そして、笑ったのは子ども達だけじゃない。雫さんもだ。部屋全体が幸せそうな空気に包まれていて、俺は一気に居心地が悪くなった。

 実際、雫さんの笑い声が耳に入るまで、俺の眼は常坂なんかに釘づけだった。それに、多分笑っていたんだろう。今更だが、口の端を親指で引っ張って横一文字にしようと試みる。

でも何より悔しいのは、子ども達と一緒に笑う雫さんを見て一瞬、雫さんと常坂がお似合いだと思ってしまった事だ。

2人とも子ども好き。俺は正直面倒くさいからあまり関わりたくない。

同じ仕事をしているから共通の話題も多いだろう。俺はさっきから話題探しにあっぷあっぷしてた。

ここまでダメな理由が明確化していて、どうして頑張れる。

俺にとっては頭のおかしな医者だけど、雫さんにとってはちょっと変わったイケメンの上司だ。あっちと付き合う方が幸せに決まってる。

場違いな感情をもたげたまま過ごすには、あまりにもこの部屋は温かすぎた。


「すみません俺、ちょっと眠くなってきたんで部屋戻ります。」


 そう言うと、雫さんの返事も待たず、逃げるように小児内科を去った。

万が一にも追いかけて来られては困るので、来た道とは違い口腔外科の方向へ進む。

階段で一度階下へ降り、呼吸器内外科と消化器内科を通り過ぎた先の角を曲がって、採血室の向かいの階段から自分の病室に向かう。

途中、何でこんな回りくどい事をしているのかと、自省するが、全て常坂が悪い。と言う理不尽な結論で片付ける。

 部屋に戻る道中、ネームプレートを見る限り自分の病室以外4人部屋が全部埋まっている事に違和感を覚えたが、わざわざその事を指摘して、おしなべて高齢な他患者と同室になりたくもないので素通りを決め込んだ。


「おや、君が今日の…、」


 部屋に着くと50代後半くらいの医師が立っていた。

医師が言いかけて止めた言葉の先と、部屋に入る寸前までピッチで連絡しようとしていた内容は、なんとなく予想がつく。


「別に脱走とかしませんよ。明日退院なんだし。」


 目を見ずに告げて、ベッドに向かって足を速める。

ベッドに付いてるテーブルには、病院食はまずいと言う世間一般の評価から予想していたイメージより、数段美味しそうな食事の膳がすでに置かれていた。

探してくれてる可能性は低いと思うし、案外ばったり行き会っても俺と気付かないかもしれない。自分でも自意識過剰だとは思うけど、万が一にも追ってきていたら。と、見つからないよう警戒しながら徘徊していたから、結構時間が経ってたんだな。と、不機嫌な表情を崩さない程度に驚いた。

言い当てられた医師は、俺の機嫌が非常に悪い事を読み取った様子で、すれ違いざま端に避ける。


「それはよかった。いや、昼食を持って来たんだけどね。」


 医者が?と言いそうになった。この病院、看護婦や女性の配膳スタッフ等はいないが、男性看護師は結構いる。一応、食事の配膳は男性看護師たちが行っていたはずだ。俺の不信感を読み取ったように精神科医は続ける。


「君の様子を見ておきたくってね。精神的に不安定だったりしないか、気弱なタイプだったりしないか。搬送時は意識がなかったから、気になったんだ。」


 何で精神科医が転落患者の搬送に携わったのか、疑問に思われるとは考えもしないのか。と片眉を吊り上げたが、どうやらここの連中は、患者を使っておかしな行事を行っている事を隠そうとしないスタンスらしい。不自然な発言をなんの衒いも無く放ってくる。


「昼食の後には、また検温などがあるから、城崎くんが来ることになってるよ。」


 当たり前の事なんだが、ギクリと肩を竦めてしまった。先の発言で俺が喜ぶと思っていたらしい医師は、その様子から不機嫌の原因を察したらしい。


「何かあっても心配はいらないよ、私が無かった事にしてあげるから。」


 名札を見た所、精神科医のようだが、こいつもおかしな発言をする人間だったか。と頭が痛くなる。精神科医が脳神経外科の検査入院患者である俺の病室に来た時点でおかしいんだから今更だが。

お前らは暇か!と言いたくなる程、ここの医者はどいつもこいつも俺に興味関心があるらしい。

 とりあえず、視界の真ん前に居座って俺を観察してる精神科医は存在しない体で、出されていた食事を一気にかき込み、戸口に向かう。精神科医は止める素振りすら見せない。


「城崎君には昼の検温は私がやったから無用だと言っておくよ。」


 と後ろから声がかかるが、振り向かない。

ただ、それでいいのか医者!とだけ心の中で叫んでおく。何でこんなに適当か。それは多分、俺が本来入院の必要性が無い健常者だからだ。と薄々勘付いている。

CTもなけりゃ転倒時の状況について等の問診もされていない。普通なら有り得ないだろう。けどそんな事よりも、検温に向かっているはずだろう雫さんに出くわさない事が俺の中で最優先の急務だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る