第20話  確かな温もり

  何が起きているのか理解できない…目の前の景色は先程と何も変化がない。そっくりな地形?そんなはずはない…10年近くこの土地にいて見間違えることなんてありえない。だとしたら目の前の草原と中央に生えている木はなんだというのか。光魔法に障壁結界というものがあるが、それは外からの侵攻を阻害する透明な壁のようなもので、場所は固定されている。有効範囲は精々50m程で、そこまで広げると一瞬の時間稼ぎ程度にしかならない。さらに言えば、外に出ると戻ることもできない。一方通行なものだ。ループ現象が起きるものではない。

「何でだ……敵の大将は影属性のミザールって言ってたはず、こんな大規模な光属性の魔法はどうしても使えるわけがない……」

魔法にはそれぞれ反発属性がある。光と影はその代表例で、同一個体が光と影の魔法を使うことはできない。

その他には、炎と氷、水と雷、水と炎が反発属性。

ユーリは心配そうに顔を覗き込むアイリを抱き抱えたまま深呼吸をすると立ち尽くししばし考えを巡らせた。

「ループさせられてるところを見ると。有幻結界……に囚われてる可能性がある。」

有幻結界は、光属性の幻術系魔法で、術にかかっている人物の深層心理を利用して構成された世界。俺かアイリにゆかりの場所に打破する鍵がある。

そう結論付けた。

「アイリ、もう歩けるか?」

「やっと下ろしてくれる気になったの?最初っから歩けるよ……」

アイリは恥ずかしそうに目を背けながらユーリの腕から下りた。

ユーリは、アイリの手を引いて歩き始めた。先ずは、この空間の広さを調べる。

再び、森伝いに北へ歩いた。

 

 森のはずれ丁度森へ続く小道に入ろうとしたところで異変は起こった。ただ歩いているだけなのに息切れし始め、歩みを進めるごとに眩暈が起きる。心臓が早鐘打ちヌメッとした汗が全身からあふれ出す不快感が体を蝕んでいく。アイリも同様なようで、つい10m手前では普通に歩けていたはずなのに、今は足取りがおぼつかない。顔はぐったりとして、大粒の汗が額から頬へと流れている。

 そして、小道に足を踏み入れた瞬間。それは起こった。やっとの思いで踏み出した草原と砂利道の境で、ユーリの足は砂利を踏むことはなく。一瞬強く視界がゆがんだと感じた直後に、先ほどまでの不快感は綺麗さっぱり消え去っていた。代わりに足の裏は柔らかな草を踏みしめていた。そして目の前には、朝露が日の光を反射する草花。中央の小高い丘には木が一本だけ生える。暖かて穏やかな草原が広がっていた。

3度目のその光景を見てユーリは確信を口にした。

「やっぱり、間違いない。有幻結界だ……」

でも……だとしたら……俺たちは大きな見落としをしているかもしれない……

 ユーリはそう結論付けると、今一度、気を引き締め、アイリの手を引き歩き始めた。


 そして目の前には、草原の北の端にある。木のログハウスが建っていた。

 昨晩、グリフォンの背にまたがり飛び出した時と何ら変化が見当たらないことに微かに安堵して、ここが有幻結界の中だという現実を思い出し、顔をしかめた。

「ユーリの家に来てどうするの?」

 無言のままログハウスのデッキに上り、扉に手をかけた。

「……中に入れば、答えがわかる……と思う」

 扉を開けても、ギィィィィイという耳障りな音がするばかりで、いつものベルの音が聞こえない。それもそのはずだ。目の前には外の光も受け付けない暗闇が居座っているのだから。

 ユーリは、そこに手を伸ばす。触れる瞬間に一瞬迷て手が止まりながらも再び手を伸ばし。それに触れたというよりは、実際には何も触れてはいない。壁のような暗闇に伸ばした手が吸い込まれるように見えなくなった。

