第4話 黒鎧

「随分離れたな。」


イルの足に掴まって村を出てから、結構な時間が経っていた。


「そうですね…でも、本当に良かったんでしょうか、二人だけに任せてしまって…。」


「あのボクっ娘ゴーレムが任せろって言っただろ。イロスも一緒なんだ、大丈夫だろ。そらに本命を追いかけてぶっ潰さねぇと他の村や街がまた焼かれちまうからな。」


「…そうですね、私たちは私たちがすべきことをやりましょう。」


「二人になっても予定は変わらねえ。魔王軍の本隊に追いついて、そいつらのケツを蹴っ飛ばして土下座させる。もちろん顔面は地面より下だ。そうだろ?」


「…はい、頑張ります。」


「頑張らなくていいから、生き残れよ。頑張っても明日の朝飯が食えねーなら意味はないんだからよ。」


「勇者様…」


「けど、自分の身は自分で守れよな。防御に関してはうってつけの能力だろ、それ。ま、攻撃に転化できりゃ結構便利そうだけどな。」


イルを見上げながらそう言う。

今俺はガーゴイルの翼を広げて飛ぶイルの足につかまっている状態だ。

これならちょっとした森や川を簡単に越えられる。


「あのぉ…、あの!ゆ、勇者様…さっき私、上を見ないでくださいって言ったと思うんですけど!?」


「あーあー、そういやそうだったな、下ばっか向いてても首が疲れちまうからよー。」


「…もう。」


怒ってやがる。

女ってのはそんなにスカートの中を見られたくないもんなのか?

だったらそんなスースーしてそうなもん穿くなよって言いたくなるぜ。

いっそ下半身全部岩にしちまえばいいものを。


「…そういや昔、一緒に旅してた女の部屋にノック無しで入ったら同じような事言われてよ、散々ぶん殴られた覚えがあるぜ。ありゃトロールのこん棒でボコボコに殴られた時より効いたなー。」


「女の人の部屋にノック無しで入るなんて最低じゃないですか!常識が無いんですか!ないんですね!?勇者だからですか!?」


「勇者だからってなんだよ!?お前勇者なめんなよオラー!」


「ゆーらーさーなーいーでーくーだーさーい!!あと上向かないでくださいほんっと常識ないんですね!?」


常識はある。無視してるだけだ。


「はあ…そんな勇者様が今までどんな旅をして、どうやって世界を救ってきたか、ちょっとだけ興味があります…。」


「そんなってなんだよオイ。俺はお前らがそんなんでどうやって元魔王軍とやらをやってたのかの方が気になるっての。あ、まさかボランティアかなんかでやってたのか?」


「そんなわけないでしょう!?れっきとした正社員です!」


アルバイトですらなかったわ。

サイクロプスもゴーレムも少女声ときたら、もう元魔王軍全体がそうだったんじゃねえかと思えちまうな。威圧感も何もあったもんじゃねぇ…そいつらをまとめてた魔王、どんな野郎だよ。魔物アイドルのプロデューサーか?魔王Pなのか?


「…いずれ、ゆっくりお話する必要がありそうですね…。」


「そりゃ楽しみだ、宴会芸くらいできるようになっとけよな。」


「あはは…、そうですね。…その時は中身入りの勇者様石像を作ってさしあげましょう…」


「ん?何か言ったか?」


「だから見ないでくださいー!!?わざとですか!?わざとですよね!?」


と、イルが騒いでいたその時だ。


村で悪魔たちを感じたのとは比べ物にならないくらいの感覚が俺の全身を駆け抜けた。

血が、荒れ狂うように全身を巡る、この感じ。


「オイオイ、辺りにゃ何も見えないのにこれか、こりゃ相当なご馳走だぜ…!おいイル、ここから一番近い街か村はどこだ?」


「え、ええ?あ、はい、ここからだと…東の方角に大きめの街があるはずです。」


「そこだ、そこに行くぞ。」


「な、何かあるんですか!?」


「ああ、さっきのが前菜だとしたら、こりゃメイン中のメインだぜ。」


「それって…、じゃあ、さっきの村を壊滅させたのは…!」


「十中八九そいつらで間違いねぇだろ。この全身にビリビリくる感じ、冥王の四天王とやり合った時に似てやがる。悪意の塊見てぇなドス黒い『気』を感じる。全速力で飛ばしていけよ、イル!」


