② 再会
第四話
「お姉ちゃん、お弁当忘れてるよ」
鳴海の特居潜入の早朝、細川蓮が職場に赴こうと細川家の玄関を抜けると、妹の妙が急いで駆けつけてきた。
「えっ、ほんと?」
「そうだよ。お姉ちゃんはしっかりしてるようで抜けてるんだから」
「ごめんごめん」
差し出された妹の手作りの弁当箱を受け取る。
「せっかくの日曜なのに、ごめんね」
「いいよ、お仕事なんだから…都知事の秘書なんて、そうそうお休みできないでしょ?」
妙は穏やかな笑顔を返した。この子の笑顔を見るたびに、仕事の疲れが一気に抜ける。
よく見ると、妙は買ったばかりのワンピースに身を包み、全身から気合の入ったオーラを漂わせていた。
「今日、さては鳴海ちゃんとお出かけかな?」
「うん!」
満面の笑みになる妙。
「妙はほんとに鳴海ちゃんが好きなんだね」
「やだなーそんなんじゃないよー…えへへ」
妙がはにかむ。妹がこんな表情になるのは、牧野鳴海の話をするぐらいなものである。おそらく、本人の前ではこんな顔にならない。
「おっと、そろそろ行かないと」
蓮が腕時計に目をやる
「うん、いってらっしゃい。大好きだよ、お姉ちゃん」
「大好きだよ、妙ちゃん」
いつもの挨拶を交わして家を出る。
(大好きだよ、か…)
このあいさつをする度に、蓮の胸はきりりと痛くなる。
* * *
「いいなぁ、お姉ちゃん…」
二人の行きつけの喫茶店「ひばり」で妙が今朝の蓮の話をすると、鳴海は感嘆の息を吐いた。
「欲しかったなぁ」
単性社会の日本において、一人っ子は稀である。たいていの家庭は二人姉妹、または四人姉妹を有する。なぜかというと、女性婚は初期からの伝統として、パートナー間の平等を暗黙の前提としてきたからだ。
女性婚において、パートナーはどちらも妊娠能力を持つ。つまり、出産のリスクは暗黙のうちの了解として両者が平等に負うこととなる。交互に年を空けて子供も産むことが多いが、二人同時に妊娠して同時期に出産するというケースも珍しくない。
無論この暗黙の了解が通用するのは、あくまで互いの立場が平等のときである。
鳴海の両親は違った。鳴海の生みの親は、牧野家の跡取りを産むためだけにその身を雇われ、役目を終えるとすぐに姿を消した。あくまで契約上の関係だったのである。だから里見は今なお独身であり、鳴海に姉妹ができることはない。
親族の数をなるべく少なくし、余計な係争や愛憎を抑えるべし…それが里見の思想であった。ただ一人の子を自らの体で産まなかったのも、その子に必要以上の愛着を持たないためである。
「まあでも、うちが特別に仲いいだけで、ふつうはもっとドライだと思うよ?ほら、うちは親がいないし…」
「…事故だっけ」
「うん、私は何にも覚えてないけどね…」
妙はうつむき加減に答えた。
沈黙。
「白桃とカスタードのジューシータルト…だと!?」
メニューに目を落としていた鳴海は、「ひばり」新作のスイーツを目ざとく発見し、突如として叫んだ。二人は一斉に目を合わせる。
「マスター!!これ二つ!!」
* * *
「特別居住区の地下空間をふくむ正確な内部地図、道路や家屋の状況、そして現住人の把握…」
牧野里美都知事は提出された書類にパラパラと目を通した。
「これほどの短期間でここまでの情報を集めてくるとは、さすがは蓮ね」
「恐れ入ります」
答えるのは里見の第一秘書、細川蓮である。
「それにしても…公安や警視庁に内密にこんなこと調べていいのでしょうか?」
「この件に関して、既存の官僚組織がどこまで信頼できるのかしらね」
「…と、いいますと?」
「…なんで特居が今日の今日まで容認されてきたか、知っているでしょう?」
里見は蓮の質問に質問で返した。
「知事の持論では、官僚が特居を秘密裏に利用してきたから、ですよね」
「そうね」
里見は人差し指を立てた。
「消極的には薬物中毒者や犯罪者集団を表の世界から隔離するための必要悪として」
続いて中指も立てる。
「積極的には、世間に公表できない政府の違法な研究の拠点として」
「前者はともかく、後者はまだ推測の段階ですがね」
蓮が補足する。
「証拠集めはこれからあなたが行うのよ、蓮」
「わかってます」
蓮の力強い返事に、里見の頬が緩む。
「証拠が集まれば、ついに計画を始動できるわね」
「…本当にやるつもりなんですか」
「当然でしょう?」
里見は興奮したように、安楽椅子から立ち上がる。
