③ 虚実

第七話

 鳴海の二度目の特居侵入から一ヶ月が経ったころ、大手全国紙上でとあるスクープが発表された。―東京都第八特別居住区内の施設にて、政府主導の人体研究が極秘裏に行われていたというのである。

 研究の内容はというと、人の精神の仕組みを探り、その制御の方法を模索するというもので、被験体としては特居への亡命者が使用されていた。このスクープを皮切りに、次々とこの研究の秘密が白日の下に晒され、絶大なセンセーションを巻き起こしたのだった。


 これらのニュースは、三つの点で国民を驚かせた。

 まず、特居の住人のほとんどは男ではなく、特居外からの亡命者であり、いわば犯罪者の巣窟となっているという、ニュースの前提となる事実。壁の管理が国の管轄から都道府県や市町村へ委託されてから境界警備が格段にゆるくなり、管理局が有名無実化していたことが白昼のもとにさらされた。

 二つ目は、政府の行っていた実験の残虐性である。被験者に同意を得ることはほとんどなく、身体や精神に甚大な影響を及ぼしうる人体実験をしていた。壁の外ならば言うまでもなく違法である。

 そして最後に…これが一番の衝撃だったかも知れない…これら実験群の最終的な目的が、人心の効率的な制御、即ち洗脳術にあったという点である。このことから、マスコミはこの研究を「現代のMKウルトラ計画」と呼称した。


 これらのセンセーションに真っ先に反応したのは、東京都知事牧野里見であった。

彼女はもともと公約として都による特居の廃止、及びその広大な土地を利用した新都市計画を掲げており、その可否を問う住民投票の準備を進めていた。上のニュースが日本中を駆け巡るまでは、各種世論調査はこの住民投票の結果を反対多数の否決と見ていたが、いまやその趨勢も逆転しようとしていた。


―それでは、住民投票の期日を予定よりも早める、ということでしょうか?

「ええ、その通り。こんなことが明らかになった以上、早急に都民の皆様の意見をまとめる必要があるもの」

―具体的には、いつ頃実施予定でしょうか?

「早くても一ヶ月、遅くても一ヶ月半後かしら。それまでの間、皆さんにはぜひあの特居がこの世に必要なのか否か、じっくり考えて頂きたいわ」

―性急すぎませんか?

「…確かに、五十年近く続いたものをなくすことに抵抗を覚える方も多いことは分かっているわ。でもね、あそこを現存させても百害あれど一利なし。私たちはもういい加減、あの過去のお荷物を切り捨てる必要があるの。私は投票のその日まで、そのことを皆さんに理解していただくよう、尽力するつもりよ」

―もし可決された場合、特居の元住人の待遇はどうなさるつもりですか?

