⑧ 幸福

最終話

―その後、交渉人の地道な交渉により犯人たちは塔の入り口を開放。そこから警視庁特設機動隊が強硬突入し、見事人質を救出しました。…あ、今映っている映像がそれですね。この救出劇はちょうど一年経った今でも皆さまの記憶に新しいことでしょう。


―あの装置をなんの容赦もなく使ったとき、あれは驚きましたねぇ。


―そうですよね。後になって二人が無事だと分かったときはホッと胸をなでおろしたものです。


―しかしこの事件振り返ってみますと、やはり一番の驚愕は実行犯のうちの一人が現職の都知事秘書だった、ということでしょうかね。


―戸籍と性別を偽装して十年近く潜伏してたらしいですからねぇ。


―そして自らの妹を人質として利用したわけですから、全く恐ろしい話です。


―事件から半年後に傷心癒しきれぬ細川妙さんが涙ながらの謝罪会見を開いたときは、非難よりも擁護の声が圧倒的に多かったですね。


―そうですね、まああの子は被害者ですからね。しかし現在も犯人二人に対する公判が続いているわけですが、いまだ彼らからは反省の声を聞くことはなく、その偏った過激思想を唱えるばかりで…


 そこまで観たあたりで妙はチャンネルを『日曜討論』から変え、しばらくザッピングした後テレビの電源を消した。

「面白いのやってないね」

「たーちゃん…」

 鳴海は何かを言おうとするが、すぐさま妙に制止された。

「そんな目で見ないでよ。確かにあの人は裏切者で、私の心も裏切られたよ。あんな奴をお姉ちゃんって呼んでた自分が恥ずかしいよ。だけどもう今の私にはどうでもいいことだよ。だって…」

 妙はソファに腰かける鳴海の隣に座りこみ、彼女にほほ笑みかけた。

「だってなるちゃんとこうして一緒にいられるんだもん。それだけで、私はもう幸せだよ。私を引き取ってくれた里美さんにも感謝しないとね」


 そうじゃない。そうじゃないんだよ、たーちゃん。

 悪役になったのも、た―ちゃんの記憶を消したのも、たーちゃんがつらい思いをしないため、お姉ちゃんがいなくなっても生きていけるようにするためなんだよ。


 そんな蓮さんの思いを伝えたくても、鳴海にはそれができない。なんという歯がゆさだろう。これもすべてあの男のせいだ。


* * *


 あの日、特居の中央管理塔で催眠ガスを受けた鳴海が意識を取り戻したとき、周りの景色は薄くぼやけていた。意識も明瞭ではない。なんとなく人の気配がしたが、すぐにその気配も消えてしまった。

(眼鏡、どこか行ったのかな)

 脇にある机らしきものの上を手探って眼鏡を取り、目に掛ける。どうやらここはどこかの施設の一室のようだ。周りには誰もいない。額には何かの感触が強く残っている気がする。

 先ほどの机を見ると、そこには見慣れない奇妙な装置が鎮座しており、そのわきに一枚の紙が置かれていた。

(手紙…?)

 そこにはお世辞にもうまいとは言えない乱雑な字で、鳴海と妙が眠らされてからの成り行き、そしてコウスケと蓮がこれから行うことについてつらつらと書き連ねられていた。


『あの男、細川蓮は妹の記憶を消そうとしている。たしかにそれが一番の選択で、現状でそれ以上はないと思う。

 だが、俺がこの計画を聞いたとき、真っ先に頭に浮かんだのはただ一つ。


 鳴海に、お前に忘れられたくない。


 ただこれだけだった。

 もしこれを使えばお前は俺のことを…俺と会って、俺と話して、俺とともに歩き回った、あの何でもないような時をすべて忘れることになる。それを理解したとたん、俺はこれまで感じたことのないポッカリした何かを感じた。もしお前と会わなければこんな感覚を味わうことはなかった。


 ありがとう。


 そして、すまない。


 俺はお前の中でずっと生き続けていたい。たとえそのせいでお前が苦しむようになるとしてもだ…いや、むしろお前を苦しめたい。


 もとはといえば全ての元凶はお前なんだ。これぐらいの身勝手は許せ


…まあ、そういうわけだ。これを読んだらさっさと破り捨てて、机の上の帽子をかぶって寝たふりだ。覚醒状態ならあんたの記憶が消えることはない。



さらばだな』


* * *


「なるちゃん、どうしたの?」

 気づけば妙が心配そうに顔を覗き込んでいた。よっぽどひどい顔をしていたのだろう。

「ちょっと、思い出しててね…」

「そっか」

 妙はそう呟くとソファから腰を上げ、鳴海の頭を胸に抱きこんだ。そして額に彼女の唇を合わせた。

「大丈夫、大丈夫だよ、なるちゃん。これからはずっとずっと私が傍にいるから…ね?」


 妙は鳴海の頭を優しくなでた。


 鳴海は泣いた。


 妙の胸の中でひたすらに泣き続けた。


 それが誰に対する涙なのか、何に対する涙なのか。彼女にはもう分からなくなっていた。




* * *




さて、以上で鳴海たちの短い物語はすべて幕を下ろした。

これ以降の文は単なる蛇足だ。読んでもいいし読まなくても大した支障はない。



 じつはこの事件から一世紀ほど経ったころ、T大学の研究チームによってある興味深い試みがなされたのである。その試みというのは、例の記憶消去装置を現代に再現させる、というものであった。

 チームは極秘指定解除されたばかりの設計図や例の事件の映像を参考に見事その装置を復活させ、政府の特別な認可のもとこれを使用した実験にとりかかった。


 実験の目的は、本当に記憶が完全に消去されるのかを検証するためである。というのも、現代脳科学の見地から設計図を詳しく分析した結果、この装置で記憶が消さるとは限らないことが分かったからだ。


 実験の結果はこの予想を裏付けた。


 確かに装置を使用した直後から数週間の間、被験者たちは数ヶ月分の記憶を失っていた…いや、


 だがしばらくすると彼らは次第に記憶の取り出し方を思い出していき、早いもので三ヶ月、遅くても半年経ったころには失った分の記憶を完全に回復していた、というのだ。



人類というのは誠に奥が深い!みなさんもそうは思わないだろうか?

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