怪物

 突然病室を連れ出されたから素足だったってだけの事だが、おかげで移動しても気づかれにくい。

病院一周なんて馬鹿らしい事をしたおかげで、一見綺麗に見える病院の床も意外と汚れてるもんなんだなって解るくらい埃が足裏の表面に付き、一層消音効果を発揮している。

パジャマの衣擦れの音なんかは意外と大胆な動きの時には大きく響かないっていうのもさっき走りながら気付いた。

つまり全力で怪物の後ろへ走り込めば、気付かれる可能性は非常に低い。


「おーい!怪物君!前から気になってたんだけど、君達って会話できるのかな?」


 院内一周で上下していた俺の肩も呼吸も落ち着いたのを確認して、少し離れた位置に移動した常坂が大声で話しかける。

目的は勿論俺から注意を逸らすためだが、実際、その質問は本心の様だ。

怪物も常坂に焦点を合わせ、動かなくなった。

言葉が通じている?


「君がもしここの患者で、怨念からそんな姿になってしまったんなら、原因を知りたいんだ!」


 怪物の反応に会話できる可能性を常坂も感じたのだろう、更に声を張り上げる。その間に俺はエスカレーター側通路に忍んだ足を差し入れていた。


「もし、話せないけど理解できるようなら、声を出してみてくれないかな?」


 そこからは一気に走り抜ける。だから常坂の質問に対して怪物がどう反応したかは分からない。何の声も走っている俺には聞こえなかったけど、小声だったなら、走りながら聞き取ったりはおそらく出来ない。

結果に興味はあるが、どちらにせよ倒さなければならない以上、俺は止まることなく、たった20メートルの廊下を1キロ走りきるくらいの疲労感で走り切った。

ほとんど音はたってなかったと思う。発しているといえば俺の呼吸音くらいじゃないか。自分には五月蠅すぎる心臓の音も聞こえているから、どれくらいの音量か判断がつかないが。

息を殺して廊下の交差地点にたどり着き、左を向いた瞬間、目が合った。

何がとは言うまでも無く、怪物だ。

息が本当に止まった。確かに頭は常坂を向いていた。

でも怪物には途中から二個目の頭が生えていて、そのもう一方の頭はずっと俺を追っていた。それだけの事なんだが、もう一つの頭の事など念頭になく、予想もしていなかった俺は完全に思考が止まってしまった。


「澤口君!」


 遠くから常坂の叫ぶ声がして、はっとする。

敵がこっちに体の向きを変えようとした、その時、常坂が腕を真上に振り上げた。

そこでようやく、あの一面のトラバサミが網状に組まれていた事を知る。

元々トラバサミの目的は個々で動きを封じる事では無く、網にして敵を捕獲する事にあったわけだ。

驚きと安堵感が胸に迫ったが、今は受け入れられるタイミングではない。

倒して初めて安心できるというものだ。と、さっきの油断を恥じながら未だにもがく敵に足先を向ける。




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