第八話
一か月後、鳴海は細川家の小さな食堂の食卓に腰かけ、『日曜討論』にチャンネルを合わせていた。鳴海にとって細川家は第二の実家も同然である。居心地の良さでは牧野邸よりはるかに上であろう。
「いまここで歴史的な決定が下されたことに、私は感涙を禁じえません」
住民投票当日の里見の記者会見のVTRが画面に映し出されている。
「人類は太古の昔から、男と女、性という非合理で理不尽なルールに縛られて生きてきました。我々がその呪縛から逃れる手段を手に入れてからすでに130年、それでもなお、男という前時代の幻影が、あの特居の中には渦巻いていました。…そうです、幻影です。男そのものが数を減らしても、かつて男の持っていた暴力性、犯罪性は特居の中で脈々と受け継がれていたのです。こんな無政府状態では、いつまた悪意のある者たちからの脅威にさらされるか分かったものではありません。我々はあの時代遅れの壁を取り払い、未来を切り開く必要がある…私のこの考えが都民の皆さまから支持をいただけたこと、まこと至福に存じます。あの忌まわしい区域を撤廃することは、東京にとってだけでなく、日本にとって、そして人類全体にとって大きな躍進なのです」
画面がスタジオに切り替わった。
―特居の解体作業はついに明日から、都の主導にて開始される予定だそうですね。なんでも日本政府関係者からの増援を断ったとか。
―牧野知事はやたらと事を急いでいるようですが…これは一部報道にある通り、都知事が洗脳技術を独占し、その流用を企んでいる、ということなんでしょうか?
―いや、そんなことはありえないですよ。第一、例の極秘研究は実際にはほとんど進展してなくて、洗脳の実用化は夢のまた夢という状態ですからね。独占するだけ無駄ってなもんです。それにあの施設を手に入れても今後は市民の目が厳しくなるでしょうから、研究のさらなる進展も望めませんしね。
―なるほど…では、なぜ?
―そうですね。やっぱり対抗勢力への牽制、これが一番でしょうね。あまり時間をかけるといろいろと妨害が入る可能性がありますからね。黒志団の残党もまだいないとは限らないわけですし…
―それにしても、準備が良すぎではありませんかね?まるでこうなることが計画の内だったような…
―わかりやすい陰謀論に飛びつこうとするのはマスコミの悪い癖ですね。第一…
(ま、一般的にはそうなんだろうけどね…)
鳴海は食卓の中央に盛られた草加せんべいの袋を開けた。
(あの人の場合はどうなんだか…)
「あ~、もうくつろいじゃってる!」
せんべいをほおばる鳴海に、妙が叱咤とともに近づいてきた。鳴海とともに食卓横の小さなテレビの画面を見やる妙。
「明日かぁ…里見さんもお姉ちゃんも大変だね」
しばらくの沈黙の後、鳴海はふと心に浮かんだ疑問を口にした。
「…ねえ、たーちゃん?」
「どうしたの?」
「…もともと特居に住んでいた人たちって、どうなるんだろうね?」
「…え?」
「なんでもない」
妙が答えあぐねていると、鳴海はテレビの電源を消し、妙に方向を振り返った。
「そんなことよりカードケースは見つかったの?」
「あ、それはこの通り」
妙は右手にぶらぶらとウサギ柄のファンシーなカードケースを下げた。
23世紀日本において、すべての決済は国民一人ひとりに支給される国民カードを介して行われる。いうなれば国営のキャッシュカードであり、旧世界において財布に該当するものである。
「まったく、今どき買い物しようと町まで出かけたらカードを忘れる愉快な高校生なんてたーちゃんぐらいなもんだよねぇ」
「いつもはなるちゃんの方が圧倒的に忘れ物してるのに…なんたる屈辱ッ!!言い返せないッ!」
「お姉さんの方はあんなにしっかりしてるのにねぇ」
鳴海がそうやってまた煽ると、
「おや、それはどうかな?」
