなくなる。
昔はただただ死ぬのが本当に恐ろしかったけど、この人たちがいない未来を頭で描くと、なるほど永遠の命ほどいらないもんはないなぁ、と思う。
黙ってこっちを見つめて言葉に詰まるじいちゃんを見つめ返しながら、どれだけ私があなたに感謝し、あなたを好きでいるのかを、どう伝えたらいいのかゆっくり考える。
幸い、それを伝える時間くらいはまだあるようだ。
ねえ、たとえその言葉も忘れちゃっても、
いつか私を忘れたって、
私はずっとじいちゃんのこと大好きなんだからね。
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