⑦ 計画

第十七話

 かつん。


 意識の乏しくなった蓮の頭に衝突音が響き、全身に冷えた床の感触が伝わる。蓮は重い瞼を開けた。あの大部屋だ。どうやらまだ死後の世界には行っていないらしい。


 蓮は靄のかかった頭をめいっぱい働かせることでようやく、自分がいま横に倒されたのだということを理解した。

 蓮の視界に若い男の姿が入った。口につけているのは…呼吸器だ。なぜ持っているのだろう?

 男がこちらに気付いたようだ。近づいて顔を覗き込み、

「あんた、生きてるのか」

 と聞いた。生きてる、というのは精神的な意味であろう。蓮は頷いた。

「…細川妙の姉か?」

 蓮は目を見張った。そんな蓮の様子から答えを察したのか、男は次の言葉を投げかけた。

「とりあえず、ここから出よう」

 そして廃人と化した住人達の姿を横目にこう言った。

「このままじゃ耐えられねぇ」

 蓮は目を下に向け、言葉なく頷いた。


 蓮は男の肩を借りて大広間から抜け出し、隣の小部屋に移動した。そしてポケットからカードを取り出し、壁に内蔵された挿入口に差し入れた。壁から操作盤が浮かび上がる。そこから換気システムを起動させた。これでこの小部屋の中ならば呼吸器を外せるようになるだろう。しばらく待ってから蓮は呼吸器を外した。

 清々しい新鮮な空気が肺に、脳に行き渡る。まさに黄泉から現世へ帰ってきたような感覚である。

 男の方を見ると、未だに呼吸器から荒い呼吸音を立てながら、驚きで丸くなって目でこちらの様子を観察している。

「それ、もう外しても大丈夫ですよ」

 最後に言葉を発したのはつい数時間前のはずなのに、蓮はこの行為に懐かしさを感じた。

「あ、そうか」

 男は蓮に言われた通り呼吸器を外し、床に丁重においた。生真面目なやつだ。それから男は一呼吸置き、

「…俺から事情を行った方がいいだろうな」

と、これまでの大まかな経緯について説明を始めた。にわかには信じられない、信じたくない話の連続だ。だが、彼の様子から嘘をついているとはとても思えなかった。


「それで、鳴海ちゃんと妙の二人とともにここまでたどり着いた、と」

「そうなるな」

 そこまで聞いて、蓮はようやくあることに気づいた。

「二人は今どこにいるんですか?」

「ここの外の廊下にいる」

 まずい。この部屋に侵入されたときのセキュリティトラップは、複数犯の場合に備えて廊下側にも仕掛けられているのだ。蓮はあわてて呼吸器をつけた。

「あなたもつけてください」

 男…コウスケと名乗ったその男にも呼吸器の装着を促すと、操作盤を操作して隠し小部屋の廊下側の扉を開けた。何が何だかわからないという様子であるコウスケをあとにして、蓮は二人のもとへと急いだ。

 やはりそうだ。うす暗い廊下で二人仲良く倒れこんでいる。続けてやってきたコウスケはその様子をみて絶句した。

「安心してください、ただの催眠ガスです。…ただ、あまり大量に吸っていいものではありませんね」

蓮はそう言って妙の身体を担ぎ上げた。

「急いで運び出しましょう」


* * *


管理塔上層。

 鳴海と妙は休憩室のベッドで寝息を立てている。ここはこの中央管理塔のなかでも抜群に見晴らしがよく、ベッドも上質なものだ。おそらく上流階級かなにかのためにしつらえられた部屋だったのだろう。

 蓮は妙のあどけない寝顔を見ながら、彼女と一緒に特居から脱出したあの日のことを思い出した。あの子も随分と重くなったものだ。もしもエレベーターが動かなければこんなところまで運び込むのは難しかっただろう。

「…この塔がここまでハイテクだったとはね」

 コウスケが疲労のため息とともにつぶやいた。

「つい最近まで政府の研究機関として極秘に利用されていましたからね。それに私たちも今日に備えていろいろと準備させていただきました」

「…前からあんたもここに出入りしてたのか」

「ええ…あの大部屋のセキュリティーはもっと自由に動けるようになってから強化するつもりだったんですが」

 蓮は妙、鳴海、コウスケを順に見回した。

「まさかこんなに早く侵入されるとはね」

「…よく特居のやつらに見つからなかったな」

「見つかってますよ。それどころか協力させていただきました」

 コウスケは何かを思い出したようにあっ、と声を上げた。

「あんたどこかで見たと思ったら…いつしか外でサエと交渉してたやつか!」

 見られていたのか?しかしそのとき周りには誰もいなかったはず…蓮の不審感に気づいたのか、コウスケは付け足した。

「あの時俺はヒューマノイドの中にいたんでね」

「相変わらずなんでもありですね、ここは…」

 思わず口が滑った。

「相変わらず…?」

 案の定、コウスケが食いついた。

 

 …やはり、この男には話すべきであろう。そうしなければ、妙を助ける方法はない。


 蓮はコウスケに、特居から脱走したあの日のことを話した。もちろん自分が女ではなく男であることも。

「しかし見た目は女だよな…」

 コウスケは蓮の体をまじまじと眺めた。

「里見さんからホルモンを投与されていました。子供の頃から」

「そうか…」

 そういってじっと見つめていたが、蓮の妙な気恥ずかしさが伝わったのか、肩の荷物袋に顔を移し、蓮にとって見覚えのあるものを取り出した。改造はされているが、間違いない。あの日使った例の射出機構である。

「これ、あんたのか」

「…あなたが回収してたんですか」

「返すよ、もう使い道ないしな。パチンコ打ちに改造したのは許してくれ」

「ありがとうございます」

 蓮はそれを強く握りしめ、その感触を懐かしんだ…思えば遠くまで来たものだ。ほんとうに遠くまで。


「お願いです、コウスケさん」

 蓮は顔を上げ、懇願した。

「妙を、そして鳴海ちゃんを助けるのを、手伝ってください」

「助ける、か。あいつらは自分の意志でここに来たんだがな」

「そういうことではありません。二人の命がかかっているのです」

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