第六話
しばらくして、コウスケと鳴海の一行は比較的賑わいを見せる街道へと歩を進めた。どうやらここは商店が集まった区画らしい。怪しげな、何を取り扱っているのかもよくわからない店がちらほらと見受けられる。そもそも開業してるのか閉店してるのかもよくわからない店が多い。あたりを観察しようとフードに手をかけた鳴海だったが、その手もすぐさまコウスケの大きく力強い手によって阻まれた。ここでは顔を出していけないらしい。
コウスケはそんな店のうちのひとつで足を止め、そそくさと店内へと入っていった。鳴海もそれについて行く。
店内では年老いた店主がカウンターでうたたねをしていた。口の周りから髪のように毛が伸びているというのに、肝心の頭の方の髪は薄くなっている。これが男の老体なのだろうか?
「おい起きろ」
コウスケの一言で老人はブルッと目を覚ます。
「はいはい起きてますよ」
「替えの包帯。あと消毒液も」
「もう無くなったのかい」
「いいからくれ。金ならまだある」
コウスケは懐から硬貨を取り出した。硬貨なら教科書で見たことがある。通貨価値を持たされた金属のメダルであり、少額の決済に使われることが多かったらしい。この目で実物を見るのは初めてである。鳴海は、手を伸ばしてまじまじと嘗め回すように観察したい衝動をぐっとこらえた。
「こんなことに大事な給料使っちゃっていいのかい」
「給料ね…どうせ大したものが買える額じゃねえよ」
コウスケの脇にいるフードの少女の姿を横目に見た老人は、何かを察したのか、二巻きの包帯と消毒液の小瓶を棚から取り出した。
「おい、包帯が多いぞ」
「いや何、当店では同じ商品を一週間以内に再購入した顧客には無料で一つ増量するキャンペーン中なんでさ」
「聞いたことがない」
「言ってませんから」
「…おやじ、告知されないキャンペーンに意味はないぞ」
「それもそうだ」
店主はそう言って、高笑いした。
* * *
「もう頭出していいぞ」
商店街道を抜け、背の高い雑草の生い茂る空地に入ったところで、コウスケの許可が出た。辺りに人の気配は無い。
「ふー暑い暑い」
鳴海はフードを後ろに下げた。掌で触ると痛いので、手の甲を器用に使う。
「それになんかかび臭いし…」
「文句をいうな文句を」
コウスケはそう言いつつ、雑草をかき分けていく。
「あの…手当てするんじゃ…」
「お前は後だ」
「後…?」
鳴海は先ほどのコウスケと店主との会話を思い出した。
草をかき分けたその先では、真っ赤に染まった包帯を胸部に巻いた白猫がぐったりと横たわっていた。首には、見るからに高級そうな首輪が括り付けられている。コウスケの姿を確認すると、か細い声でニャと鳴き声を上げた。胸の包帯はこれ以上ないほどに血を吸い尽くしており、交換を必要としていることは明らかだった。
コウスケははさみを取り出し、猫の包帯を切り取った。切り裂かれたような傷が露になる。とても自然にできた傷には見えない。鳴海は息を飲んだ。
コウスケは慣れた手つきであっという間に包帯を付け替えた。おそらく何度もこの作業を繰り返しているのだろう。
「この猫はな」
作業を終えたコウスケが突然に話しだした。
「解剖されかけてた」
「解剖?」
コウスケは水筒を取り出し、水飲み皿に注いだ。猫は嬉しそうに舌をつける。
「お前が来た次の次の日くらいだったか、あの巨木広場の近くの民家で金切声を聞いた。慌てて行ってみると、あの婆さんの顧客の一人がこの猫にメスを立てていた。そいつは外の世界が大嫌いで、自分より弱いものをいたぶり壊すのが大好きなやつだ…俺が止めてなきゃ今頃どうしてたか」
コウスケは猫の耳の裏をさすった。猫が甘えた声を上げる。
「…見かけによらず優しいんだね」
鳴海がつぶやくと、コウスケは妙な顔を向けた。
「お前、察しが悪いな」
「…は?」
コウスケはまた軽くため息をついた。
「俺が言いたいのはな、お前はこの猫も同然ってことだ。自分もまともに守れない弱者のくせにフラフラこんなところまで迷い込んで、迷惑ったらありゃしない」
「弱者って、そこまで言わなくても…」
「じゃあお前にあるのか、強さが。どんなやつからも自分を守れる強さが」
鳴海が押し黙っていると、コウスケは鳴海の手を取り掌をじっと眺めた。
「まずはとげを取るか」
鳴海は自分の体温が不快に上昇するのを感じた。
「い、いいよ!自分で!自分で取るから!!」
慌てて手を振りほどく。
「取れるのか、その手で」
ためしに取ってみるが、手のけがで精密な動きは難しい。
「無理すんな」
コウスケは穴の開いた硬貨とピンセットを取り出し、鳴海の手を取った。とげの埋まった場所に硬貨を押し当て、とげの頭を皮膚から出させる。そしてそれをピンセットで取り出す。コウスケはこの動作を黙々と繰り返した。なぜか、その手を振りほどく気にはなれなかった。
「さっきから思ってたんだけど」
鳴海にはこの沈黙は耐えられなかった。
「なんでそんなやたらにいろんな道具持ってるの?」
「いつ何が起こるかわからないからな、役に立ちそうなものはだいたい持ち歩いてる」
「へー…」
「何の用意もなくノコノコやってくるアホとはちがうからな」
「…ごめん」
コウスケは続けて消毒液を投与し、掌に包帯を巻いた。
「これであの麻縄くらいは掴めるだろ」
「うん、ありがとう」
「これに懲りたらもう二度とここには来るな。わかったな」
「…うん」
コウスケの声には有無を言わせぬ迫力があり、鳴海には到底逆らえるものではなかった。
* * *
同じ日、同じころ、妙は美術部部長に早退を申し出た。
部長はこれまで一度も部活を休んだことのない妙の突然の申し出に驚いたようだったが、妙の様子からただならぬ事情を察したのか、特に理由を問いただすこともなかった。
妙が向かったのは、鳴海の家である。
妙は鳴海の家のインターホンを押した。家庭用ヒューマノイドの音声システムが受け付ける。
「鳴海様のご学友の妙様でしょうか」
「はい」
「ただいま鳴海様は留守にしております」
ヒューマノイドの声は淡々としている。
「そう…じゃあ中で待ってていい?」
「申し訳ございません。鳴海様からなにも仰せつかっておりませんゆえ、たとえご学友であろうと私の独断でお招きするわけにはまいりません」
「独断で…?」
このようなとき、家庭用ヒューマノイドは外出中の持ち主、この場合は鳴海に連絡して許可を取るのが一般的である。ところが今回は連絡を取ろうともせず、家に入れることを断った。
「もしかして、今なるちゃんと連絡がとれないの?」
「はい、電波の届かないところにいらっしゃいます」
電波の届かないところ…現代の日本においてそんなところは、特別居住区の内部以外にはありえない。
「そう、ありがとうね…大した用じゃないから、来たことはなるちゃんに言わなくていいからね」
「了解しました。お気をつけてお帰りください」
妙はヒューマノイドの事務的な挨拶に一言も返事することなく、鳴海の家を立ち去った。
(特居、ね…)
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