08 選択肢に拒否はありませんでした。


「千花さんに、謝りたかったんだ」

「そうですか」


 気のせいか、真壁の声は震えていた。

 目の前の男は、真昼の日差しを浴びて燦々と神々しく輝いている。

 俯きながら、ぽつりぽつりと言葉をこぼす様は神へ懺悔している罪人で、妙に粛々としていた。こういう時、千花は美形というのは何をしていても絵になるのだなと、関心さえ覚えた。


「俺は貴女を見ていなかったし、別の人の代わりに恋をした」

「そうですね、大変失礼なことをされました」


 千花の存在は真壁の言う夢のような不確かなものではなく、16年間きっちりと生きてきた証があるのだ。

 美しい部分だけではなく残酷な部分だってたくさんある。

 現実に存在する大人と子供の境界線を、あやふやに歩いてはいるけれど、しっかりとした人だ。その人生をたった三分間の出会いで、真壁の夢物語と自分の人生が彼の中で変換されたことが、無性に腹立たしかった。


「正直、俺は感情の感じ方が希薄なんだ」

「…それで?」


 それがどうした。


「それでも無神経な事をしたと反省している。」


 当たり前だ。


「あれで反省してなければ人格を疑います」


 千花の態度は一貫して冷めていた。

 目の前の男の顔は良い年をした大人のする表情ではない、幼い子供が母親に叱られたみたいな表情をしている。

 まるで千花が悪いみたいで更に不愉快な気持ちになった。


「千花さんに夢は夢だって言われた時、心にぽっかり穴が空いたみたいになった。」


 ギャラリーも真壁の顔が美しいからか真壁の味方をし始めている。非情に不愉快だ。


「俺の探してた“千花”は本当に存在していないし、運命の人もいないのも、心の何処かで分かってたんだ」

「……」


 分かっていても、止まらなかったのは貴方だ。


「それでも夢が醒めるのが怖かった。この夢がないと俺は何も感じないし、何をしても味気ないんだ」

「そんな事、ないんじゃないんですか?」

「どうしてだ?」

「だって、悲しいと思ってるじゃないですか。夢が現実じゃないって理解したから寂しいんじゃないですか?」


 この人、案外あまり頭がよろしくないのかもしれない。と千花は思った。

 もしくはとてつもなく鈍感な人なのかもしれない。

 感情だけ発達しないまま、大人になったんだ。

 可哀想な大人だ。

 千花のように大人と子供の境界線をぐらつく事もないまま、体だけ大人になったんだ。


「確かに、貴方に感情を与えてくれた夢は非現実かもしれません」


 気が付けば、千花は彼の手に触れていた。

 この言葉は夢じゃないと、現実であると教えたかったからだ。


「それでも、今まで感じてきた感情は嘘じゃないです……その夢の中の女の人に恋した気持ちも嘘じゃないです」


 感情は、どんな感情でも自分のものだ。どんなに希薄でも、それは自分のものだ。

 千花も自己表現が苦手だ。

 だからこそ、自分の感じた感情は大切にしていた。

 蔑ろにしてしまえば、それこそ千花は空っぽになってしまいそうで、怖いからだ。

 真壁には知って欲しいと思った。

 感情があれば、孤独感を感じる。でも、その孤独感が孤独じゃなくなることを知って欲しいと思った。


「ただ、存在しなかっただけです。二次元の女の子に恋してたみたいなものですよ」

「……二次元って」

「二次元も夢も一緒ですよ。それに夢の中以外で人を好きになれないなら、一度現実に目を向ければいいんじゃないですか」


 まあ、永遠に夢の女の人と一生をともに過ごして孤独死するのもアリですけど……

 嫌みったらしく付け足した言葉は、千花の願望だ。


「現実……ですか……」


 どうして10も上の成人男性相手に道徳の授業を千花は人通りの多い高校の校門で行っているのだろう。

 何もかも目の前の電波のせいだ。

 納得して落ち着かせたら、今日の迷惑料としてアイスを奢ってもらうしかない。


「……千花さんにもう一度、最初から恋をしてもいいんだろうか?」

「それでもいいんじゃないですか?」


 最初からってなんだろう?彼の言っている意味が分からず、とりあえず肯定した。


「俺は少しおかしいかもしれない」

「まあ、少しどころか大分おかしいと思います」


 真壁、お前は本当にクレイジーだ。少しとか控えめな評価を下さない方が良い。

 千花は目の前の男の自覚のなさが、恐ろしいと感じる。

 そのまま真壁を千花は見ていると、彼は唐突に地面に膝を付いた。


「……そんな俺でも、貴女を好きになりたいと思った。」


 芝居口調のような真壁の言っている意味が分からない。

 なんだ?そのまま土下座でもするつもりだろうか……こんな公共の場で土下座なんてやめて欲しい。

 千花は真壁を止めようと手を伸ばせば、真壁に手を捕まれた。


「だから、もう一度最初から貴女を見つめ直す、貴女を、一条千花を好きになる許可をください」

「……え、私の事だったんですか!?」

「そうだ」


 心底甘ったるい表情を浮かべている男は、さっき感情が稀薄なんて言ってたが、嘘だと思う。


「一条千花さん、貴方に恋がしたい。貴方に恋する感情を抱くことを許して欲しい」


 ここまで好きだと表情を浮かべる男の感情が薄いわけがない。


 本人に恋をしても良いか?なんて聞くなんて頭がおかしい。

 そうとしか千花には思えなかったけれど、公衆の面前であるからそんな暴言吐くことも出来なかった。

 熱っぽく千花を見つめる鋭い眼光は反らすことを許さないとでも言いたげだ。

 捕まれた手の力は尋常ではない。


「あの……許すもなにもですね……?片思いは勝手にする感情というか、許可する必要がないといいますか…本人の知らないところでするべきといいますか……」

「じゃあ、貴方に俺は恋してもいいんだな?」

「え、あ……そ、そうなりますね」


 なんだ、この電波、揚げ足を取ってきたぞ。


「ありがとう、愛してる」


 そう言って真壁は、外国映画やお伽話に出てくる王子様のような仕草で、千花の手の甲にキスを贈った。

 千花も幼い頃はアニメ映画で何度もあこがれたシーンではある。


「ッ…な、何を……ッ!?」


 しかし、現代の日本でそんな事を実際されても、ムードもなにもない。純粋に迷惑だし注目を浴びるので、金輪際憧れようなんて思わないと心に決めた。


「千花ちゃんの白魚のような手が変態ロリコン電波野郎に汚された!!!」

「ちょ!諏訪、良いとこなんだから邪魔すんなっつーの!」

「ちょっと諏訪、なにぼんやりしてるのよ!!あの勢いで口にキスしようとしてる!!千花ちゃんのファーストキスは紀子って決めてるのに!!」

「いや、紀子それはおかしいっていうか!!千花も抵抗しなさいよ!!」


 抵抗がしたくても、体が上手に動かないのだ。

 瞳の魅力に吸い込まれるように千花は、真壁の思うがままだった。


 この男の行動はいちいち鈍器で殴られるみたいな衝撃が起きる。


 一度殴られれば思考も動きも停止して、真壁の意のままに動く。


 振りおろされれば一瞬で落ちてくる、この男は本当に厄介だ。


 千花の頭の片隅はやけに冷静で、ファーストキスは公衆の面前で、相手は思考回路が迷子気味の男にされるのかと考えていた。

 顔はタイプだし、案外ラッキーなのかもしれない。

 そう考えた千花はロマンチストにはなれないタイプだった。


「ッ俺の千花ちゃんに気安くさわんじゃねーよ、オッサン!!」

「…雪路くん?」


 千花の体は一瞬にして後ろに下がった。

 視界はいつも眺めている浮かれたパッションピンクで、いつも一部は感じているなま暖かい感触に包まれている。

 ウキウキパッションピンクの向こう側には、不服そうに顔を歪める美丈夫が髪型を整えていた。


「邪魔するなチャラ男、片思いは自由だろう。先程、彼女も言っていた」

「片思いの分際で気高い千花ちゃんにキスできると思うなよ変態!!出会って二日で、キスして告ったお前の何万倍も俺は純情乙女進行形なんだよ!!」


