振り向いてもらうためのハウツーを見ながら口説かないで

09 優雅な朝食と、優雅な放課後の予定


 騒ぎがあったにも関わらず、今朝の食卓は穏やかだった。

 オーブントースターで軽く暖めたクロワッサンとバゲット、少しのサラダ、半熟ハムエッグに、コンソメスープ。

 デザートはヨーグルトに缶詰のフルーツを添えたもの。我ながらオシャレな洋画に出てくる朝食のようだと、千花の目は嬉しくなってくる。


「フランス映画みたい」

「姉ちゃん、そんな映画見てた?」

「見たこと無いよ」

「なんだそれ」


 イメージだけで言ってしまったけれど、もしかしたら英国かもしれないし、ハリウッドかもしれない。

 パジャマ姿の楓は不服そうに食卓を眺めていた。洋食より和食、パンよりご飯が良いとむくれる弟は我が儘だけれど、目一杯甘やかしてやりたい。

 たまにはいいじゃない?と笑いながら育ち盛りの弟に、オレンジジュースを注いだ。


「むう……目玉焼きは半熟?」

「半熟だよ。ねえちゃんはハムエッグって言って欲しいけどね」

「べつに、一緒じゃん」


 楓は不機嫌ながらも、ナイフをせかせかと動かした。

 ハムエッグの太陽を割り開いて、とろりとした黄身をクロワッサンにつけて頬張ると、満足そうに笑みを浮かべる。なんだかんだ言いながらも、こだわりを持って食べているあたり洋食も嫌いじゃないらしい。


「つうか、ちとせは?朝はパンって昨日言ってたの、ちとせだろ?」

「千歳さん、朝苦手だから……夜も遅かったみたいだしね」

「アイツが夜行性なのが悪い」


 むっすりと頬を膨らませる楓の姿は、年相応だ。朝はやっぱりちょっとだけご機嫌が斜めらしい。

 千歳の仕事柄、夜遅くまでかかるのは仕方がないと思っている。日中書き上げられる作家もいるらしいが、やはり性格なのか、兼業だった時期が抜けないのか千歳は気持ちのエンジンが掛かるのが存外遅い。

 朝一から書いていても、夜食が必要なほど追い込まれることもあるので一概にも夜行性という訳でもないとは思う。


「あんまりそういうこと言わないの。お仕事が大変なんだよ」

「昨日、千歳が仕事サボって遊びに行ってたの知ってるんだからな!」


 それは違う……と否定したかったが、楓の言葉に喉を詰まらせる。

 千歳は楓の言うように昨日、出かけたが決して遊びに行っていたわけではない。しかし、それを説明すると千花の姉としての矜持が保てない。

 

「姉ちゃんの学校で月9と童話が一辺に起きたって、ちとせが言ってた」

「ごめん、姉ちゃんよくわからない」


 千歳さん!なんで楓に喋ってるの!?黙っててって言ったのに!!

 昨日の出来事を問いつめてきた楓に対して目を逸らすことしかできない。決して、千花自身が後ろめたい訳ではないが、なんとなく気まずさを感じるのだ。

 これ以上、月9だの童話だの言われたらたまったもんじゃないので、楓に昨日のことは忘れなさいと言い聞かせるが、不安そうだ。


「それに姉ちゃん、センセーに呼び出されたから遅くなったんだろ?」

「うっ、それは……そうなんですけどもね……」

「だから千歳が車だして、一緒に帰ってきたんじゃないの?昨日のご飯とか、買ってきたの多かったし……」

「えっと、なんていえばいいのかな……姉ちゃんは悪いことしてないよ」


 むしろ被害者だし……

 大体、何故千花が生徒指導室に呼び出しをくらわなければならないのだ。指導されるような事を起こした覚えはない。

 真壁が、あの男が、突然現れたことが一番原因だ。

 あの男は自分が想像以上に目立っていることに気づいてないのだ。自分がどれほど異性を魅了する美貌の持ち主なのか、全くわかってない。

 その美丈夫が平均以上でも以下でもなんでもない千花に対して、好意を伝えたりするものだから大事になってしまったのだ。

 謝罪で留めてさえいればさほどの問題になっていなかったはずだ。


「大体、千歳もホストみたいなスーツ着てたし……」

「あれは、あの人が可笑しいだけだよ」


 若い女性教員を色仕掛けで落とし込んで生徒指導室の鍵を開けさせていたのだから、女性を口説きに来たのかもしれない。

 だいたい、あのホストみたいな格好はやめろと何度も千花は言っていたのに、千歳はあの格好で学校に来たがる。(時折、和装で来るときもある)

 一度、楓が風邪を拗らせたときも同じ様な格好で迎えに来たものだから、教師から千花に電話がかかってきたことさえある。

 普段の千歳はふつうにオシャレなのだ。

 ダサい、ダサいと、千花の衣服に苦言を呈すことも少なくもないし、アドバイスも全て正しいものばかりである。学校に呼ばれたりすることがないからか、こういう時に限って目立とうと、ノリノリで変な格好をすることを控えて頂きたいものだ。

