告白

 住宅街の通りで、ぼくと椎名さんはふたりきりだった。黒く塗り潰された空には、月も星もない。ぼくたちを照らすのは、色気のない街灯の光だけだ。


 けどそんな素っ気ない光に照らされていても、椎名さんは綺麗だった。


 濡れ羽色の長髪は絹のように滑らかで、白い肌は陶器のよう美しい。大きな瞳はビー玉のように綺麗で可愛くて、ぷっくりとした唇は林檎のように赤い。椎名さんはまるで一流の人形師が造形したかのような容姿をしている。


 彼女の茶色の瞳は、いまは困惑に揺れている。ぼくが急に呼び止めたからだろう。たしかにちょっと唐突だったかも。もっと段取りを踏めばよかった。


「椎名さん、ぼくは君に伝えなきゃならないことがあるんだ」


 告白するのは今しかない、そう思った。この高揚があるうちに伝えないと、またいつ告白しようと思えるかわからない。気弱なぼくじゃ、告白出来るチャンスは数少ない。そのチャンスを逃すわけにはいかなかった。だけど、彼女に思いを伝えようとすると、どうしても言葉が詰まってしまう。そんなぼくを、椎名さんは不思議そうに見つめた。


 小首を傾げる姿も彼女は可愛いなと、ぼくは緊張しながら思った。


 小首を傾げるといえば、ぼくが彼女を本格的に好きになったときも、彼女は同じ仕草をしていた。元々気になっていた女の子だったけど、遠くから見つめるぼくの方を見て、彼女は不思議そうに首を傾げていた。なにが理由で首を傾げたのかはわからないけど、その仕草が可愛くて、遠くを見つめるような彼女が魅力的で、ぼくは彼女を好きになったのだ。


 それからのぼくは頑張った。少しでも彼女に振り向いてもらうように努力を重ねた。彼女に見合う男になろうと、あまり得意ではない自分を飾るということをし、出来るだけふたりきりの時間を長くしようと、勇気を出して彼女と一緒にいようとした。その努力の甲斐もあって、少しずつだけど彼女の映った写真が携帯のなかに増えた。


 写真には、椎名さんが走っている姿が多い。それは彼女が高校で陸上部に所属しているからだ。椎名さんは陸上部の期待のエースらしく、部の期待を背負っているらしい。


 だからだろう。彼女の走る姿がとても美しいのは。


 走るための機能を重視して鍛えられた体が、力強く地面を蹴るさまは彼女の凛々しい部分をこれ以上ないほどに引き出してくれる。


 椎名さんの走る姿が好きで、ぼくはその姿を写真に撮ることも多かった。その写真を撮るたびに、ぼくはもっと彼女に近づきたくて努力を重ねた。自分の成長を感じる度にぼくは喜んだ。やったぞ。これでまた少し、彼女に近づけたんだと内心でガッツポーズを取った。


 あの努力はなんのためにあった。いまここで、椎名さんに告白するためだろう。


 そう、ぼくは自分自身を奮い立たせた。


 ぼくは、彼女に伝えなければならなかった。


「椎名さん、ずっと君のことが好きでした。ぼくと付き合ってくれませんか」

 言った。ついに言った。言えたんだ。


 心臓は早鐘のように何度も鼓動し、顔に血が巡っていくのがわかった。身を隠したくなるような気恥ずかしさを感じながら、ぼくは彼女の答えを待った。


 しかし、いつまで待っても彼女の返事はない。


 まさか、駄目だったのか。そう不安に感じながら、ぼくは彼女の顔を見た。


 椎名さんの顔に浮かんでいた感情はひとつ、不安だった。彼女はなにがなんだかわからない、というようにぼくのことをじっと見つめていた。やがて、彼女はひと言、ぼくに返事を返した。


「あの……あなたは、誰ですか?」


 あまりの答えに、ぼくは言葉を失った。まさか、彼女がぼくを知らないなんて。


 椎名さんは、ぼくがショックを受けたことを読み取ったのか、申し訳なさそうな顔をした。


「もしかして、前に何処かでお会いしましたか。もしそうなら、ごめんなさい。全然思い出せなくて」


 彼女はぼくのことを知らない。憶えていない。気づいていない。


 その事実に、鉛のように重い絶望がぼくの胸の内に宿った。


 だって、そんなのあんまりじゃないか。ぼくが君のためにどれだけ努力したと思ってる。


 朝も夜も君のあとを追っていたのは何のためだと思っている。君は昼間は学校にいて、ぼくが会うことが出来ないから、少しでも長い間君と一緒にいようと、ぼくは仕事で疲れた体に鞭を打って君と一緒にいようとしたんだぞ。君が友達の家にいて、帰りが遅くなったとき、君のあとをつけたのはなんのためだと思ってる。不審な人間が君に近づかないように、ぼくが見張っていたからだ。そのお陰で、君は何の事件に出会うこともなく、安全に家に帰ることができた。安心して日常を生きることができた。それなのにそれなのになんで君は、なんで君は。


「あの、どうかしたんですか。大丈夫ですか」


 君が好きだ。だから君の写真もたくさん撮った。携帯の待ち受けにして、家の壁に張り付けて、いつもいつでも君に会えるように、君とふたりきりになれるようにしてきた。


 こんなに君のことが好きなのに、こんなに君のことを愛しているのに、なんで君はぼくのことを知らない。ぼくに気づかない。なんでなんでなんで。


「もし具合が悪いようなら、病院に……」


 椎名さんは、恐る恐るぼくの体に触れようとした。


 ぼくは懐から、隠していた包丁を出した。もしも告白を断られたときのために持って来ていたものだ。その包丁で、ぼくは彼女の手を斬った。


 彼女は悲鳴をあげた。怯えた顔で、斬られた手とぼくのことを見ている。


 ああ、椎名さんは怯えた顔も可愛い。だから、今度はちゃんとぼくのことを忘れないように絶対に消えないようにしてあげる。これからはずっと一緒だ。


 ぼくは逃げようとする彼女の脚を、包丁で斬りつけた。

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