 千花を真壁の視界から隠しながら雪路は吠える。雪路の言っている意味が千花には全く分からない。

 真壁を警戒しているのか、千花を抱きしめている力がどんどん強くなってきて苦しい。正直離して欲しい。


「側に居て手を出さないでいたままの、お前が悪い」

「俺はお前と違って千花ちゃんの気持ちを汲んで動いてるんだよ!!俺はこの何十年は一条千花しか見てないんだよ!誰かと重ねてなんかないだからな!!」


 千花は雪路の気持ちに答えることなく、何も言わないままでいた。

 酷くズルいままでいた。

 見ないふりをしてたことも、聞こえないふりも、気づかないふりも、雪路は全部知っていたのだ。

 それでも、雪路は側に居て、千花に好きだと言い続けていた。

 ここまでくると本格的に被虐趣味があるのかもしれないと、不躾にも千花は考えてしまった。


「いいぞ!もっと言ってやれ万年片思い男!」


 いつの間にか出来上がっていたギャラリーから声が挙がってくる。何事かと視線を向ければ、雪路のクラスメイトだ。


「一条に全く相手にされずに、再会して一年間を過ごした気持ちをぶちまけろー!」


「ずっと思っていたのに、再会した時に『すいません、どなたでしょうか?』と怪訝な顔されてもメゲなかった心を見せてやれー!」


「昔の思い出を話す度に『ごめん、覚えてない』と言われても、笑顔でいられる忍耐力は誰にも負けてねーからな!」


「食事中、話しかける度に虫けらを見るような目を向けられても、購買で勝ち取った貢ぎ物を届ける下僕精神は誰にも真似できないぞ!!」


「お前こそが一条千花の下僕だ!!」


 千花はそこまで雪路に対して酷い振る舞いをしていただろうかと、一抹の不安におそわれた。というか他のクラスにも雪路の献身が知られていたのかと思うと、ぞっとしないでもない。


「うるせえぞ外野!!とにかく変態で電波でロリコンの上に、手が早いお前なんかに千花ちゃんを譲れるか!!」

「なあ、君は好きな女の子に下僕扱いされて空しくならないのか?」

「千花ちゃん、俺やっぱりコイツ嫌いー!!千花ちゃんは俺の千花ちゃんだもんー!」

「……もう少し頑張ればよかったのに。あと、私は私のものだから」


 一瞬で心を折って雪路は千花にいつも通り甘えだす。言っておくが、千花が下僕扱いをしている訳ではなく、雪路が勝手にしていることなのだ。

 そんな姿を見て、あまりにも可哀想な雪路の頭を撫でながら千花は何ともいえない気持ちになった。

 あそこでかっこよく言い返すことが出来れば、千花だってもう少し雪路の事を考えたが、もうすこし放って置こう。


「まあ……あの、片思いは勝手なんですけど、触ったりするのはルール違反ですよね」

「貴方は他人事みたいに言うんだな」

「性格ですから……少女小説の編集者なら、もっと勉強なさったらどうですか?」


 そう言った私に苦笑いを浮かべ「善処する」と述べた彼は存外子供っぽい。

 頬をかく指先は長く、大人の手をしていた。柳眉はわずかに下がり気味でありながらも、切れ長の瞳は千花を捕らえて離さない。


「千花さん、俺の好意は見ない振りも、気づかないふりも、やめてくれると嬉しい」

「っ……考えておきます。」


 もう一度目と目が合わさって、逸らすことが許されなくなった。

 千花はこの男から逃げることが出来ない。

 逃げることは許さないと、きっちり事前に伝えられてしまったから。


「俺をきちんと見てくれ、聞いてくれ、気づいてくれ。俺も千花さんをきちんと見るし、聞くし、気づくように努力するよ」


 この男の恋心の滴が溜まれば溜まるほど、きっと千花は追いつめられていくのだと思う。

 そして溢れ出しそうになる手前で、きっとこの男は自ら器を叩き割ってしまうのだろう。

 真壁信彦という男はそういう男なのだ。

 この二日間でなんとなく気づかされてしまったように思う。


 この瞳からは逃げられない。それだけはなんとなくわかった。

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