第十九話

 さて、どうしたものか。

 東京都知事、牧野里見は珍しく決断を鈍らせていた。瀬野順子から報告を受けた例の反乱者についてである。

 もしやと思い細川妙の所在を調べると、やはり行方不明である。それだけではない。牧野鳴海…彼女もまた行方をくらませている。二人が特居に侵入し、中央管理塔の近くまで到達している可能性は十分に濃厚である。

(なにもしない、できないと思っていたのに…)

 あまりに想定外な事態だ。鳴海は昔から行動力が高く、それゆえ色々と手間をかけされられてきた。だが今回のこれは明らかに常軌を逸している。何が彼女を駆り立てたのだろうか。

(いや、そんなことはどうだっていいわ。問題はどうするか、よ)

 答えは分かり切っている。細川妙や瀬野順子のように処分すればいいだけだ。特居の中にいるのだからいともたやすいことだ。あとは二人を手引きしているであろう者を探し出して犯人に仕立て上げればよい。ただそれだけのことだ。このまま放置しては不安材料になってしまう。


 しかし、それができない。なぜだ。

 娘を失うのが惜しいのか?…なに、後継ぎなどまた別の者に産ませればよい。今回は失敗作だったのだ。


 ではなぜそうしない。なぜその選択を拒む。


 里見は政治家として、常に大局を見据えて行動することを生きる指標としてきた。個人的な感情より公共の福祉を優先させてきた。それがあるべき姿と確信していたからだ。いまさらそれに歯向かうことが果たして許されるのだろうか。


 許される…?いったい誰に許されるのだろう。自分の生き方は自分で決めてきたはずなのに。


 はやく。はやくしなければ。はやく特居の解体に取り掛かっているヒューマノイドのうちの一機に極秘指令を伝えなければ。はやく!


 里見が意を決しかけたそのとき、内線電話が鳴り響いた。よほどのことが無い限り内線でコンタクトするのは禁じたはずだ。乱暴に受話器を取る。

「忙しいの。あとにしてくれるかしら」

 里見はなるべく感情を表に出さないように答えた。

「お忙しいところ申し訳ございません。ですが、至急テレビをつけてください。どの局でも構いません」

「なんだっていうの?」

「ご覧になればわかりますから」


 里見は受話器を持ったまま備え付けのテレビの電源を付けた。

 そこに映し出されていたのは、まぎれもない過ぎし日の遺物、男の姿であった。だが里見が最も目を見張ったのは男の姿ではなく、画面下部に二つ設けられた別枠に映る、二人の少女のそれであった。


 そこで眠らされていたのは、間違いなく鳴海と妙だったのだ。


* * *


「初めまして、みなさん。我々はここ、東京第八特別居住区の中央管理塔より各局のみなさま、そして東京の他の特居の同志たちにこの映像を届けております。


 何のために?宣言と交渉のためです。


 我々は怒っているのです。外の世界の勝手な都合により自分たちの生活の場所、生きた証を壊されるのが我慢ならないのです。理不尽です。冒涜です。

 そこで我々はもう一度、男を滅ぼすこの潮流に抗うために決起しました。

我らの名は新黒志団。かつて不合理な力の下に潰えた黒き魂を現代に受け継がんとするものです」


 画面の男は台本を読み上げるように淡々と宣言した。電話口からは上ずった声が聞

こえる。


「…つい先ほど、帝都テレビの方から出所の分からない怪電波に放送をジャックされた、との通報がありまして。そこに映っている男がこの映像を全国民、特に東京都知事牧野里見に見せるよう要求したそうです」

「それで、あなたはなんでそんな犯罪者の要求に答えるようなことをしているのかしら…?」

 自分の声もいつになく震えているのが分かる。

「しかし、もうすでにこの映像は他の各局も追随して流しだしておりますし、複数の動画共有サイト上にもリアルタイムでアップロードされておりますのでさすがにお伝えしないわけには…」

「それならそのテレビ局に今すぐ放送をやめるよう勧告を出しなさい。ネットも方もね」

「しかしこんな面白いネタをマスコミがそう簡単に手放すでしょうか…」

「いいから形だけでも注意するのよ!何度も言わせないで」

 里見は受話器を取った時以上に乱暴に電話を切った

 全くここの役人は無能ばかりだ。こんな時は細川蓮の損失が悔やまれる。悔しいが彼女、いや彼の秘書としての才能は本物であった。もし彼に欠点があるとすれば、特居に生まれてしまったというただこの一点につきる。なんとも惜しい話だ。


(まさか…蓮、あなたなの?)


