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 早紀は本田を引っ張って、現場から逃げた。きっとすぐに警察が来るだろうと覚悟していたが、1日待っても2日待っても来ない。そのうち冷静になって、自分たちは被害者の知り合いの範囲に入っていないから、警察が捜しだすことはないだろうと話し合った。

 7月20日になって2人の刑事が聞き込みに現れたが、本田がかつて一緒だった百合子のことを聞いていっただけだった。しかし、そのときの本田の様子から、早紀は「やはり本田は百合子に未練がある」という確信を持ったらしい。

 警察が来たことで本田は神経質になり、マンションの電話を切ってしまった上に、早紀には銀座の店にも行くなと言った。

 本田の執拗なすすめで、早紀は7月21日から岡山の実家に帰った。その間、22日と25日、28日の3回、本田はこっそり百合子の家を訪ねた。電話をかけても、百合子が以前のように打ち解けて話さないので、焦ったからだという。本田は、精二が死んだことで一番得したのは百合子だと信じ、百合子に転がり込んだはずの遺産を、自分もいくらか貰う権利があると考えていた。三回も百合子の家を訪問した本来の目的は、その話をするためだった。

 しかし、百合子に向かって、精二を殺したのは自分だと言う訳にはいかず、どう理屈をつけたものかと思案しながら最初の訪問をしたとき、驚いたことに百合子の方から「あんたがやったんでしょう」と冷たく言われた。本田は否定した。

「百合子は亭主の死でいろいろ疲れていたのだと思いますが、疑心暗鬼に凝り固まって、別人のように暗い感じでした」

 そういうわけで、本田の3回の訪問は全て、百合子の疑いを晴らすことに費やされた。

「私は人がいいんです。それに、百合子からそう思われるのが辛かったのです」

 7月28日に実家から早紀が戻ってきたとき、運悪く、本田は百合子と電話で話しているところだった。またケンカになり、険悪な状態になった。本田はそろそろケリを付けなければと真剣に思った。しかし、ケリを付けるといっても、とりたてて方策があるわけではなく、全ては百合子の出方次第だった。

 百合子と早紀の供述では、本田は結局、早紀には「百合子に金を出させるから、一緒によそへ行こう」と言い、百合子には「早紀と別れるから、一緒になろう」という話をしていたらしい。

 7月31日、本田はいつも通り午後8時ごろに百合子の家を訪ねるつもりだったが、その直前にニュースで卓郎の逮捕を知った百合子が「ひさしぶりに外で会いたいの」と電話をかけてきたので、金町で会うことにした。百合子はこう言っている。

「精二を殺したのが本田ではないとわかりましたし、なにしろ精二が病気で倒れてからというもの、もう息が詰まりそうな状態だったので、たまには外出したかったのです」

 そして、真壁があとを尾けて目撃した通り、本田と百合子は金町のバーで会った。話し合いは、すでに本田の容疑も晴れていたので、これまでとは違った雰囲気になった。

 百合子は「早紀と別れて」と言い出した。本田は、もう精二が死んでしまったので「亭主と別れろ」と言うこともできず、結局、百合子に再婚を迫られる形となった。

 2時間足らずの話し合いの末、本田は早紀と別れることを約束した。しかし、頭の中では「籍さえ入れたら、あとはどうにかなる」と考えていた。早紀のことも諦めきれなかったし、「金さえ手に入れたら、早紀を言い含めることもできると思った」という。

 しかし、早紀はそんなことを考えていなかった。事件当夜と同じく、早紀は外出した本田のあとを尾けていた。そして、バーの片隅で本田と百合子の逢引きを見つめ続け、ついには凶行に及んだ。

「もう本田のことは信じてませんでしたが、最後まで諦めきれなかったんです」

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