「…!はい、飛ばします!!」


イルは背中の翼をさらに2枚追加し、4枚翼で空を蹴った。

さっきまでよりも遥かに早いスピードで景色を置き去りにしていく。


「さて、どっちにしろやることは変わりねぇが…。」


俺が思ってる通りの強さだとしたら、五分五分ってわけにゃいかなそうだ。

この『気』なら、少しくらい大きな街だろうが数分かからず壊滅だろうな。

考えてもしょうがねえ、心配したって、神に祈ったって、現実ってやつはこの世の何よりも残酷なんだ。


そんな現実、いくらでも見てきたんだからな。


そう、だから俺は迷わなかったし、驚かなかった。

俺たちが目指した街が既に壊滅していても、それをやったのがだったとしても、だ。


悲鳴を上げるイルの足から手を放し、『竜咬み』を抜き放ちながら降下する。

ついさっきまで人々であふれていたのだろう街、今はがあふれていた。

何も知らず、おそらくは一瞬で命を刈り取られた人々の残骸の中、悠然と佇む敵に向かって空を駆けた。


それは、漆黒の鎧を全身に纏っていた。顔面まで覆い尽くす兜のせいで、顔は分からない。ただ分かるのは、さっき襲撃してきた悪魔の比ではない、全身から隠すこと無く放たれる、圧倒的なまでに黒い、殺意と闘気の入り混じった『邪気』だ。


こいつが誰だろうと関係ない。

滅ぼされた街を前に、『勇者』ができることなんて一つだけだ。

そう、間に合わなかった勇者ができることは、一つだけだ。


「テメェを、ぶった斬る。」


「面白い。」


剣と剣がぶつかり合う、爆発にも似た衝撃の中でもハッキリと聞こえた。

くぐもった、壊れたラジオから聞こえるような、高いのか低いのかすら分からないノイズ混じりの声が。


「浸ってるとこ悪いけどな…テメェの俺つえータイムはお開きだ!倒れるまで斬り合う楽しいお遊戯を始めようぜ!」


「人間…いや、この禍々しくも神々しい『気』は、なるほどか。面白い。」


「一応確認してやるけどよ、人間の街や村を潰して回ってんのはテメェか?」


「私は掃除しただけだ。」


本当にこいつ一人でやりやがったのか。


「働き者の掃除屋だな!残業手当いくらだオラァ!!」


言葉を交わしたのはお互いの武器が交差する瞬間だ。

炸裂音のような打ち合いの中、ヒロは相手と自分の実力差をはかっていた。

数回の打ち合いの間で、それを推し量れるだけの技量が彼にはあった。


だが、しかし。


この野郎、底が見えねぇぞ…!


「どうした!もっとかかってこいよ!!防戦一方じゃねえか!!」


「浅はかな、その手に乗ると思うか?」


そう言いながらも、ヒロが攻撃の手を緩めれば、大振りの剣で致命の一撃を差し込んでくる。

黒の騎士は全身に重い鎧を纏っていながらも、驚異的な速度で移動していた。


「うおっ!!この野郎…ターン間違えてんじゃねえぞ!!ああもう面倒くせえ!これならどうだよ!!」


推し量れる技量があっても、ヒロの性格上、試すような戦い方を続けることは苦痛でしかなかった。故に彼は面倒な牽制を抜きにして、無理やり相手の力を引き出す事にした。


「ぶっ飛べ!竜咬爆炎剣ドラゴニックストラッシュ!!」


「大技で来るか、ならばこちらも見せよう、我が力、愚神屠りし我が信仰ディプシオン・フェイザー


ヒロの剣からは竜の形をした剣気が、黒の騎士が持つ紅の大剣からは闇の奔流が放たれた。2つの力はお互いを食い破るように削り合い、周囲に幾つもの竜巻を引き起こした後、砕けるように霧散した。


