五 倒幕派

 非行五箇条の一件は、かたもり公の取りなしによって事なきを得た。

 とはいえ、近藤と永倉や原田との仲がもとに戻ったわけではない。腰巾着の武田も相変わらずで、土方が冷たいにらみを利かせている。

 再びの衝突が起こらなかったのは、近藤が新たな隊士を募るため江戸に一時帰参したことが大きかった。離れている間に、永倉たちも頭を冷やしたのだ。

 新撰組は京で力を強め、給金も多くたまわり、担うべき任務も増えた。一方で、人手がまったく足りていなかった。粛清によって消された者もいれば、病気や怪我によって戦えなくなった者、命を落とした者もいる。

 元治元年|(一六八四年)十一月、江戸で集められた新参隊士が、京の新撰組と合流した。その中に、北辰一刀流を使う剣客にして水戸学を修めた論客、とうろうがいた。

 伊東は長身で、涼しい顔立ちをした男前である。同じ北辰一刀流の使い手である藤堂平助の紹介で、近藤と知己を得たらしい。

 京に戻ってきた近藤は、極端なまでに伊東に傾倒していた。

 もともと近藤は、学があって弁舌の巧みな者を好む。近藤自身は学問が得意ではない。演説が下手とまでは言わないが、決して言葉巧みではない。

 今までを振り返れば、学問のできる山南敬助を試衛館時代から重んじていた。良くも悪くも弁舌の切れる武田観柳斎がのさばっているのも、近藤が必要以上に武田の口のうまさに信を置いてしまうせいだ。

 伊東は、書物に学んだ見識において山南を凌駕している。爽やかな姿と論調が人を惹きつける点では、武田を大きく突き放している。近藤が伊東に心変わりしたのも、うなずける話だった。

 近藤が伊東を珍重する気持ちは、斎藤にもわかった。学識の乏しい自分の代わりに思案してくれる秀才がいれば、大船に乗ったような安心が手に入るのだ。

 局内の反応は三つに分かれた。近藤のように伊東を信奉する者もいれば、口がうまいやつはさんくさいと鼻白む者もおり、異質な新参者への戸惑いから沈黙してしまう者もいる。

 伊東と同じ北辰一刀流の藤堂は、伊東を信奉した。近藤の性質を最もよく解する土方は、伊東に鼻白んだ。戸惑って沈黙する者が一番多かった。人当たりのよい山南や沖田などは、伊東ともうまく交流しつつ、まわりの出方を用心深くうかがっていた。

 斎藤は、誰の立場とも共鳴できない自分を、醒めた気持ちで眺めていた。

 心の奥底から何かを信じて動けるならば、どれだけ気楽で清々すがすがしいだろうかと思う。いっそのこと、誰かが斎藤の薄情に気づいて糾弾してくれたらよい。なぜ誰も気づかず、むしろ誰もが斎藤を聞き役にと望んだりするのだろうか。


 藤堂は、試衛館からの仲間内では斎藤と並んで最も若く、生まれ月で言えば斎藤よりも若い。小柄でやんちゃなため、さらに若く見えてしまうが、実のところいやしくない家柄の育ちだから、学問はひととおりの礎がある。

 そんな藤堂だからこそ、伊東の学識の高さを実感できるのだろう。藤堂はこの頃、暇を見つけては伊東と話をし、逐一感心したり納得したりと熱心である。

 隊士が増えて手狭になった屯所で、斎藤は、自分のほうへやって来る藤堂の足音を聞いた。まりのようにしなやかに弾む足音は独特だから、藤堂のものだとすぐにわかる。

 後ろから飛びつかれるのの先手を打って、斎藤は振り向いた。

 藤堂は斎藤の肩口を遠慮なく叩きながら、今し方、言葉を交わしてきた伊東の見識を誉めちぎった。

「なあ、斎藤、やっぱり伊東先生はすげえよ。これまでの日本のこと、これからの日本のこと、何を問うても全部に答えてくれるんだ。それも全部、筋が通ってる。ちょっとした思いつきで話をしてるんじゃあねえ。歴史から学んだことを肥やしにして、自分の思想をきちっと組み上げてあるんだ。俺、こんなに頭がすっきりしたことはねえや」

 これまでの日本のこととは、徳川家が江戸に幕府を開いてからの二百六十年余りの歴史を指している。日本で最も位の高い人物である天皇は、由緒ある公家を従えて京に起居していた。一方、日本で最も権力を持つ人物である将軍は、武家の筆頭として江戸城に君臨していた。政治の実権を握っていたのは徳川家の将軍であり、実際の政治は藩ごとに分担されておこなわれていた。

 これからの日本のこととは、日本一国の内政のみならず、アメリカ、イギリス、ロシア、オランダ、しん国、そういった外国との関わり合いの中で日本がどうあるべきかを論ずるのだ。世論の主流は攘夷、すなわち、外国勢力を日本から追い払おうという考えである。新撰組の面々も、その上役である会津藩の家老らも、敵対勢力である長州藩なども、攘夷を掲げる点では同じである。

 ただし、同じ攘夷の思想にも、大きく分けて二つの流れがある。徳川幕府の扱いが争点だ。幕府は、二百六十年を超える歴史を経るうちに腐敗と矛盾を蓄積させ、今ではもう誰の目にも明らかに弱っている。その幕府を支え、立て直しを図ろうというのが佐幕派である。弱くて腐った幕府はもはや不要であると主張するのが倒幕派である。

