『最新の3DCGゲームはオープンワールドが流行りらしいっすけど、ぼかぁね、こじんまりとした世界でハクスラするのが好きなんすよ』

 人生の幸福とはなんだろう。歳を取ったせいか、最近はなんか、そんな事を考える機会が増えていた。


先生:

「――でない。Sレア素材がマジ出ない。大幸運ギフトのアビ付けてるはずなのに、理論上は5%以上の確率で出るはずなのに……出ないよぅ……」


 ボスのドロップを確認しては、ショートリセット。クイックスタート。ショートリセット。クイックスタート。


 もはや同じパターンで、ほぼ疑似乱数と化した作業を延々と繰り返している。もしやこの時間をべつの事にあてがえば、僕の人生はもう少し豊かなものになったのではないか……? 


 そう。人生の幸福とは、時間の無意味さを感じるその対極にある。しかし僕はあきらめきれない。出ない、出ない……と呪いのように繰り返していた先に、ころっと出てきたら、脳からあふれる汁がすごい事になる。


先生:

「あと一回、一回だけ……次で出なかったら、素直にあきらめて仕事する……っ!」


 強い決意を秘めて、半世紀前のレトロゲームのコントローラーを握りしめる。拡張現実AR仮想空間VRも、まだまだ一般的でなかった当時の代物だ。物的な液晶のテレビモニターに映るのは、ポリゴンで出来た3DCGであり、人々はこの世界を『二次元』と呼んで、現実とは違うものとして区別した。


先生:

「えぇい、出ろ、出せっ、僕の輝かしい、レトロゲーム人生の集積体っ、5%の祝福よ、今こそ光を与えたまえっ!」


 脳波は一切関係のない、純粋な十本の指で、コントローラーをカチャカチャと操作する。指示された三人の若者たちが、黒い翼を広げた最上位の邪神竜を次から次へとめった刺しにする。


 推奨レベルは30程度のボスだが、すでに全員が50を超えている。さらにはレアドロップ獲得のため、何度もリセットを繰り返しているので、パターンは見切って完全な作業と化していた。

 

先生:

「ぉーし、撃破! ついに5分を切るようになってきたか……さて、レア素材は」


システム:

「獲得したアイテムはありませんでした」


先生:

「ふざけんなおおおおおおおおぉぉぉン!!!!?」


 普段は温厚な僕であるが、ついにキレてしまった。たまらず、ワイヤレスのコントローラーをソファーに投げる。ぼすっ。


先生:

「昔の人間は、物欲センサーと言って、信じれば、必ずレアは出るって言ったじゃないかぁ……昔のゲーマーのウソつきぃっ!」


 床に両手をつき、がっくりと項垂れた三秒後、赤子のようにハイハイ蠢き、結局はコントローラーを取り戻し、ショートリセットするのだけど。


先生:

「フフ……まぁ、コレはコレで楽しいじゃないか。一種のタイムトライアルだと思えば悪くない、悪くないぞ……」


 疲弊した神経が、麻薬的な中毒性を求めはじめる。さぁもう一週だ。そう思い、コンティニューを押そうとした時だった。


担当たん:

「――先生、こんにちは。約束通り、参りましたのです。原稿の進捗の方はどうなのですか?」


 机の上、雪のようにまっしろな原稿用紙の隣。無秩序な空間にぽつんと置かれた『メガネ』から、声が聞こえてきた。


担当たん:

「現在わたしは、先生のご自宅の応接間にて顕現できるよう、待機モードを実行中なのです。ご準備が整いましたなら、『レンズ』の拡張現実ARの共有化設定をオンにして、応接間にいらしてくださいなのです」


 それは、この世に実在しない、妖怪の声である。


担当たん:

「先生? 音声は聞こえているのです? 起きていたら反応をくださいです。もしかしてまた、レトロゲームで遊んでいるのですか? 

 お約束していた原稿の締め切りは、今週中だって何度も念を押したので、さすがに現実逃避をしているとは思わないのですが、先生を信じれきれないのも確かなので、なにか応答を頂ければ幸いなのです」


 妖怪の名を『原稿おいてけ』という。僕は、ガクガクブルブルと震えて、そっとゲーム機の電源を切った。


先生:

(……アカン。ど、どないしよ……)


 もう泣きそう。もうやだ。研ぎ澄まされた神経が、ひとつの答えを導き出す。


先生:

(そうだ。居留守を使おう。明日まで物音を立てず、隠れていよう!)



