六 御陵衛士

 江戸の試衛館で集っていた頃は、貧しさのために苦労したり、若さゆえに意地の張り合いや喧嘩をしたり、何かと騒がしかった。誰もが無邪気だった。血なまぐさい闇を知らぬまま、剣で身を立てることを夢に見ていた。

 天然理心流の使い手は、道場長の近藤、色男の土方、天才の沖田、学者肌の山南と、皆を見守る最年長の井上だった。他流を使いながらも試衛館に入り浸っていたのは、快活な気風の永倉、槍使いの猛者の原田、やんちゃな藤堂と、左利きの異端児の斎藤だった。

 元治二年(一八六五年)二月、試衛館の仲間がついに欠けた。

 山南敬助が唐突に脱走し、沖田に発見されて屯所へ戻った後、士道不覚悟を自ら認めて切腹した。

 介錯を務めた沖田は、子供の頃から慕っていた山南の死を見届けると、熱を出して寝込んでしまった。かねてからわずらっていたろうがいは、この頃からだんだんと、抜き差しならないものになっていった。

 山南の死後、目に見えて調子を崩したのは、沖田だけではなかった。

 伊東甲子太郎である。伊東は、山南が密かに切腹して果てたと告げられたとき、伊東は端正な顔を真っ青にして立ち尽くした。声すら失っていた。

 藤堂や原田に幾度も呼び掛けられ、ようやくのろのろと正気を取り戻すと、伊東はきっちりと結われたまげむしり、首筋に爪を立て、唸るように声を絞り出した。

「なぜ山南さんが死なねばならなかった? 私のせいか? 私がここへ来たばかりに山南さんの立場を奪ってしまった、そのせいなのだろう? 語り合える友を見付けたと……詩歌でも朱子学でも国学でも、何でも話せる同志だと……私は山南さんと、もっと屈託なく酒を酌み交わしたかったのに……」

 伊東は震えていた。泣いてはいなかった。その目がぎらつくほどに充血しているのは、悲しみのためではなく、怒りと責めのためだった。自分を怒り、責めているのだろうと、斎藤は思った。

 前年十一月に屯所に合流した伊東は、快活で聡明な弁舌を披露し、新撰組の面々を圧倒する一方で、武辺者の集団の中で戸惑ってもいた。藤堂あたりは知らないだろう。土方に指図されて伊東の様子をうかがっていた斎藤だから、伊東の孤独を知っている。

 ぽつねんとして書を読み解いていた伊東に声を掛けたのは、同じく読書好きの山南だった。誰の詩が好きなのか、という山南の問いを受けての伊東の答えは、山南も好む唐代の詩人だったようだ。たちまち意気投合した二人は、新撰組の屯所に不似合いの話に花を咲かせた。

 山南は試衛館の仲間内では最も博識で、近藤のそばにあって参謀を務めていた。肩書は総長であり、副長の土方に次ぐ序列である。とはいえ土方は、剣の腕が立ち、年長でもある山南を尊重していたから、実のところは山南こそが新撰組の第二位だった。

 ところが、文久三年(一八六三年)七月、大坂で遭遇したていろうの強盗騒ぎで、山南は重傷を負った。一命を取り止めたものの、体には不具合が残り、前線に出られなくなった。

 あれ以来、山南は後詰めや学術指南などに徹していた。だが、新参の伊東が参謀の肩書を得ると、山南は立場を失ってしまった。物静かな山南よりも弁の立つ伊東のほうが華があり、人を惹きつける力があることも否めない。

 近藤が伊東を選び、山南を遠ざけたという見方は、あながち誤りでもない。隊士の数が増えたことで、今までの屯所が手狭になっている。これを機に屯所を壬生からよそへ移したいが、はたしてどこに行くべきか。この件を巡って、近藤と山南は考えを異にしていたのだ。

 斎藤の目に、山南は淡々としているように映った。引き際を、あるいは散り際を、探っているようにも見えた。山南と伊東の交流は続いていたが、近藤を筆頭とする新撰組幹部においては、だんだんと山南の存在が薄れていった。

 あるいは山南は、共に書物に遊ぶことを通じて伊東の見識と人柄を知り、自分の後を彼に託すつもりで、新撰組の表舞台から身を引いたのかもしれない。山南は、遺書も辞世の句や詩も残さなかった。黙って独りで死んでいった。

