⑤ 執着

第十三話

 鳴海は動揺していた。

「知り合いなのか?」

「う、うん…でもなんで…」

 コウスケの質問にどもる鳴海。これまで胸の奥底に押し込められていたものがぶり返される。

「考えてもしょうがない」

 コウスケは鳴海を肩から降ろし、その場に落ちていた鉄パイプを手渡した。

「どっか隠れてろ」

 コウスケはそう言って妙のいる方向とは逆の方向に足を踏み出した。

「え、ちょ、置いてくの?」

「んなわけあるか。すぐ戻る」

 そしてコウスケはそそくさとその場を離れていってしまった。

「隠れろ、って言われてもな…」

 鳴海は未だ抵抗を続ける妙を見た。目と目が合う。その時、警報音が鳴り響いた。先ほどのヒューマノイドによるものであろうか。壁に反響して幾重にも重なって聞こえる。

 一瞬の虚をつかれた追っ手の手が緩んだ。それを見逃さなかった妙は即座に手を振り払い、鳴海から見て右の角に逃げ出した。追っ手は妙よりも警報の方を優先したらしく、走ってもと来た道を引き返した。


「知り合いはどうした」

「うわっ」

 コウスケはいつの間にか背後に舞い戻っていた。

「あのちーちゃんだかたーちゃんだとかいうやつだよ」

「えっと…あそこの角を右に逃げたみたいだけど…それとたーちゃんね」

「よし、追うぞ」

 コウスケは鳴海に背中を差し出した。背負ったまま追いかけるらしい。

「え…重くない?」

「いや、これで十分追いつける」

「は、はあ」

 こいつの体力はどうなっているのだろうか…訝しみながら背中に乗る鳴海をよそに、コウスケは走りの構えをとった。

「よくつかまってろ」

 鳴海はコウスケの肩を鷲掴みにした。今更ながらにコウスケの肩の硬さ、大きさを実感する。

「いくぞ」

 コウスケが走り出した。

 心音。

 自分のものかも、彼のものかも分からない心臓の音が体で響く。このまま妙が見つからなければいい…そんな考えが頭をよぎり、自身の身勝手さに恐怖した。


 なにやら見覚えのある景色が見えてきたあたりで、コウスケの走りが止まった。肩から前を見ると妙が覚悟を決めたように立ち尽くしていた。鳴海の方に視線を合わせようとはしない。鳴海も妙の目をまともに見る勇気が無かった。

 コウスケは肩の鳴海を下ろした。鳴海はうつむいたままである。

「あんた、こいつを追い掛けてきたのか?」

 妙がコウスケの問いかけに答える様子はない。コウスケは鳴海を見た。鳴海も無言を貫く。

 コウスケは参ったように頭を掻いたが、何かに気づいたのか、すぐにその手を下した。


「いたのかよ」

 コウスケの視線の先を見ると、前に消毒液や包帯を購入した店の老人がこちら眺めていた。横には見覚えのある古ぼけた店が見える。妙を追いかけるうち、いつしかの商店区画に来てしまっていたようだ。

「いやなに、朝っぱらから何をしてるのかと思っての」

 老人は口ひげをいじりながら愉快そうに答えた。

「これには、その、いろいろあって…」

 コウスケが説明しようとするが、老人はそれを遮った。

「ちょっと待て。その娘、怪我してるんじゃないか?」

 老店主は店のドアを開け、招き入れるしぐさをした。


* * *


「よーし、これで気休め程度にはなるじゃろうて」

 老店主はテープで固定した鳴海の足の患部を満足そうに眺めた。

「金はないぞ」

コウスケは間髪いれずに言った。

「どうせ今日で閉店。お代も何もないよ」

 コウスケと鳴海が目を合わせる。

「もしかして…知ってたんですか?ここが壊されるって」

「年寄りを甘く見ちゃいけんよ嬢ちゃん。あいつらが何を隠してたかぐらいはお見通し、とな」

 老店主はそう言うとコウスケの方を見て

「むしろお前さんは何も勘付いてなかったのか?珍しいなぁ…」

 コウスケは店主の質問には答えなかった。かわりに質問で返した。

「なぜそうと分かっていて逃げなかった?あんたなら通商許可証で他の特居に逃げられたはずだろ。この店ごと」

「それぐらい勝手にさせてくれ」

「ああそうかよ」

 コウスケと店主はそれっきり黙ってしまった。鳴海にはどうすればいいのかは分からない。


「…もしかして、あそこの方ですか」

 沈黙を破ったのは妙であった。鳴海とコウスケが一斉に妙をみる。


 妙の目の先には、一枚の写真が額縁に納められていた。すっかり風化してしまっているが、そこに写っているのは紛れもなく人の、女性の顏であった。


 老店主は写真を手に取り懐かしそうに笑うと、それをポケットに忍ばせた。

「あんたら外の人たちにはアホみたいなことだろうね」

「そうですかね」

 うつむきながそう言った妙の声は静かだが、確かな意思をもっていた。


「それを言ったら、ここにいる私たちはみんな理にかなっていませんよ。みんながみんな非合理です。もし自分がしたこと、その理由を他の人に話しても、返ってくるのは冷ややかな白い目だけでしょうね」

 妙は顔を上げた。

「でも、だからって、それを軽んじたり、ないがしろにすることは…私にはできません」


 妙の目線が鳴海に向かう。数時間ぶりに目と目が合う。

「たーちゃん…」

 鳴海はただそう呟くしかなかった。

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