担当たん:

「先生がご自宅の仕事部屋にいるのは、生体反応が消失していない事から分かっているのです。もし、万が一にも原稿が出来てない、あるいは遅れているというのでしたら、早いうちに弁明した方が、お互いに好ましい状況、あるいは最悪一歩手前になると判断できますので、とっとと応答をくださった方が身の為ですよ?」


 僕は死んだ。精神的に。


 あな恐ろしや。幽霊の方が、ナンボか可愛いに違いない。死刑執行を受ける罪人のように、ゆらゆらと机に歩み寄り、そのメガネを手に取った。


 ――それは『ホロウ・リレンズ』という。


 21世紀を折り返した現代に広まった、高度に小型化された、一般的な拡張現実AR可視化装置デバイスである。右の耳に掛かったフレーム部位を軽めにつっつき、声に出す。


先生:

「仮想領域の共有化を申請。対象、登録番号ナンバー01。対象が持つホログラム映像を拡張現実として、登録領域01の範囲内にて、双方の位置情報の可視化、およびリアルタイムでの情報継続を許可する」


ホロウ・リレンズ:

【EXEC.アバター情報をリンクします】


 本来は一言「01を許可する」と言えば済むけれど、手順の短縮化という作業がどうも苦手で、僕はバカ正直に、コマンド命令を逐一実行した。それから、応接間に向かう。まっしろな原雇用紙を抱えて廊下に出て、その部屋の扉を開いた。


担当たん:

「こんにちは、先生。お久しぶりなのです。お邪魔しておりますです」


 扉に近い方のソファー。その側に立って、僕に対してお辞儀する。彼女は艶やかな黒髪に、碧色の透明な薄羽を浮かべた、人工知能の少女だった。


 その羽は外見に不釣り合いな灰色のビジネススーツを透けて伸び、表面に刻印された文字列は『所属:不死川書房』と記されている。


 彼女の『核』となるデータは、僕もまた作家として所属する、不死川書房の本社サーバー、仮想データベース内に存在すると聞かされていた。


担当たん:

「先生、原稿の進捗はどうなっているのです?」


 僕の『担当』――ホログラム映像を『ホロウ・リレンズ』で可視化した人工知能――は、琥珀色の瞳の上に、同じようなシルバーフレームのメガネを掛けていた。


 自由にカスタマイズできる映像にありがちだが、彼女もまた、美少女と呼べるぐらいには各部位のパーツが整っている。ただし愛想がない。細い眉毛は逆さ八の字になっているし、なにより、目と口元が笑ってない。


先生:

「えーとね、ついさっきね、脳内に青天の霹靂が降りたところだよ」


担当たん:

「つまり、なにも進んでないのですね。はぁ……」


 露骨にため息をこぼされた。よく出来た人工知能である。心に刺さる。


担当たん:

「いいですか、先生。飛べない豚は、ただのブタという名言がありますが、書かない小説家はブタ以下のニートですよ? しかも先生の小説は、お世辞にも売れてるとは言い難いのです。その余裕は一体どこから生まれてくるのですか?」


先生:

「う、うぅ……」


 しかも辛辣である。痛いところを、グッサグサ突いてくる。


担当たん:

「わかってますよね。先生のなさっていることは、つらい現実から目を逸らすだけの逃避なのです。はい、復唱してくださいです」


先生:

「僕のしていることは、つらい現実から目を逸らすだけの逃避なのです……」


 もうダメだ。つらい。死んでしまいたい。僕みたいな人間は、せめてブタに生まれていればよかったのにぶひぃ。


 少女になじられて、打ちひしがれて、滂沱の涙をこぼしかけた僕に、しかし今度は慈愛に満ちた笑顔がやってきた。


担当たん:

「先生、あと一日だけ、お待ちするのです。わたしのホログラム、ここに置いておきますからね。24時間を使って死ぬ気で書き上げてください。先生の代わりとか、正直いくらでもいるのですよ……?」


先生:

「うわぁん! 打ち切らないで! 担当たん!」


 そして僕は、今日も売れない小説を書きはじめた。

 人生の幸福とは、今という時間を有意義に使えている、その実感であることを、この身を持って証明した。

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