妙は、今度はこれ見よがしに左手を上げた。見慣れた柄と形の弁当箱がぶら下げられている。普段妙が学校で使っているものと同じ型のようだ。
「お姉ちゃん、またお弁当忘れてるよ」
* * *
鳴海が都庁を訪れるのは初めてだ。そもそも来ようと思ったことすら無かった。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「いいよいいよ、仕事してる蓮さんも見てみたかったし」
「うーん、見れないと思うなぁ」
妙は口の下に手をやった。
「なんで?」
「前にも入ろうとしたんだけど、お姉ちゃんがいるところまでは入れさせてくれなかったんだよね…さすがにセキュリティが堅いみたい」
「え、そうなの?…あ、いやまあ当然か」
「うん、だからこれを受付に渡すくらいしかできないと思う」
「なんだつまんない」
鳴海は口を尖らせた。
「あれ、知事の娘さんじゃないかい?」
二人が受付のヒューマノイドに弁当を渡していると、横から都庁の職員らしき人に声をかけられた。
「え…あ、はい。そうですけど…」
「いつも牧野知事にはお世話になってるよ」
「は、はあ、それはどうも」
職員はにっこりと満面の笑みを浮かべた。鳴海は長年の経験から、心の底から湧いて出る笑顔と算段の下に作り出される愛想笑いとを容易に区別することができた。
「お母さんに会いに行く?」
職員はいかにも気さくそうにそんな提案をくりだした。
「いえ、私はこの子の付き添いで来ただけでして」
「付き添い?」
職員は脇で弁当を片手に二人のやり取りを眺めていた妙に目をやった。
「なるほど、細川秘書にお弁当…かな?」
「はい」
妙は素直に返事した。
「じゃあ直接渡しに行く?知事の親族とその付き添いなら私の権限だけでも入れるからね」
職員はそう言って首にぶらさげた名札のカードキーを指さした。
「いえ、悪いですよそんなこと」
「若いんだから大人に遠慮しないの」
(遠慮じゃなくて警戒だよ)
鳴海の心の声を知ってか知らずか、職員は二人の肩に手をやってほぼ強引に関係者用入り口のセキュリティゲートまで連れ出した。ゲート横のリーダーにカードキーを通し、何やら暗証番号らしきものを入力する。
「はい、あとは国民カードをあの改札にかざせばいいからね」
「は、はあ」
職員は有無も言わせず二人をゲートに通させた。
「知事と細川秘書は今最上階の執務室にいるはずよ。それ以外の階層には入れないから注意してね。あ、それと、ここから出るにも私のカードキーが必要だから、帰るときは私に電話してね。はいこれ私の番号」
職員はそう言って二人に名刺を渡し、スタスタと立ち去っていった。
「あんな気さくな人もいるんだね…」
鳴海はそんなことをつぶやく妙の呑気さに感心した。
「たーちゃん、ちょっとこっち向いて」
「え、あ、うん」
鳴海は妙の肩のあたりを探った。シールのようなものを見つけ、肩から取り外す。
「やっぱり」
「なにそれ?」
「小型のシール型カメラだね。それにこっちには盗聴器…と」
妙はあっけに取られ、言葉を失っている。
「まあ大方、あの人の弱みとか情報を知るためだろうね。娘には気を許すとでも思ったんだろうけど…何もわかってないね」
「いまさらだけど…なんかすごい世界…」
「あんまり慣れたくない世界だけどね。あ、私のも取ってくれる?」
「あ、うん」
妙は鳴海の肩を注意深くまさぐり、妙につけられていたものと同型のシール型カメラと盗聴器を取り外した。鳴海はそれを受け取ると、妙に付着されていた分とまとめて近くの観葉植物の鉢植えの土に埋め込んだ。
「まあせっかくだし、行ってみようか?執務室」
何事もなかったかのように提案する鳴海であった。
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