玉座に佇む紅い薔薇

領家るる

🌸*

 薔薇という花を知っていますか

 この世で最も美しく気高い花にございます。


その香りは鼻孔から浸食し

その棘は辛辣に指先を刺し

その花びらは幾重も被さり蜜を隠し

その蜜は人に潤いと美を与えます


人はこの花の美しさを頼り

色と本数によりその意味を付けさせ

言葉に出来ぬ感情を、又は何かに付けた証として用いて参りました


それはどの国でも同じ

今からお話する この国でも同じこと


むかし、むかしのお噺







「贈り物だと?」

 

 それはまるで狼の唸り声の様に低い声で、南の王は尋ねました。高い高い玉座に腰を掛け、肘掛けに頬杖を付き、麗しい垂れがちの瞼に家臣を映して。


「北の国からの使いが持って参りました。何でも、北に咲く花の種で、それも“薔薇の種”だと言うのです。薔薇は南の国では大変貴重な品種にございます。どうか一度、王様にもお目通し頂きたいのです」


家臣は少し右に避け、背後から運ばれる真っ赤な棺を王の御前に差し出した。その棺は少しずつ色合いを変えた紅いステンドグラスで飾られ、曲線を描いた花瓶の様な形がいかにも珍しく、調度品らしい代物と言えます。王様は訝し気な視線を注ぎながらも、開けと家臣に命じました。

するとどうしたことでしょう、棺の中から出てきたのは、齢15,6程の少女でした。真っ黒な髪を腰まで伸ばし、白い陶器の様な素肌を晒した生まれた侭の姿でその四肢を動かして棺から立ち上がって見せたのです。これには王様も家臣も驚きを隠すことは出来ませんでした。

「お前は一体、何者だ?」

 王様は眉を潜めて少女に問いました。すると少女は眠たげな瞼を瞬かせ、

「私は、薔薇です」

 朝露が葉を弾くような可憐な声でそう告げたのでした。

 

 薔薇は王様よりトリシアと名を授かり、城で過ごす事を許されました。

 トリシアは生まれたての子供に等しく、小学生程の学力もありません。王様はトリシアに家庭教師を付け読み書きなど一般的な教養を授けようとしました。しかしトリシアは家庭教師との時間を嫌い、しきりに王様の傍にいることを望み、時間を持て余すとすぐに王様の下を訪れて本を読めとせがみます。始めこそ疎ましいと思っていた王様でしたが、純粋無垢に何度も訪れるトリシアに根負けし、何時しか彼女との時間を受け入れるようになりました。

 そのうちに王様はあることに気づきました。トリシアは王様と時を過ごすことに成長をするのです。王様が彼女の髪を撫でれば艶を増し、その頬に触れればほのかな赤みを帯び、瞼に触れれば睫毛が影を落とす程に長くなりました。

 花は愛でれば愛でる程に美しく育ちます。

 トリシアは王様に愛されれば愛されるほどに美しさを増していきました。

 この国では、薔薇の花は世界で最も美しいとされ、その価値はもっとも高いものとなります。

 『薔薇の種』と言われて贈られた彼女は、北の国からの最高の贈り物でした。それは女癖が酷く、数多の女を知ってきた王様に対する新しい遊戯にも同じ。好みの女を自分で育てるという洒落の効いた遊びとなったのです。


 愛されるほどに美しくなるトリシアは、歳を重ねて18にもなる頃、大陸で一番とも言われる程に美しくなりました。着飾り、ドレスを纏い、舞踏会ではまるで置物の様に玉座に寄り添い、客たちの目を惹きました。

 その頃から王様は毎夜、トリシアを床に呼びつけ、その身体を仕込むようになります。新雪を踏むように割いるトリシアの身体は極上で、一つ一つ手順を踏んで少女を女に仕上げることに快楽を見出すと、朝陽が昇るまで隅から隅までその身体を弄びました。そして王様はある事に気づきました。美しく変わるトリシアの身体がより白く染まっていくことを。

 陶器の様に白い肌はより白く、爪も髪も雪の様に染まり、瞼は色素が抜けて蒼く変わりました。産毛も存在を無くす様に白く透明で、それはまるで白薔薇の如き美しさ。

ある晩、弄び尽くして棘を無くしたその身に欲望の果てを注いだ後、王様はトリシアに問いました。

「お前はまるで白薔薇の様だ。どうしてそんなに白い身体に変わったのだ?」

 月がぽっかりと浮かぶ夜でした。窓脇に佇むトリシアは月光を浴びて精霊の様に美しく、振り返る横顔はまるで異世界の住人にも見えました。そしてゆっくりと紅い舌をのぞかせながら答えたのです。

「それは、王様が真っ白な欲望を私に注ぐからです。花は水を吸って色を作りますでしょう?水の性質が違えば、花の色も違うのです」

「なるほど」

「王様は、白い薔薇は御嫌いですか?」

 首を揺らして尋ねるトリシアの顔を眺めながら、王様は考えました。サイドボードに並ぶ赤と白のワインボトルに眼を移し、王様が手に取ったのは紅いワインボトルでした。

「そうだな、紅い方が芳醇で美味そうだ。赤か白かと問われれば我が好むのは赤い方かもしれん」



 王様の何気ない一言はトリシアの心に深く深く沈殿していきました。トリシアはワインボトルをそのまま唇に当てて酒を飲み干す姿を眺め、そっと瞼を伏せたのです。



この御方の好みの色に染まらなくては――――――



 その日からトリシアは物珍しくも本を片手に庭先で過ごすようになりました。しかし学がないトリシアは本を読んでもその意を汲み取り切れず、僅かな情報を頭の中でこね回しながら悩むしか出来ません。気持ちだけが焦ってしまい、そうやって悩み過ごすだけで前へ進んでいるような錯覚に陥っていたのです。もしくは、王様の好みに染まる方法が解らぬ現実から目を反らしていたのかもしれません。