 なんにせよ、楓が気にかけるほどでもない些末な出来事だ。


「楓の心配することじゃないよ。ほら、早くご飯食べて準備しないと」

「……姉ちゃん、いっつもそればっか!!何で俺には教えてくれないんだよー!!」

「静かに食べなさい。楓にはまだ早いの」


 ジト目でクロワッサンを頬張る弟から視線を逸らし、千歳が眠っている部屋を見つめた。

 破天荒な伯父を持つと大変だと、同居して数年何度も考えたが……まさか周囲の人間まで破天荒だなんて誰が考えつくのだろうか?類は友を呼ぶとはよく言ったものだと思う。

 千花はため息を吐き出しながら、バケットを手に取った。


「そうだ、楓。姉ちゃん、今日も少し遅くなるかも……」

「えー!今日も?」


 地に届かない足をバタつかせ膨れっ面を見せる楓は可愛いのだが、良心が少し異端でしまう。しかし、今日は紀子たちと、昨日の騒動で行きそびれたアイス屋に向かう約束をしてしまったのだ。


「きっちゃん達と寄り道する約束しちゃって……なるべく早く帰るようにするから、ね?」

「そっか……わかった……」


 寂しそうな表情を見せる楓の姿を見ているとたまらなくなった。

 まだ楓は甘えたいのかもしれない。

 最近では、あまり構い過ぎないようにと気を付けていたが、父も離れて暮らしているし、もっとしっかりしないといけない。

 口のはしに付いたパンくずを拭ってやりながら、千花は楓の頭をなでた。


「楓も一緒にくる?みんなでアイス食べに行くんだ」

「オレも一緒に行っていいの?」

「雪路くんも居るけどね。楓さえ良かったら、一緒にいこっか」

「うん!!いく!アイス食べる!!」

「学校終わったら、公園で待ってて。みんなで迎えに行くから」


 楓の為に出来ることなら千花は何でもしてあげたかった。

 千花は楓の姉だ。

 楓のお姉ちゃんは千花だけだ。

 甘いといわれても、甘やかしすぎだと言われても、千花は楓が居るから、頑張れるし、何があっても大丈夫だと思える。


 千花は楓の為にいるようなものなのだから……







「そういえば楓と会うの久しぶりかも、今は小5だっけ?」


 絵里子が放課後の廊下を歩きながら、思い出したかのように楓の話題を口に出した。

春休みは存外、あわただしくそんなに家に遊びに来ることもなかったので、絵里子の言葉に千花は頷く。


「そろそろ、反抗期かもしれないから、生意気言ったらごめんね」

「男の子はそのくらい元気な方が良いんじゃない?」

「紀子、千花ちゃんと一緒なら何でも良い」

「あはは、ありがとう」


 きっちゃんの発言はちょっと趣旨が違う気がしないでもない。

 絵里子は面倒見も良い姉御肌なので、楓に会ってもよく遊んでくれる。紀子も基本的に、千花が構ってさえいれば寛大だ……自分のポジションを奪われた際は少し我が儘を言うが、それも可愛い範囲だろう。

 へらりと顔を綻ばせながら携帯端末を取り出して、今一度、アイス屋のサイトに飛んだ。楓はきっとバニラとチョコレートが好きだから、千花は悩むだろうオレンジピールとストロベリーのアイスを頼もう。

 そんなことを考えなら歩いていたのが悪かったのか、一人の存在を失念していた。


「俺も、千花ちゃんと一緒ならどこでもついて行くし!未来の義弟の世話も吝かじゃないよ!」

「雪路君、部活……ないの?」

「千花ちゃんと部活、天秤にかけられる訳ないでしょ!?無論、千花ちゃんだよ!?」

「いやいや、部活行きなよ」


 手芸部は文化部だが、一応は上下関係はあるだろうと思う。後輩がいるかどうかは、定かではないがナメられたりしないのだろうか?