「この国はね、世界で初めて単性化に成功した先進国よ。つねに他国のロードモデルでなくちゃいけないわ。なのにあの特居…あんなものが未だに存在してるのはこの国くらいなものよ。あれはこの国の恥、この国の汚点よ」
里見の語気が荒くなる。
「この国から特居を排除する…そのための第一歩が、この首都東京の特別居住区を抹消することなの。わかる?これは東京の、日本の未来のためなのよ」
「はい、わかります」
里見の熱のこもった演説と裏腹に、蓮の返事は事務的であった。
「…その目は何かしら」
「えっ?」
「都知事に忠誠を誓う秘書の目かしら…それとも、生まれ故郷が消えるのをいまさらに憂う裏切者の目かしら」
「!!そんなことありません!!絶対に!」
蓮はいつになく声を荒げた。
「そうよねぇ。あなたは妹と幸せに暮らせれば、それで満足よね」
里見は蓮に近づき、小声で耳打ちする。
「あなたがここまで女として、姉として生きてこれたのは誰のおかげかはもちろんわかっているわよね、
「…はい」
蓮は蚊の鳴くほどの声で返事した。
彼女は、いや彼は、里見には逆らえない。
自分を姉として愛している、妹のためにも。
* * *
その日の晩、蓮と妙は同じ食卓に着いた。目の前には妙が昨晩から仕込みをしていたビーフシチューが芳醇な香りを放っている。
どんなに忙しくても、一週間に一度、日曜だけは必ず夕飯を共にするのが、この姉妹のルールなのだった。時刻はもうすでに10時を回っているから、夕飯というよりも夜飯である。
「今日も遅くなって、ごめんね」
蓮が謝る。
「謝らないでよ、折角のお食事がまずくなっちゃうでしょ?」
妙は本当に優しい。蓮のとっては自慢の妹だ。
「それもそうだね…妙ちゃんと鳴海ちゃんは今日、何してたの?」
鳴海のことを聞くと、この子は本当にいい笑顔を見せる。
「えっとまずね、なるちゃんが前から見たがってたホラー映画を見に行って、それから私の部活用の新しい絵筆を二人で選んで、それから二人で喫茶店でいっぱいおしゃべりしたよ。白桃タルトおいしかったなぁ…」
「楽しかった?」
「うん!…あ、でも」
妙の顔が少し曇る。
「今日のなるちゃん、時々ちょっとおかしかったような…?」
「ちょっとおかしい?」
普段の妙の話を聞いている限り、鳴海がちょっとおかしいのはいつものことのように思えるのだが。
「うん…なんていうか、ここにいるのにここにいない、というか…遠くのものを考えてる、というか…時々そんな表情になるんだよね」
「宇宙人の存在の可能性についてでも考えてたんじゃないの?」
蓮のでまかせな推論は、妙の激しい首振りによって一蹴された。
「あれは絶対そんな感じじゃなかった。間違いないよ!」
「まあ、鳴海ちゃんももう十六なんだし、色々思うところはあるんじゃないのかな?将来のこととか」
「そうなのかなぁ…?」
妙はいかにも納得いかないという顔で綺麗にスライスされたジャガイモの欠片を頬張る。
「私ももうちょっと暇だったら妙ちゃんとお出かけできるんだけどね」
蓮は話題をそらした。蓮の中ではもう鳴海の件は片がついているらしい。
「仕方ないでしょ、お仕事なんだから…その歳で第一秘書なんて、なかなかなれるものじゃないよ。それに奨学金とか、生活費とか、里見さんには色々お世話になったんだから、ちゃんと恩返ししなきゃ」
「はは…言う通りだなぁ」
蓮は頭を掻く。
「今度はまた大きな仕事を託されたからね、またしばらく家に帰れないかもしれない」
「そうなんだ…無理だけはしないでね」
「そりゃあ、妙ちゃんがいるもの、死ぬわけにはいかないよ」
妙の耳が、ピクリと動く。
「死ぬ…?」
「あ、いや、例えだよ例え」
蓮は大げさに手を振った。自分でも自分の言葉に驚きを隠せない。…弱気にでもなっているのだろうか?
「ねえ妙ちゃん…もし、もし私がいなくなっても、一人で大丈夫?」
蓮はなるべく深刻にならないよう注意しつつ聞いてみた。
「なんでそんなこと聞くの?」
「いや、話の流れ的に…?」
妙は、しばし沈黙した。
「私は、大丈夫かもね」
「え」
「お姉ちゃんは私無しで何日生きていけるかしら」
「…ほう、ぬかしよる」
二人は一斉に吹き出し、声を上げて笑いあった。
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