「互角か…!!」


「よそ見をしている場合か?」


「くっ…!?」


距離を詰めていた黒の騎士の一撃をかろうじて回避するヒロ。しかし、態勢が崩れたところに、黒の騎士の後ろ回し蹴りが炸裂した。


「ぐあっ!?」


強烈な一撃を背中に喰らい、大地を転がりながら吹っ飛ぶヒロ。しかし、転がりながらも態勢を立て直し、再び黒の騎士へ喰らいついていく。


「なめてんじゃねえぞ!!」


「とんでもない、最大級の賞賛を送りたい気分だ。私の技を見て立っている者など久しく見ていない。」


「初めて見たんじゃねえのかよ!キレたぜテメェ!!」


「来るか。…む。」


野郎、どこ見てやがる…!

黒の騎士の視線の先へ目をやる、そこには、柱に寄りかかる一人の女性が居た。

怪我をしているらしく、肩から先がだらりと垂れ下がっていて、足も引き摺っているようだ。

だが、その瞳には強い意志が宿っているように感じられた。


「生きていたか。死体を探す手間が省けた。」


そう言って、黒の騎士は傷ついた女性へ紅の大剣の切っ先を向ける。


「…野郎ォ!!相手は俺だろうが!!」


「私の標的はアレだ、あの女こそ希望の温床、人類最後の光。そして絶望への鍵だ。滅ぼさねば。魂すら残らぬようにな。」


「くそったれがあああああ!!」


紅の剣から闇の波動が放たれるより少し早く、ヒロは全力で大地を駆けていた。

そして闇が女性に届く数瞬前、届いた。

ヒロは闇の波動に背を向け、女性の前で仁王立ちした。


「ぐわああああああああああ!!!???」


想像を絶する衝撃がヒロの全身を襲った。灼熱と氷雪を同時に受けたかのような痛みが大きな虚脱感と共に襲ってくる。


「ぐ…あ…!!」


膝から崩れ落ちる。目の前で女性が何か叫んでいるようだがよく聞こえない。


「愚かな。しかし驚いたぞ、私の一撃を受けて生きているとはな。」


二撃目がくる。わかってはいても、身体が動かない。

闇は混沌が溶けた魔力の澱だ。不定の魔力は身体機能を狂わせる。


くそ…早く…逃げろよ…!!