 斎藤の目の前で、突然に友を亡くした伊東が震えている。なぜ、と、答える者のない問いを繰り返しながら、怒りに光っていたまなざしは、次第に絶望と思案に沈んでいった。


 あのときに伊東が何を考え、どんな決意したのかを斎藤たちが知るのは、山南の死から二年余り後、慶応三年(一八六七年)三月のことである。

 二年の間に、佐幕派の近藤と倒幕派の伊東の間には、やはり埋めがたい溝が生じていた。幾度も話し合いを設けたが、落としどころは見当たらず、伊東はついに新撰組を離れた。近藤よりも伊東を選んだ同志十五名が、その道行に付き従った。

 伊東たちは、先の天皇である孝明天皇の御陵守護の任を担い、りょうと名乗って、五条橋東詰の長円寺を仮住まいとした。

 斎藤は、伊東たちと共に新撰組とたもとを分かったふりをしている。もちろん土方の指図である。二年以上ずっと、黙って伊東の近くにいた。ゆえに伊東にも信頼されている。

 屯所を離れたその夜、伊東は鬱々として語った。

「山南さんの死によって、私は、決して己の進む道を曲げぬ新撰組の気性を深く知った。新撰組は、刀を取り、人の命を奪ってでもその道を進もうと決めた男たちだ。であればこそ、曲げられぬ己がこの先へは進めぬとわかったとき、命を懸けて、道を阻む者と相対する。それが人斬りの重罪を背負う新撰組の覚悟であり、士道であるのだ」

 伊東さんの言うとおり山南さんには士道があった、と斎藤は思う。伊東さんも自分の士道を行こうとしている、とも思う。

 ここにいる面々も同じく、真っ直ぐな士道を進もうとしている。そのためには、新撰組のままではいられない。

 脱走すれば死あるのみと断ずるきょくちゅうはっを知らぬ者はいないから、誰もが、新撰組による襲撃と粛清を覚悟している。皆、顔色が悪い。けれども、命を失うことよりももっと、道を曲げることを恐れている。

 俺には士道がない、と斎藤はむなしくなる。何を善良ぶっているのだ、と嘲笑う声が聞こえる気もする。

 斎藤一はきっと、そもそも武士ではない。そうであり、間者であり、刺客であり、裏切り者である。右手の剣技で人をあざむき、左手の剣技で人を闇に葬る。

 こたびの獲物は目の前にいる。伊東率いる御陵衛士こそが、土方に遣わされた斎藤一という狼の、牙に掛けるべき獲物だ。

 斎藤の隣で胡坐あぐらの片膝を立てた藤堂が、二十四という歳よりも若く見える顔に、人懐っこい笑みを浮かべてみせた。はちがねを外している額には、池田屋騒動の折につけられた傷痕が白っぽく浮かんでいる。

「元気ねえぞ、斎藤。疲れたか?」

「いや」

「おまえがこっちに来てくれるとは思わなかった。誘う気もなかったんだぜ。だって、試衛館の頃から近藤さんたちには世話になってんのにさ、すぱっとさよならなんて、あんまりだろう。こんな恩知らずなことをするのは俺だけだと思ってた」

「違う。永倉さんや原田さんも、藤堂さんと同じだ。信じるものが近藤さんたちと違えば、自分を曲げない。真っ直ぐ進む。非行五箇条のとき、そんなふうだった」

「ああ、なるほど、そうだったな。今、伊東さんの物の考え方に同調したのが俺と斎藤だけだって話であって、みんな強情っ張りだよな。総司だってさ、伏せってなけりゃ、どう動いただろう? まあ、総司は何も考えてないから、好きな人にくっついていくだけかもしれねえが」

 処刑や粛清、検死、切腹の介錯には、初めの頃、沖田も斎藤と共に駆り出されていた。腕が立つ上、近藤や土方に対して最も忠実なのは沖田だったからだ。沖田が病みついたりなどしなければ、局内の暗殺者の役割を斎藤が一人で担うことはなかったかもしれない。