 新撰組は佐幕派である。預かり先である会津藩が幕府創建以来、徳川家に対して天下一厚い忠誠と恭順を貫き通していることも、新撰組の思想への影響が大きい。

 会津藩主の松平容保は、幕府の絶大な信を得て京都守護職に就いているだけでなく、天皇からもまた、日本中の武家の誰よりも頼りにされている。

 元治元年|(一八六四年)末においては、容保公が京に居留し、武家と天皇の間に入ることで、佐幕派主導による幕藩体制が続いていく。そんな見通しを立てる者も少なくない。新撰組局内ではむろん、容保公の掲げる公武合体に貢献したいとの意欲が高い。

 ところが、である。次第に明るみに出たのだが、伊東甲子太郎は、倒幕の思想の持ち主だった。

 伊東の倒幕論は穏健であり、御所に向けて発砲した長州藩のような性急なものではない。しかし、佐幕派一色の新撰組においては、伊東の倒幕論は異端だった。

 土方は、伊東の毛色がはっきりした時点で、斎藤に素早く耳打ちした。

「伊東とその周辺を探れ。誰とも敵対せず、誰にも味方せずに、見たこと聞いたことをすべて俺に伝えろ。新撰組は、このままじゃ分裂しちまうかもしれない。特に平助が危うい」

 危ういという言い回しは、近藤や土方の立場から見れば、そういうふうになるのだろう。あるいはより強烈な言い方を選ぶなら、藤堂が自分らを裏切るかもしれないと、土方は感じ取ったのだろう。

 斎藤の目には、藤堂は決して危うくは映らない。むしろ、魚が水を得たように見える。藤堂は最近よく斎藤をつかまえては、聞いてくれよと、生き生きとした顔で語るのだ。

「聞いてくれよ、斎藤。俺はさ、試衛館の頃はおまえや沖田に負けたくなくて、必死で強くなろうといてた。でもな、京に来て、場合によっちゃ人を斬るようになって、何やってんだろうって思うことが増えてたんだ。何のために、俺、ここで剣を振るってるんだろうって。人斬りと呼ばれてまで、俺が成し遂げたいことって何なんだろう。ずっと答えを探してたんだ」

「答え? 成し遂げたいこと?」

「斎藤は考えねえのか? それとも、おまえにはもう自分の道筋が見えてんのか? なあ、俺もおまえも人を殺してんだ。新撰組の務めを果たしてるだけとはいえ、本当は、人を斬るのは重罪だぜ。何で人を殺しちゃ駄目なんだろうとか、何で今の俺たちにだけは人殺しが許されるんだろうとか、何で罪に問われないとわかってるのに人を斬ったら苦しいんだろうとか、俺、いちいち考えちまうんだ」

 どんぐりまなこにきらきらと真剣な光を宿して、藤堂は斎藤の顔をのぞき込む。斎藤は小さくかぶりを振った。藤堂の言葉をすべて否んでしまいたい。

 俺だって、人殺しについて考えたことはある。でも、この手足も首もかせでつながれちまっている。

 なあ、藤堂さん。考えたり悩んだり苦しんだりできるのは、あんたが、選べる立場にあるからだ。

 あんたはつながれていない。だからそうやって自分なりの答えを探そうなんて思って、じたばた足掻いたり伊東さんに感心したりできるんだ。それは、勝海舟や土方さんのそうに過ぎない俺には、できないことなんだ。

 斎藤は何も言葉に出せぬまま、藤堂の語る伊東の論に耳を貸した。開港だとか貿易だとか海軍だとか、果ては英語を学ぶのがよいだとか、今までの藤堂ならば考えもつかなかったような話が楽しげに語られていく。

 藤堂は伊東の論の性質そのものが好きなのだろうと、斎藤は思った。藤堂は、じめじめと内にこもるのが嫌いで、ぱっと開けてわかりやすい話が好きだ。少人数でこそこそと密会するようなのは嫌いで、皆が一堂に会するにぎやかな場が好きだ。

 だから藤堂は、外国に対して閉じ籠って威嚇するより、いっそのこと開港して貿易して渡り合ってやろうじゃないかと、そんな考えに惹かれる。武家だ公家だとこだわり続けるよりも、横並びで集まってみたら新しいことができるんじゃないかと、そんな伊東の言葉を支持する。

 藤堂の語るこれからの日本を、斎藤はすでに、数え切れぬほど幾度も聞かされて知っていた。

 勝海舟が、伊東の論とよく似たことを語るのだ。

 学識も権力もない斎藤に懇切丁寧に語ったところで何の益にもなるまいに、勝はとにかく語ることが好きで口数が多い。あいつらはこう言う、そいつらはああ言う、でも俺はこう考えていると、吉田道場で勝と会うたびに、あらゆる陣営のあらゆる思想について教えられている。

「伊東さんは、本当に頭がいいんだな」

 斎藤はぽつりと言ってみた。伊東の採る案は、勝のそれとよく似ている。勝は日本でいちばん頭が切れる男だから、似たようなことを考えている伊東も賢いに違いない。

「何だ、斎藤! おまえも見る目があるじゃねえか!」

 藤堂は嬉しそうに笑って、斎藤の肩口をばしばしと叩いた。

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