 同時にビシッという何かにひびが入るような音が耳に届き、二人はその音のした方を振り返った。ヒビの入った空が視界に入る。見上げると大きな亀裂が徐々に全面に広がりボロボロと剥がれ落ちた世界が雪のように空からゆったりと落ちてくる。それは、地面に到達する前に多くは消える。美しい光景に二人でしばらくその光景をのんきにも見つめた。地面にも亀裂が走り始めたところでようやく我に返ると、

「アイリ。この先に何があるかわからない。でも……お前は何としても守って見せる。だから、何も心配せずに付いてきてほしい。」

「それは、もちろんそうするよ?でも、こんなことが起きるってことは、何かあったんでしょ?だから話して。」

 真剣な瞳で見つめてくるアイリにこたえるように頷くとアイリは柔らかく微笑み、ユーリの左手をとると茶色く長い髪をなびかせながら自ら暗闇に飛び込んでいく。その勢いを受けて半ば引きずられるようにしてユーリも暗闇に足を踏み入れた。


 足を踏み入れた先には、光であっても吸収して無に帰す闇____そんな言葉がピッタリな空間が広がっていた。水灯をともしても照らし出されるのは1m先までで、明かりを闇が喰ってしまう。まるでブラックホールのようだ。しかし、呼吸もできるし音も聞こえる。現に今、カツカツという2人分の足音が空間に反響している。そして、何よりこっちが出口だと言いたげに唯一の光が彼方にある。

「抜けるのに大分かかりそうだね……」

 アイリの微かに楽しそうな声が隣から聞こえた。

「そうだな……」

 ユーリは短く頷くと黙りこくった。視界ゼロの空間に沈黙が流れる。しかし、そんな沈黙をアイリは良しとしなかった。

「今の状況……話してくれないの?」

「……何から話していいか……迷ってる」

 つないだ手をギュッと握るとアイリも握り返してきた。

「大丈夫……だから。」

「本当に大丈夫なんだな?」

「大丈夫……だって、ユーリが守ってくれるんでしょ?」

『女性は大丈夫でなくても大丈夫だというものだ。』と俺に教えたのは、シェイ爺だったか。それでも今はそのやせ我慢にも似た心のもち用に甘えるしかない自分が情けない……だとしてもその不安を少しでも軽減してやるのが男の務めだろう。だから俺は……

「勿論だ」

ユーリは迷いなく言い切った。微かに隣から短い息が漏れる。

「ッ___今何が起きてるかだけでも話して?いつか……(こうなることはわかってたから……)」

最後ぼそりとアイリがつぶやいた言葉は、響く足音にかき消されて、わずかにしか聞こえなかった。

 ユーリは左手側、アイリの声と手から伝わってくる温もりのあるほうに顔を向ける。しかし、彼女の顔の輪郭さえも見ることはできない。彼女は今どんな表情をしているだろうか……わからない。でも、言わなきゃいけないことを先に言おう。

「昨夜……カルトの街が、魔物の襲撃にあった。目的は、アイリ……君だ。」

「……そっか____ついに……」

ついに?何を言っているんだ?

「防衛指揮にあたった総司令部と結界の起点を空撃されて、街に魔物がなだれ込んで、市街地は乱戦になった。あとは……アイリを連れ出したのは、昨日の帰りに会った獣人。あいつはさっき、俺たちを逃がすために……囮になった……」

「……ユーリはそれでよかったの?」

「いいわけない。それでも……託された。だから……アイリを逃がしきって、助けに戻る。」

アイリの問いに、唇をかみしめながらユーリは答えた。

「じゃ、急いで逃げないとね。」

「ああ……」


 暗闇の中の光の点は、徐々に大きくなる。そして、2人は駆け出した。一筋の光に向かって。

 だんだんと2人の速度は上がっていき、光もその大きさと明るさを確かなものとして、お互いの顔も確認できる。ユーリは、アイリの顔を盗み見る。微かな涙のあとの残る横顔。アイリもこちらを見て微笑み、唇が動く。しかし、声は聞こえない。

「なんていったの?」


 最後の瞬間。視界が眩い光に包まれた。


  

               信じてるからね______

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