花火大会
「神話に真実があるとするのなら、地上に人間が現れたために、天使は空の果てへ、悪魔は地の底へと逃げたんだ。彼らにとって人間はあまりにも恐ろしい存在だった。」
駅の改札から、人間達が群れをなしていた。その日は花火大会だった。真っ白な円に水で溶いた絵の具を適当にブチ撒けると、真っ白な円に大小の水飛沫が飛び散る。東京をそれだとしたら、大きめの水飛沫に当たる部分で開催されている花火大会。
「夜空に花火が打ち上がるのを見て、何が楽しいの?」
「楽しいから行くんじゃないの。あなただって、土の中のミミズを探すときはスゴく楽しそうでしょ」
花火大会の会場にいた大量の人間から複数をピックアップし、その特徴を説明する面倒くささにうんざりしていると、店員が熱いコーヒーを持ってきた。
「僕は花火大会には行っていない」
主に花火大会に来ていた男女、特に女が浴衣を着ているタイプの男女に対して、雑に言うと性的な揶揄をしてやろう、そう考えながら熱いコーヒーを口に注いで舌を火傷しそうになった僕は、それでもやはり花火大会に行きたいなと、花火大会に行く男女、特に女が浴衣を着ているタイプの男女が羨ましいなと考えていた。やはり火傷してしまっていた舌が痛い。
夜空に打ち上がる花火は膣内で陰茎が射精することのメタファーだよと顔に書いてある人間たちが、彼らにそういう揶揄をするものなのだ。高層ビルディングに狭くなった夜空。花火なんて人ごみで大して見えやしない。それなのに行く意味は?
「それを問うと、お前が生きる意味さえ問いたくなるな」
蛇が囁いた。蛇は僕が飲んでいたコーヒーから姿を現した。表皮は焼け爛れたようになっていて、とても醜い。鋭い眼光はねばついて、非常に不快感を与えてくる。僕は蛇にミルクをどぷどぷかけた。
「君をアルビノにしてあげようと思ったんだ。美しいだろ?」
夜空に打ち上がる花火が爆裂すると、夜空は焼けつくような痛みに呻くんだ。僕たちはその呻き声を聞くことは無いけれど。君が僕の苦しみを知らないように。僕は君の苦しみに寄り添いたいけれどね。
こんなことを喫茶店でiphoneを弄りながら書いていると、夜空はいよいよ焼けつく痛みに耐えきれなくなり、誰にでも聞こえるような大声で怒鳴り始めた。店内の人間たちが、何事だと外に出る。夜空は見る見る赤くなっていく。花火のせいじゃない。月は困り果てたようにうろたえている。
その赤く焼けた夜空…怒っているのか?やがて炎でも降り注ぎそうだな。
僕は足早に帰路に着いた。花火の音は聞こえない場所。しかし夏の祭りの余韻は残っている、このうだるように暑い暑い夏の夜のど真ん中。陽炎さえもが揺らめくことをやめた真夜中。真っ白な蛇がいつのまにか僕の足に絡みついていた。
「今日も頭の中で34回くらい、死にたいってつぶやいていたわ。あなた」
頭の中で声がした。声に気を取られたために蛇を見失った僕が蛇を探すために顔を動かすと、いつの間にか僕の胸元まで這っていた蛇は、僕の喉元に思い切り食らいついた。
「そんなに死にたいのなら、殺してあげる」
煙草を吸いながら、蛇の死骸を捨てる。確かに僕は死にたい。或いは、愛する人に殺してほしい。そんな願いを頭にチラつかせて、家へと帰る夏の夜の底だった。
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