④ 光陰
第十話
コウスケは夢を見ていた。ここ最近よく見る夢である。
こちらをじっと見つめ、観察する少女。その目は軽蔑するでもなく、哀れむわけでもなく、ただただ男の自分を観察している。好奇心、知識欲…果たして彼女の胸の内にあるのは、それだけなのだろうか。目が合うと、彼女の自然なほほ笑み。
(馬鹿馬鹿しいったらありゃしない)
コウスケは夢を見ながら、こんな夢を見る自分に悪態をついた。いわゆる明晰夢のようなもので、やめようと思えばいつでもやめられる。だがコウスケは、自らの意思でこの夢を中断する気にはなれなかった。
「コウスケさん」
夢の中の彼女が声をかけた。この夢に音が付くのは初めてだ。コウスケはこれまで、音や色のついた夢など見たことがなかった。
「コウスケさん」
もう一度呼ばれる。いい加減にしてほしい。これ以上は精神に異常をきたす。それとも、もうとっくに狂っているのか…?
「コウスケさん!」
コウスケは目を覚ました。目の前には白みはじめた日を浴びる彼女と光る眼鏡。
(今夜の夢は二重構造か…)
コウスケは目を閉じた。
「え、二度寝?」
いやにはっきりした声が聞こえ、慌てて起き上がる。
「おまっ」
大声で叫びそうになるのをすんでのところで思いとどまった。
「何しに来た?」
小声で囁くコウスケ。
「えっと…、何から話せばよいのやら…」
鳴海はもたついている。いつサエが起きてくるのかわからないのだ。早くしてほしい。
「あ、そうだ、猫」
「猫?」
「そうそうこの前の猫、あの子もだいぶ回復したんじゃないの?」
コウスケは背中を向け、ベッドとは名ばかりの固い寝台に横になった。
「猫なら死んだ」
「え?」
「あの野郎の鼻があんなに利くとは思わなかった。まあ、薬の中には感覚が異常に鋭くなるものもあるからな」
「そうなんだ…」
会話のとっかかりを失ったのか、しょぼくれ、ベッド脇の椅子に座る鳴海。
「そんなことを言いに来たのか」
「あっ、いや、そうじゃなくて」
鳴海は慌てて否定した。
「えっと、コウスケさんは、さ」
「コウスケでいい」
「あ、はい」
鳴海は仕切りなおす。
「コウスケは、さ」
「おう」
「明日、いや今日、ここが取り壊されるって知ってる?」
コウスケは言葉を失った。この女、とんでもない豆鉄砲の使い手だ。
「…やっぱり、コウスケだけ言われてないのかな」
鳴海は思案顔になった。
「この辺一帯、人っ子ひとりいないんだよね。サエさんも誰もかも」
外から夜の虫の声が微かに聞こえる。それ以外は、何も聞こえない。
* * *
「これがどういうことなのか、説明していただけますか」
高校の体育館ほどの広さの密閉された空間に、細川蓮の静かな声が響きわたる。
特居の中心、旧中央管理塔から通じる地下空間の一室。ここには特居中の住人が集められていた。住民代表のサエが蓮に応じる。
「これとは、どれのことでしょうかねぇ」
「いまの、この状況です」
蓮は名簿を片手に、住人たちの群れを見渡した。何度見ても、男の姿が見受けられない。
「なぜ、男が一人もいないのですか。住人全員が集まることが交渉の条件のはずですが」
「おや?だから全員いるじゃないかい。住
蓮は、右の握りこぶしを固く握った。ここの連中は昔から何一つ変わっちゃいない。
「なるほど、見解の相違があったみたいですね…」
「そういうことになるねぇ」
蓮は襟につけた小型トランシーバで里見を呼んだ。
「どうしますか」
「ちょっと厄介ね。…まあでも、男の方は見つけ次第抵抗勢力として処分すればいいかしら。女性は全員いるのでしょう?」
「はい、私たちの把握している住人は全員います」
「なら、計画通りにしましょう」
「了解です」
トランシーバを切る。
「なあ、レンさんよ」
サエが声をかけてきた。
「本当に、ここから出してくれるのかい?」
「ええ、大丈夫ですよ。そういう約束ですからね」
「そうだよねぇ。そのためにわざわざこの塔でやってたことやら何やらを教えてやったんだから」
「はい、ちょっと食い違いはありましたが…予定通り、皆さんの居住環境はきっちり確保してありますよ」
群衆から安堵の息が漏れる。蓮はそんな住民たちの隙を見計らってポケットに隠し持ったガスの噴出ボタンを押した。大部屋の広い床に毒ガスの層がすこしずつ堆積してゆく。まだ勘付かれてはいないようだ。
蓮は妙のことを考えていた。日曜の夜は必ず帰るという日課を破ってまでこんなことをしている。この埋め合わせは必ずすると約束したが…彼女は今、家でさみしい思いをしているのだろうか。
(いや、妙ちゃんのことだし鳴海ちゃんを家に連れ込んでよろしくやってるんだろうな)
そう思うといくらか気は楽になった。
* * *
鳴海は、外で行われた住民投票のこと、特居の解体の日程が今日から始まることを告げた。
「つまり、ほかの奴らは皆もうすでに退避していると?」
「そうなんじゃないのかな…なんでコウスケに知らされてないのかはわからないけど」
「それだが…たぶん俺だけじゃない。男は皆見放されたんだ」
「男が?」
「ああ。ここ数日、俺の知り合いの男が何人かいなくなってる。人が消えるのはよくあることだからあまり気に留めてなかったが…まあ、そういうことだろうな」
コウスケの言葉を聞いた鳴海は考え込んだあと、
「じゃあ結果的に助かったのかな」
「?何言ってるんだ??」
「いや、ほんとはこれを言いに来たんだけど…」
鳴海の口から、にわかには信じられない事実が告げられた。なんと都知事が「住人をまとめて廃人にする」という計画を立てていたのだという。まとめて、ということは住人を一か所に集めて何かしらの“処置”を施すということであり、今まさに住人達がどこかに集められているのは間違いない。そしてコウスケは結果的にその罠から逃れたのではないか、という。
「他の人たちには申し訳ないけど…手遅れになる前でよかったね」
そう言って複雑そうに笑う鳴海。
そもそもなぜこいつはこんなことを知っているのか。特居解体はともかく、廃人のことは一般に知られているとは思えない。この女は一体何者なのだろうか。よく考えると、コウスケはこの女に関してほとんど何も知らないに等しい。
いや、そんなことよりもっと気になることがある。
「お前、そんなことを言うためにここまで来たのか?」
鳴海はコウスケの疑問に心底驚いているようである。
「そんなことって…けっこうなことじゃない?」
「俺にとってはな。だがこれを伝えてお前に何の利益がある?ここに危険を冒してまで来る理由がどこにある?」
鳴海はしばらく考えたあと、何かを決心したように顔を上げた。
「…コウスケに会いたかったから、なのかな」
「…は?」
「元気な顔を見たかったから。元気な声を聞きたかったから。もう二度と会えなくなる、って思うと、居ても立ってもいられなくて…やっぱり変かな?」
鳴海の目はとても冗談を言っているようには見えなかった。
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