「それについては、もうすでに特居側との交渉を開始しているわ。…心配しなくても、特居の住人たちを野に放つようなことはしないわよ」


 牧野知事の顔のアップが公園の巨大モニターに映し出される。それを眺める鳴海と妙。朝の待ち合わせによく使う公園だ。

 鳴海はモニターを見ながら押し黙っている。

「…なるちゃん、この前のこと、まだ気にしてる?」

 妙が鳴海の顔を覗き込んだ。

「…え?」

「ほら、この前の…白沢さんのこと」

「ああ、あれか…」


* * *


 四日前のことである。鳴海は清秋学園の廊下ですれ違った生徒に、カッターナイフを突きつけられたのだ。

「痛っ!」

 とっさにのけぞった鳴海の右腕からほそい血液がとくとくと流れ出ていた。傷を手で覆う。

「何すんだよ!」

 鳴海は体裁を忘れて叫んだ。

「ちっ」

 相手の生徒は舌打ちを打つと、再度攻撃を繰り出した。呆然と立ちすくむ鳴海を尻目に、横にいた妙が仲裁に入る。周りに人だかりができるが、誰も加勢には入らない。

 騒ぎを見て駆けつけた警備ヒューマノイドは生徒の手からカッターを振り落とし、組手よろしくその動きを封じた。

「お前らのせいで、お前らのせいで…」

 生徒はそう呻きながら、警備ヒューマノイドに連れ去れていった。

 野次馬の声が聞こえる。

「あの子…前の壁の管理局局長の子でしょ?」

「ああ、あの責任取って辞めさせられたっていう…」

「そのせいでここを退学することになったんだってね…」

「いまだにマスコミに追われたりしてるんでしょ?」

「でもなんで牧野さんに…?」

「噂よ噂。あのスクープは都知事が仕掛けたっていう噂があるの」

「えー、まさかー」

「どっちにしろ、あんまり関わりたくないなぁ」

「うん、こわいこわい」

 群衆は立ちすくむ二人を残し、次々と去っていった。


* * *


「たしかにびっくりしたけどね…でも誰かから逆恨みされるのは慣れてるから」

「でもまさか、あんなことされるなんてね…傷はどんな感じ?」

 妙は鳴海の腕を見た。

「んー、まあだいたいは治ったかな。カッターなんてたいして深い傷つけられないし」

 鳴海は右袖をまくり、腕につけたガーゼを鳴海に見せた。

「怪我なんて昔からしょっちゅうしてるしね」

「この前も派手に転んだとかなんとかで手のひらが大変なことになってたしね」

 鳴海はハハ…と力なく笑った。当然だが、特居でのことは妙には内緒のままである。

「その節はご心配をおかけしました…」

「まあ、問題は体の方じゃないからね」

 妙が言うと、鳴海は不思議そうな表情をつくった。

「どゆこと?」

「あれからなるちゃん、みんなから避けられてるでしょ。それこそ腫物か汚物みたいに」

「ああ、なんだそんなことか」

 鳴海の反応はあっけからんとしていた

「そんなことか、じゃないよ。無視されたり、のけ者にされたり…つらくないの?」

「まあ、そんなに仲よくもなかったし。変に擦り寄って来るよりよっぽどましだよ。それに面倒に巻き込まれそうな人にはなるだけ関わらないってのは、当然の処世術だよ」

「なるちゃん…」

 鳴海は気丈そうにふるまっているが、妙にはその苦しさが痛いほどよくわかった。

「たーちゃんも、いつまでも私と一緒にいなくていいよ」

「なんでそんなこと言うの?」

 妙は責めるように言った。妙にしてはめったにないことで、困惑する。

「いや、だって…たーちゃんにはたーちゃんの友達関係があるわけだし…」

 妙は大げさなほどに大きくため息をついた。


「どうしたのたーちゃん?」

「私ね、ちっちゃいころ…小学生の低学年くらいかな?クラスのみんなからいじめられてたの。話しかけても無視されたり、陰でこそこそ嗤われたり、教科書やら上履きやらが池に沈められたり。親もいないし、貧乏でろくな洋服着てなかったし、私も内気で暗かったから、それも仕方ないなって、そうあきらめてた。お姉ちゃんにも絶対に言えなかった」

「知らなかった…」

 意外であった。

 今の妙はどちらかというと明るく朗らかで、交友関係も鳴海より格段に広い。


「なるちゃんのおかげなんだよ?」

「え?」

「いまの私があるのはなるちゃんのおかげ。あの時、独りぼっちの私に声をかけてくれたのも、隠された教科書を一緒に探してくれたのも、なんかよくわからない冒険やら探索やらに強引に誘って来たのも、ぜんぶなるちゃん」

 妙は最上級の笑顔を向けた。

「覚えてないだろうね。なるちゃんにとっては、当たり前のことだから」

「うーん、二人でよく遊んだことは覚えてるけど」

「それでいいんだよ。私もあんまり思い出したくないから」

「そっか」

「うん。だけど、これだけは分かって」

 妙はいつになく真剣な顔になる。

「私にとってなるちゃんは、友達とか、そういうのよりもっと大きなもので…なるちゃんから離れることは絶対にない。絶対にね」


 鳴海は一瞬、言葉に詰まったが、すぐに感謝の言葉が口をついた。

「ありがとう」

「ありがとうはこっちでしょ」

 妙はそういうと、声を上げて笑い、鳴海もそれにつられて笑った。ひとしきり笑ったあと、鳴海は腕時計を見やった。

「もうこんな時間。はやく帰らないと」

「そっか、じゃあまた明日ね」

 妙はバイバイ、と手を振った。

「うん、またね」


 鳴海は手を振り、妙と逆方向に歩き始めた。…が、すぐに妙の方を振り返った。

「?? どうしたのなるちゃん?」

「いや、なんか聞こえたような気がしたんだけど…気のせいだったみたい」

「もおっ、怖いこと言わないでよ!」

 妙が珍しく怒る。妙は創作物のホラーには(鳴海のせいで)耐性があるが、日常的な怪談にはめっぽう弱いのだ。

「ごめんごめん。じゃあね」

「じゃあね」


 鳴海は動揺していた。

『なるちゃんは私から離れないよね?』

 先ほど去り際、妙がそう呟いたような気がしてならなかったからだ。


(本当に気のせいだったのかな…?)

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