 斎藤は、細く長い息をついた。

「何が起こるか、わからないな。生きていると、何でも起こってしまう。嫌なこと、苦しいこと、どうしようもないこと、いろいろ」

「おいおい、どうした? 斎藤も不安か? そりゃまあ、そうか。仕方ねえよな。近藤さんたちが俺らを放っておくはずもない。いつ襲撃が来るかわからなくて、おちおち寝てもいられねえ。だけどさ、俺はやっぱり、伊東さんの言うことが正しいと思うんだ。それに、伊東さんみたいに、はっきりした理想を持ってれば、剣を人に向けなけりゃならないときも自分を信じて行ける。そうだろ?」

 伊東の説く理想は、一和同心、との合言葉に総括される。日本中が争い事を止め、心を一つにする、という意味だ。

 京の公家社会を政の中心とし、さまざまな官庁や地方の代表が集まって合議をおこなう。国民皆兵の制を取り、一人ひとりに自衛と国防を意識させる。港を選んで外国船を受け入れ、貿易と交流によって、進んだ文物を日本の改革のために導入する。

 伊東は、徳川家が政を独り占めにする今の在り方は終結させるべきだと言う。その点では確かに伊東は倒幕派だが、一大名として徳川宗家にも合議に加わってもらいたいと考えている。

 倒幕派の主流は、徳川家を取り潰そうだとか、江戸を焼き討ちにしようだとか、過激なことを主張するものだ。が、伊東はむしろ、尖った倒幕派を佐幕派よりも嫌っていた。

 一和同心の伊東に、藤堂は傾倒している。一和同心とはいかなるものかを初めて藤堂から聞かされた日、斎藤は、藤堂平助という人物の一番正直な部分を知ったように感じた。

 剣術稽古が好きで、荒っぽいところのある藤堂だが、本当は争い事を憎んでいる。人殺しを重ねてきたことに苦悩している。人が人を殺さずに済む道を、心の底から望んでいる。

「対話、か」

やぶから棒にどうした、斎藤? 対話?」

「伊東さんが大事にしていること」

 ああ、と藤堂はうなずいた。

 刀を持ち出す前にとことん話し合うべきだと、伊東は言う。倒幕派と佐幕派も、藩同士の競争も、日本と諸外国も、対立してしまう者たちはすべて、まずは互いの話をよく聞いてみるべきだ。

「まあ、難しくはあるよな。相手が自分より弱いとわかってりゃ、話なんか聞いてやれるかって、そんなふうに思っちまうのが人間の情けないところだ。それでも、やっぱり俺は、斬らずに済むなら斬りたくねえ」

「会津の殿さまが言っていたことと似ている。あの人は、新撰組が生意気を言っても聞いてくれて、怒らなかった。話を聞くだけでどうにかしてみせたんだ」

 藤堂がそっと笑った。

「斎藤は会津の殿さまのことが好きだな」

「そんな言い方は恐れ多い」

「好きなら好きでいいじゃねえか。俺はさあ、伊東さんについていくよ。近藤さんたちの後ろを走ってたんじゃ見えねえものが、伊東さんの近くにいたら見える。俺が見たかったもの、つまり何のために自分が戦うのかって、そのわけや理想が、ここにいれば見えるんだ」

 藤堂は、自分に言い聞かせているようだった。

 新撰組を離れるという選択は、藤堂にとって決して曲げられない道だったとしても、近藤たちを裏切ることが藤堂を苦しめないはずはない。それでも行くのだと、繰り返し己に説いていなければ、心がくじけてしまいそうなのだろう。

 順繰りに不寝番を立てながら眠りに就くとき、いつ襲撃されても対応できるようにと、皆、刀を抱いたまま目を閉じていた。

 伊東は、休むように勧められても、結局じっと起き続けている。眼下に隈をこしらえた端正な伊東の顔を、斎藤は薄目を開けて見つめた。

 腹の中をすべて打ち明けることができるなら、斎藤は、伊東を問い詰めてしまいたい。

 伊東さん、賢いはずのあんたが何でこんな下手をやらかしたんだ? 話をするのが大事だと言うなら、近藤さんや土方さんと話せること、話すべきことが、もっとあったんじゃないか? それなのに、あんたはこうして無断で離脱した。新撰組の士道は、裏切り者のあんたを絶対に生かしちゃおかない。話をすればよかったのに。

 斎藤も結局、眠ったふりだけで一睡もしないまま、翌朝を迎えることとなった。

 慶応三年(一八六七年)三月十一日の朝は、晩春とも思えぬほど冷え込んでいた。

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