 その可能性は考えられる。たしかに管理塔から放送電波を飛ばす技術は今のところあの塔を細かに調査した蓮以外にはなしえない。しかし、それならば彼の意図が理解できない。里見に対する復讐?いや、彼ならばこんな間抜けで虚栄的な放送などさせず静かに、確実に報復を返すであろう。それに妙と蓮をわざわざ画面に映す理由も不明だ。

 そして画面のこの男…彼の目からは、革命家気取り特有の自信に満ちた狂気が一切感じられない。あるのは諦観と緊張のみである。もしこの茶番が蓮のシナリオなら、なぜこの男はそれに協力するのか。


「我々はまず手始めに都知事の娘、牧野鳴海および都知事秘書の妹、細川妙をここまで拉致し、二人を催眠ガスで眠らせました。そしてこの塔を占拠し、ここに眠る財産を我らが手中に収めました。人質の頭をご覧ください」

別枠の少女二人には、頭を覆うように不気味な装置が取り付けらええている。やはりそうだ。この件には明らかに蓮が関わっている。彼がいなければを引っ張り出してくるのは不可能だ。

「この装置は塔の地下より発見されたものです。おそらく拷問器具が何かでしょう。外の世界の奴らがここにきて、我々の仲間を犠牲にして勝手に作ったものです。この二人を嬲り殺すのに、これほど恰好な道具があるでしょうか

 我々の一つ目の要求は都知事との話し合いです。いまから一時間以内に彼女自身の手でこちらへ連絡してください。秘匿コードは彼女が知っているでしょう」


そう言うと男は懐から手のひらに収まる大きさの押ボタンを二つ両手に取り出した。


「もし要求に応じなければ躊躇なくこのボタンを押します。何が起こるか楽しみですね」


違う。


 あの装置は使用者の4ヶ月前後の表層的な記憶を消去させるだけで、生命や身体に危害を加える類のものではない。それを蓮が知らないはずは無く、そしてこの男も承知しているはずだ。


 つまりかれらの目的は脅迫ではない。あの装置を『躊躇なく』使うことが目的だ。


(…なるほど、そういうことね)


 里見の頭の中で糸が一本に結ばれた。


 蓮が里見の逡巡まで計算に入れていたのだろうか?いや、入れてはいなかったはずだ。冷血の指導者を想定したはずだ。だからこれは彼女にとって賭けだったのだろう。こうすれば鳴海を、そして妙を害する理由がなくなると。この模様をマスコミに流したのは里見に妙なことをさせないための保証に違いない。


 里見はこの賭けに感謝した。


「細川蓮、あなたはやっぱり優秀ね」


 またしても内線電話が鳴り響く。

「知事…どうなさるおつもりですか?」

「どうするって決まっているでしょう。何もしないわよ」

「何もって…それじゃ娘さんは?妙ちゃんは??」

「馬鹿ね。こんな安い脅しに屈しているようじゃ日本国首都東京の名が廃るでしょう。代わりに警視庁の人たちにでも全て任せるわ」

「しかしいたずらに刺激しない方が…」

「今回のことは私に決定権があるはずよ。余計な口出ししないでくれるかしら」

 そう言い放つと相手は押し黙ったので、里見は無言で内線電話を切った。


 十分後、テレビの男が外部からの通信に応じた。無論里見のものではない。

「あなたは知事ですか」

「いえ、警視庁交渉係の者です。君たちと公平にお話しするために知事からこの秘匿コードを教えていただきました」

「そうですか」

 男はそう言うと片手のボタンをためらいなく押した。妙の頭の装置が蛍光を発し、不愉快な唸り声を上げる。

「君っ、何を…!」

「都知事との直接の交渉。これが我々の要求です」

交渉係は男のあmりのためらいの無さに一瞬怖気づいたようだが、また平静に会話を続けた。さすがは交渉のプロだ。

「そうなのかい…しかし知事は何があろうと君たちと交渉するつもりはないらしいよ。どうするつもりだい」

 男は無言で残った方のボタンに手をかけた。


(ありがとうね。蓮ちゃん)

 その瞬間、里見は苦しみから解放されたのだった。

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