[13]
電車内の明かりで、真壁は百合子の横顔を何度か見た。不安の影も喜びの色もない、能面のような無表情だった。卓郎逮捕のニュースを見たのか、見ていないのか。真壁はまた少し自信がなくなってきた。
もしニュースを見たのなら、世間体のためにも、精二の霊前で手を合わせて神妙に一夜を明かすのが無難だろう。化粧までして外出する軽薄さは、潔白の証明なのだろうか。
それとも、卓郎逮捕のニュースを知らずに出てきたのだろうか。それにしても、夕方に買い物して帰ってきたことから、夕食でも作るつもりだっただろう。結局、それを置いて出かけたからには、どこから「出てこいよ」という電話が入ったのだろう。
ニュースを見たにしろ見なかったにしろ、百合子の胸の内では、精二の死を悼む気持ちがかなり薄れているのは間違いないような気がした。歳の離れすぎた結婚生活が不幸だったとは思わないが、ある時期から百合子にとっては重荷になっていたのではないだろうか。そして今、百合子は亭主の霊前から逃げ出して、どこかへ行こうとしている。
百合子は金町で降りた。北口から出て、まだ宵の口のネオン街に吸い込まれていく。10メートルほど距離を置いて、その後ろ姿を追う。
5分ほどまっすぐ歩いて、百合子は雑居ビルに入った。表に「美月」という看板が出ている。目的地は、地下へ降りたところにあるバーだった。百合子が店に入った後、ドアの外で真壁はじりじりしながらネクタイを外し、2分ほど待った。
それから、ドアを開けた。誰かを探すふりをしつつ店内をすばやく見渡し、奥のボックス席に後ろを向いて座っている百合子のスーツの背を見た。向かい合って座っている男がいた。
こちらを向いている男の顔を見たとたん、真壁は眼の裏にじりじりと焼け付くような焦燥を覚え、しばし呆然とした。記憶がどっと溢れ出し、それらをまとめる余裕もなく、真壁は夢中で踏み出した。人探しの顔で狭い店内を見渡しながら、ボックス席に近づき、その横を通り過ぎた。その一瞬、テーブルの上に乗っている灰皿を見やり、フィルターの根元まで吸って押しつぶされたタバコの吸い殻を確認した。何食わぬ顔で店を出ると、思わず眩暈を覚え、真壁は額に手をやった。
真壁はとりあえず地上に出て、雑居ビルの脇を通る細い路地に入り、手帳をめくった。ぎっしりと詰まった電話番号の中から、ある番号を探し出し、電話をかけた。
自動音声が「この番号は、現在使われておりません・・・」と言った。番号を間違えたのかと思い、もう一度試してみたが、やはり同じテープの声が繰り返した。そのとき、番号の押し間違いに気づき、「落ち着け」と自分につぶやき、電話をかけた。
3秒待たされてつながった電話から、「『エルム』ですが」という女の声が聞こえた。
「あの・・・早紀さん、いますかね?」
「失礼ですけど、どなた?」
「早紀さんの知り合いですが、マンションに電話しても連絡取れなくて」
「そうなのよ、うちの店も無断欠勤なのよ」
「いつからですか?」
「ええと・・・21日だったかしら。あの子、前から店を辞めたいって言ってたから、別に驚きもしなかったけど、お給料も取りに来ないなんて、バカにしてるじゃない」
「マンションにはずっといないんですか?」
「そう、鍵が掛かってるのよ。あの子、男に貢ぐ癖があったから、また逃げてるんじゃないかしら。あら、ごめんなさいね。あたし、酔ってるの。聞きたいことがあるんなら、警察に行って」
「ところで、お店は日曜もやってるんですか?」
「この不景気に、日曜に開けてる店なんかありゃしないわよ」
日曜は休み。手帳についているカレンダーをめくると、事件の前日に当たる17日は、日曜日に当たっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます