戦闘準備

 階段を上って、もとの脳神経外科病棟に差し掛かった辺りで常坂が壁に背をもたせかけた。倣って自分も背中を預け、焼けるような喉に酸素を取り込む。


「なんだよ、さっきのは!」


 息も切れ切れに尋ねると、常坂は何事も無かったかのような平静ぶりで答える。


「原因は不明なんだけど、この病院にはあんな化け物が毎晩出るんだ。毎回化け物は何か疾患を抱えているから亡くなった患者の怨霊じゃないかと言う者もいるけど、本当のところは定かじゃない。今回は目が見えないようだったね。重度の白内障を患ってた。」


 あんな一瞬でよく何の病気か気付けるな。と感心するが、声にはしない。今の冷静な状態で化物の行動を顧みれば、俺でもわかっていたかもしれない簡単な事だ。

 目が見えないから毎回俺の声で攻撃してきていて、どこにいるかわからないから回って音を探していた。頭を増やしたのは耳を増やすのと音の聞こえてきた角度を把握しやすくして攻撃の精度を上げる為だ。

…っていうか日替わりの敵ってそういう事かー。と脱力感が押し寄せて体が心なしか重くなる。

 白内障どころの話じゃない状態になっておられましたが!多分胃ガンの敵も胃ガンどころの話じゃないビジュアルだったはず!もっとれっきとした化け物だって事を教えといてくれよ!と子どもの表現力に文句を言っても仕方ない。

 息が落ち着いてくると、今度は喉の辺りに込み上げる圧迫感に眉根を寄せる。ホラーにしちゃ怪物が生々しすぎた。吐き気を催したまま、スタスタと歩いていく常坂の後を追う。


「あの化け物を倒さないと日付が変わらないんだ。この病院の患者だけが世の中の時間からズレていってしまう。」


 それが例の明日が来ないってやつね。と少年の証言と照らし合わせて腹落ちする。

 暗い廊下から、まだ少し明るい広間に出た。内科の待合スペースだ。と内科受付の表記を見て把握する。

歩きながら説明する常坂の眼前には、昼間は無かった1m四方の白い箱があった。

非常灯だけの薄暗い空間で、その白い箱は異様に浮き上がって見える。


「その事態を防ぐために、僕らが戦わないといけないんだ。あの箱から出る武器を使ってね。」

「だとして、何で俺なんだよ。もっと強いやついるだろ。」


 他の患者知らないけど。と自分で指摘しながら言うと、常坂が溜息を吐いた。


「ここ田舎だからジジババ多いし、子どもにさせるわけにいかないし、頼りの綱だった消防士の長瀬さん、昨日退院しちゃってさ。もっと手を打ちたかったんだけど、あんまり長期で入院させてると、ご家庭もある方だったし。その点君は大学二回生だ。暇だろ?」


 手を打つって何だ。しかも別に暇じゃないぞ失礼な。

言い返そうとセリフを練っていると、パタパタと小刻みな軽い足音が奥の廊下から聞こえてきた。


「すみません、遅くなりました!先程の患者さんの処置が今終わって…えっと?」


 この様子だと、まだあの怪物には遭遇していなかったらしい城崎さんが現れた。

ゲームなんて明るい雰囲気ではない待合を見回して、唯一の異変である白い箱を窺っている。


「よかった!丁度良いところに来たよ!」


 常坂が諸手を挙げて歓迎する。直感的に嫌な予感がした。


「逃げて!城崎さん!」

「え?」


 歩み寄っていた常坂が、訊き返す雫さんの胸倉を掴み、自分の身長より高く持ち上げる。


「ちょ…っ、おい、常坂!」


 予想外の動作に俺も雫さんも動けず、次の瞬間、常坂は雫さんを3mは離れた場所にある例の白箱に向かって、文字通り放り投げていた。

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