 雪路の今後のためにも、部活には出て欲しいと切実に願った。


「当たり前みたいに、私のこと優先させるのやめなよ……」

「え、なんで?」

「どうして、そういう疑問口に出すとき淀みないの?」


 こっわっ……ごめん、引くわ……

 千花達は口々に罵るが、本人は気にも止めてないようで首を傾げている。首から下げられている無表情が愛くるしい熊のポーチでさえ、恐怖人形に写った。

 恐ろしいまでに澄んだ瞳に千花がおびえていると、絵里子と紀子が千花をかばいだした。


「あ、あのさぁ……諏訪。ストーカーの自覚をもう少し持った方がいいって」

「千花ちゃん、警察に行くときは紀子もちゃあんと一緒に行くよ?」

「水野も桐生もひっどいな!これ純愛だから、犯罪行為じゃないから!合意の上だからね?」

「誰も合意してないからね!?」

「まあまあ、可愛い愛情じゃない」

「重いから!」


 いい加減に雪路はもうそろそろ自分の盲目さを、一端家に帰って冷静になって考えて欲しい。

 千花はため息を吐き出して、歩みを進めた。雪路は千花のため息などモノともせずに上機嫌で口を開く。


「昨日は、電波野郎に邪魔されたし、部会で、昼ご飯も一緒にいけなかったけど!今日は放課後一緒に入れるなんて俺、超超超嬉しくて羽ばたけそう!」

「諏訪は鞄に羽背負って、なに言ってるのかな」

「羽ばたいてるのは諏訪の頭の中っていう、高度な自虐ネタなんじゃないの?」

「お前等、本当に俺のこと嫌いだな!!」


 千花ちゃん!!二人が俺のこと虐めてくるんだけど!!そんなことを言いながら泣きついてくる雪路は楽しんでいる部分があるので、被虐趣味があるのかもしれない。千花はたびたび、そんな冷めた目で雪路を見ていた。

 つっこめと言わんばかりの冴えた色のパーカー。今日はリボンも可愛らしい蛍光色に包まれていて、とてつもなく暴力的だ。派手なパーカーだけならいいのに、胸やら鞄やらに缶バッチにコサージュなども付いているので賑やかこの上ない。

 本人の素材は悪くないのに、派手に着飾る必要はあるのだろうか?

 じっと賑やかな雪路を眺めていると、視線に気が付いたのか少し頬を染めて、首を傾げた。


「千花ちゃんどうかしたの?」

「いや、雪路君って普通にしていればかっこいいのになって思った」

「え!それ、なに!?プロポーズ!?とりあえず、この指輪あげようか!?ハンドメイドだけど!!」

「え、飛躍しすぎじゃない!?怖いんだけど!!」

「アンタ、昨日の電波男の事いえないよ……」

「諏訪、こっわ、引く……」


 目を合わせて三秒で恋に落ちるより、一言でプロポーズ認定してくる方が恐ろしいことこの上ない。

 千花達の引き方に、さすがに憤慨したのか雪路は頬を膨らませた。


「ちょっと!!あの電波と一緒にすんなっつーの!!」


(あ、そこなんだ……)

 三人の心は恐らく一致したと思う。


「まあ、確かにアイツはないよねえ……」

「はじめから恋する許可くれって言う意味もわかんないし……」

「確かに……一体、どういう事してくるのか……」

「好きになるなら勝手に好きになってろって話だよな、俺みたいに」

「いや、諏訪みたいにはない」

「普通じゃない」

「はあ!?めっちゃ普通にアピってんじゃん!!」


 どこが、普通のアピールだったんだ……下足箱の前で響きわたった言葉に首を傾げたくなった。あいてる靴箱に替えの靴置いてることも、普通ならしない事も教えてやりたい。

 千花のクラス用と、自分のクラス用にロッカーを占領しているのはやりすぎだと思うのだ。すぐ横から、うさ耳の付いた可愛らしい靴を取り出す雪路を見やりながら、彼の方向性を憂う。

 本人の耳には花とリボンのピアスがついていて、千花達の訴えが伝わっているのかは怪しいところだろう。


「諏訪、残念ながらお前は異常だ」

「普通は手作りお菓子、毎日差し入れしないし……普通なら無理矢理通い詰めることもしないんだよ?」

「いっとくけど、昔会ったことがあるって妄言吐いてる時点で諏訪と電波、立ち位置かわらないんだよ?」

「嘘じゃないから!!俺の幼なじみ、嘘じゃないからね!?」

「ごめん。覚えてない」

「千花ちゃんがそれだから、俺も電波みたいになるんだよ!!俺、本当に会ったことあるから!!やっぱり母さんに言ったら写真も見つかる筈なんだって!!」

「そこまでしなくていいよ」


 余計なこと、思い出したくないし。千花はにっこりと営業用の笑顔を浮かべて、スニーカーの靴ひもを強く結んだ。

 納得できない雪路はやんやと吠え続けている。


「俺の自称幼なじみの”自称”の部分、疑いが晴れる気がしねえんだけど!!」

「諦めろ、諏訪」

「男はあきらめが肝心だぞ☆」

「うるっせー!俺は俺のやり方で愛情伝えるからー!ね、千花ちゃん早くいこ!」

「え!?ちょっと、待って!」

「ちょっと、諏訪ァ!!勝手に千花ちゃん連れて行かないでー!」


 雪路に手を引かれ玄関をでれば校門がざわついていることに、とんでもない既視感を覚えた。


(しかも、このパターンは昨日と一緒のやつ。)


 気づいてない筈がない雪路を見れば、心底不機嫌な表情を浮かべて歩みを止めていた。口からは声がでないまま「なんで?」「どうして?」が漏れ出していく。


「千花さーん!!」

「姉ちゃーん!!」


 どうして変態電波男、真壁と愛しい弟の楓が二人揃って校門の前にいるのだろうか?千花には一切合切理解できない。

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