その言葉も紡げない。


「では改めて、滅びよ。」


油断も驕りも無い、黒の騎士は標的を仕留める前に舌なめずりなどしなかった。


先程と同じ一撃が、ヒロと女性をめがけて放たれた。

回避は不可能だ、身体どころか思考も麻痺している。

しかし、


「勇者様!!」


闇の波動が二人を飲み込む直前、空から飛来したイルが、ヒロと女性を岩で覆われた巨大な腕で拾い上げた。


「勇者様!しっかりしてください!!」


「…ごめんなさい、私のせいで。」


ヒロが庇った女性は、負傷した彼の頭を膝にのせ、その瞳に涙を浮かべた。


「その眼は…『女神の聖眼クリス・クレイン』…!?貴女はまさか…!!」


「でも大丈夫…この方の力なら、私が導くだけで。」


その言葉と同時だった。彼女の手から光のイバラが現れ、ヒロの全身に絡みついていく。


聖杯に芽吹く花ディヴァイン・グラス。」


「何を…!」


「この方の自然治癒能力を最大限に発揮できるように『標』を立てました。すぐに回復するはずです。」


「ん…?お…?治った。」


光のイバラがヒロの体内に消えて間もなく、苦痛に歪んでいたヒロの顔が瞬時に元に戻った。


「はやっ!?大丈夫ですか勇者様!」


「イル…?それにアンタは…?」


「先程はありがとうございました。」


「ああ…そういやそうだった…って、あの野郎はどうした!?」


「大丈夫ですよ、この高さなら…」


「いや、まずいぞ、あの野郎こっちを狙ってやがる!」


「まさか…って、ええ!?」


地上を見下ろしたイルの目に映ったのは、直径50メートルはありそうな巨大な魔法陣だった。


「あれは『吸魔の陣ネガ・エクリプス』…、滅びた大地に染みこんだ負の力を集めているのですね…」


「は、早く逃げないと…!」


「いや間に合わねぇ。…しゃあねえな、ちっと無理するか。」


「勇者様何を…」


「できるだけ高く飛べ、いいな!」


そう言ってヒロは岩石の腕から飛び降りた。


「ちょっ、勇者様!?」


イルの叫び声は強烈な風の音にかき消された。空中に投げ出した身体は重力に引かれ、速度を増していく。

眼下には今にも放たれそうな闇の力が渦巻いていた。


「『』を一つ開くぜ。」


そして、大地から吸い上げた負の魔力で強化された闇の波動が放たれる。

風を、空気を喰らいながら迫るそれは、災禍を飲み込んだ巨大な闇の竜となって空を貫かんと昇ってくる。


竜門ゲート解放、『竜転化ドラゴンフォール』!!」


刹那、ヒロの頭のバンダナが解け。真っ赤な髪がうねるように広がった。

爆発的に膨れ上がった闘気が、まるで翼のように彼の背から放出される。

そして彼の拳は、灼熱を纏った竜の顎のように燃え盛った。


「喰らい尽くせ、『竜神殺しバルムンク』!!」


巨大な闇の竜が、ヒロの拳の竜に飲み込まれるように砕け散っていく。

竜を内包した概念全ては、増幅された『竜殺しドラゴンキラー』の呪いを受けて消滅する。

それがたとえ姿形であっても同じこと。

闇の竜と化した負の力は、集め、増幅させていた魔法陣ごと破壊された。


「なに…!?」


「初めて狼狽えたな?」


闇の騎士は、地上に降り立ったヒロの、燃え盛る真っ赤な髪から覗く黄金の眼を見た。


「アンタ、竜より強ェのか?…でなきゃ、俺に勝てる道理はねぇ!!」


吼えたヒロの拳が、竜の爪となって黒の騎士の鎧を裂き砕いた。

大きな傷跡から赤い血が吹き出す。


「赤い血…?アンタもしかして…」


「グ…。想定外だ、退くか。」


「おいおい、逃げるなって。もっと楽しませてくれよ!」


を開いたヒロは、普段より好戦的になり、口調もどこか軽くなっていた。


「まるで狂戦士バーサーカーだな、付き合いきれん。」


「そう言うなって、楽しいのはこれから…、なんだ…この揺れ…?」」


突如、大きな地鳴りと共に激しい地震が起こった。嫌な予感がしたヒロは、背中の闘気の翼で空へと舞い上がる。次の瞬間、


「ゴアアアアアアアアアアアア!!!」


地面が爆発したかのように弾け飛び、大気を震わす咆哮とともに、地中から巨大な獣が這い出してきた。

それはサイクロプスやゴーレムの比ではない、立てば雲に届きそうな規格外の巨大さだ。


「でけぇな!!第二ラウンドってわけかよ、いいぜ、とことんやろうじゃねえか!!」


「付き合いきれんと言った。退くぞ、アトラス。」


「グルルルルルルル…ゴアア!!」


背に乗った黒の騎士の言葉に、巨大な獣は大地を踏み抜いた。

大地が陥没し、その衝撃で舞い上がった粉塵が、空まで届く灰色の壁となって周囲を覆い隠した。


「くっそ、逃がしたかー!ちぇっ、もうちょっと楽しませろよな。」


つまらなさそうに指を鳴らすヒロ。

しかし、を開いた負担からか、急激な脱力感が襲ってきた。


「せっかく、久しぶりに…ちから…を……って…あれ…?やべ…なんか…ねむ…く…」


「勇者様!!」


闘気の翼が消え、意識を失って落下する直前、上空から飛来したイルが再びヒロの体をキャッチした。


「勇者様!勇者様大丈夫ですか!!」


「大丈夫…気を失っているだけのようです。というより…寝ていますね。」


先ほどと同じく、ヒロの頭は彼女の膝の上だ。


「…とりあえず、安全な場所まで飛びます。」


「ええ、お願いします。イルさん。」


彼女はイルに微笑みかける。


まだ数分しか一緒に居ないが、それでも分かることがある。

虹色の瞳を持つ、聖女神の巫女にして希望の象徴。


聖姫アイーシャ。


イルは、彼女の事が苦手だった。

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