 一時間の空白が重なれば二時間に、気付けば王様に呼びつけられるまで距離をとることも増え、トリシアは前ほど王様に媚びることがなくなりました。僅かな気持ちの焦りとこれから嫌われてしまうかもしれないという一縷の不安は次第に膨れて行きます。そんなトリシアの心とは裏腹に、王様は不愉快さを覚えていきました。

 王様はもともと女癖も悪く、トリシアを贔屓していた所為でやっかみを買っていた側室の女たちにもせっつかれたことを機に、宵の相手をトリシアから側室の女たちに変えてしまいました。その事実にトリシアが気づいたのは、一週間も経った頃、寂しさのあまり王様の部屋を覗き見た夜のことでした。


なんてことでしょう―――――、


 王様の上で跳ね上がる他の女の四肢を眺め、トリシアは涙を流しました。


 王様、貴方は私以外の女を抱くのですか、

 それは私が赤くないからですか

 幾ら抱いても白く染まらないその女たちの汚い肌を吸い立てて、私にしたと同じように愛の言葉を囁くのですか――――




 ぎちり、ぎちり

 トリシアは気付けば自分の髪を掴み、握り潰していました。髪の束が拳に解かれて歪に曲がり、力を込めすぎて数本抜け落ちました。美しかった爪はささくれ、つるりと感触が良かったものがくぼみを生み、肌は荒れていきます。数歩後退し、自室へと戻ったトリシアはその後、一人で爪を噛みボロボロにさせ、宵を幾重も超えて眠ることを忘れ、瞼の下に隈を作りました。

 花は愛でられれば美しく咲きます。愛されぬ花は醜く枯れるばかりでした。



 数日もした頃、トリシアは自分の爪先から血が流れている事に気づきます。それは王様が求めていた紅いワインの様でした。鏡の前に立ったトリシアは口を開きました。身体の裏側は、紅い。口の中も、瞼の裏も、爪の下も。




 そうか、全て剥いてしまえば良い この肌の下は紅いのだ




トリシアは鏡の前で歪な顔を晒し、裂け散らした口先を引き挙げて笑いました。




 王様、私、どうしたら赤く染まれるか、解りましたわ




 紅いワインを注いでください 

真っ赤なワイン 紅いワイン あのボトルに溜まる程




その夜、トリシアは王様の部屋へ向かいました。

廊下を曲がった時、側室の女の後ろ姿が見えました。これから王様の部屋に行くのだと解ると、トリシアの心にちくりと嫉妬の炎が灯ります。トリシアは背後から近づき、その女の首を持っていた鉈で刈りました。


鮮血が真っ白な壁を汚し、転がる頸を見下ろしながら、トリシアは思います。「なんと醜い顔でしょう」。かつて美の絶頂を極めていたトリシアにしてみれば、巷の側室の女など虫けらも同じ。その虫けらよりもずっと醜い姿に変わっているとは、いくら鏡を覗いても認知できなかったのです。




こんな醜い豚に、王様を取られたのかしら―――――




トリシアは見せつける様に側室の頸を手に取り、廊下の端に置かれた花瓶の上に置いてやりました。真っ白な白目を晒した首の傍に咲いた花を以ても芸術には程遠く、花瓶の花を引き抜いて女の躯に首から挿しても美しいとは呼べません。トリシアは自分が薔薇として最も美しいと確信すると、嬉々として王様の下へと向かいました。


王様は玉座に腰を下ろしていました。

姿を現したトリシアを見つけるや、その醜さに喉を引き攣らせて声を漏らし、露骨に顔を歪めました。粗末に扱われきった人形の様な不気味さを持つトリシアは、後ろ手に鉈を隠して絨毯の先にある玉座を目指します。王様はトリシアの幽鬼の様な姿に唾を嚥下し、一定の距離を以てそれ以上近づくことを拒みました。しかしそれは鉈の間合いの中でした。



「王様、王様、私を愛して下さいませんか。私は王様がお好みの通り、紅く染まる手段を手に入れました。どうか今一度、私にチャンスを頂けませんか」

トリシアは喉が焼けたのかと思う程に掠れた声で問いました。王様はトリシアのその姿にかつての美しさをどうにか思い重ねましたが、もうあのころのトリシアの様に愛でてやることは出来ませんでした。

「トリシアよ、今のお前は醜い枯れ木の様ではないか。我に女として扱われたくば、その身をかつての如く美しく彩らせてから来るが良い。紅く染まるというのなら、紅く染まる手段は問わぬが、それまで我に御身を見せてくれるなよ」


王様が命じた言葉の網を擦り抜ける様に、トリシアは右腕を振り抜きました。茎を手折る様にその頸を鉈で跳ねると、噴水の様に噴き上げた鮮血が玉座を染め始めます。真っ赤に染まる玉座がやがて血溜まりを作る頃、トリシアは媚びた様に唇を尖らせて笑い、鉈を床に落としました。その手でドレスを脱ぎ、下着を下ろし、一糸纏わぬ姿を真っ白な髪に隠して玉座の前に佇みます。




王様、王様、

薔薇を紅く染めましょう

この世で最も美しい

真っ紅な薔薇を愛しましょう



トリシアは床に転がった王様の瞼を閉ざしてやった後、玉座に座する膝の上に乗り上げた。




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